03
「……それで、魔族の大軍が森を進んでいるというのか?」
「はい。数は正確には測れませんが――最低でも一万。おそらくそれ以上です」
俺は直立不動の姿勢で報告する。相手は直属の上官。下級とはいえ、れっきとした貴族の一人だ。
「一万だと? 馬鹿な!」
上官の顔がみるみる赤くなる。
「そんな大軍の侵攻を見逃すなど、あってはならん! なぜ今まで気づかなかった!」
「森の中を移動していたと思われます。街道には見張りを置いておりますが……森までは人員が回っていません」
「それは貴様らの怠慢だろう!」
机を叩く音が響く。上官のミルバ、体は小太りで、額は広く、肉の下に埋もれた小さな目が俺を睨む。おそらく、剣を交えれば瞬殺できるだろう。俺たちに命令をするだけで、自分では何もできない男だ。
「現に魔族の目撃例は増えていたと聞くぞ! それに何の手も打たなかったのか!」
「調査が必要ですと報告書にすでに上げています。」
俺は低く答えた。
「『つまらぬ報告を持ち込むな、わしは忙しいのだ』――大隊長がおっしゃったはずです」
「……そんなことは記憶にない!」
上官は目をそらし、鼻息荒く言い放つ。
「とにかく、この事態はおまえの責任だ! わしからヴァルドリック様に報告しておく。沙汰を待つがいい。重い罰を受けることになるぞ」
やはりそう来たか。自分の責任を恐れて、全て俺に押しつけるつもりだ。拳を強く握りしめる。怒りで血が逆流しそうだ。だが、こいつに逆らえば審問機関が動く。俺の命だけでなく、部下たちの命まで危うくなる。
今は飲み込むしかない。時間もない。つまらない説教を聞いている時間が惜しい。
「それよりも、魔族はすぐそこまで迫っています。町が滅ぶ前に、早急なご決断を」
俺の必死の訴えに、上官はふんと鼻を鳴らした。
「まったく大げさな。そんなもの、おまえが片づければよかろう。前中隊長から報告を受けている。おまえは腕が立つのだろう?相手は頭の足りぬ蛮族にすぎん。少し脅してやれば、すぐに逃げていく」
報告すれば自分が責められるのを恐れて、なんとしても俺の責任にしたいらしい。
だが、奴の言う「頭の足りない蛮族」。あの森を埋め尽くす魔族の隊列を見た者なら、そんな言葉は口が裂けても出ないはずだ。あれは秩序ある軍だ。俺たちより整然とした隊列で、確実に進軍してきている。
「……簡単にはいかない」
心の中で、俺は低く呟いた。このままでは町は――滅ぶ。
大隊長の説教は――実に一時間も続いた。
その間にも魔族の軍は刻一刻と迫ってきている。一刻も早く、市民を避難させねばならない。俺はそのことを進言した。
だが。
「市民に魔族の進軍を知らせるだと? 馬鹿な!」
ミルバは机を叩き、目をむき出しにして怒鳴った。
「そんなことをすれば、あの愚民どもは恐慌状態になる! 暴れ出すか、勝手に逃げ出すか。収拾がつかん!市民は貴族と違って冷静な判断などできぬ。この件は絶対に秘密とする!」
言い分は理解できなくもない。確かに市民がパニックを起こせば混乱は広がる。だが、知らせずにどうやって生き延びろというのだ。
もういい。こいつらに期待するだけ無駄だ。俺はミルバの部屋をでて、南門に急ぐ。
俺は俺のやるべきことをやる。とりあえず、南門の守りを固める。それしかない。壊れた城壁は土嚢で補強し、門には鉄杭を打ち込む。一万の軍勢相手にどれほどの意味があるかはわからない。だが、やらぬよりはマシだ。
「おい、急げ! そっちは土嚢を二段重ねだ!」
部下たちはすぐに動いた。俺の隊は五十人ほど。だが、全員が修羅場を潜り抜けてきた猛者だ。命令が飛べば、一拍の遅れもなく作業を進める。――まったく、頼もしい連中だ。
だが、それでも勝つことは不可能。俺たちにできるのはただ、時間を稼ぐことだけだ。
一日? いや、稼げるのは、せいぜい数時間だ。それで市民が逃げ切れるかどうか。国軍の援軍が間に合うかどうか。そのわずかな希望に賭けるしかない。
他の小隊も続々と合流してきた。ざっと数えて二百。やはり平民騎士ばかりだ。
貴族たちはどこにいる? 後方で馬車に揺られているのか。まあいい。どうせ俺たちが破られた後、戦わざるを得なくなる。
俺は仲間の小隊長たちと見張り台に上がり、森の影を睨んだ。
「……あと一時間ってところか」
森の向こうで、確実に迫ってくる気配。ただの蛮族なら勢いに任せて突っ込んでくるだろう。だが、目の前にいるのは秩序ある軍。俺たちの戦力を見極めた上で、最適の作戦を立ててくる。
劣勢を悟られるわけにはいかない。俺たちに残された時間は――本当に、わずかだ。
「……さて、どう料理してやるか」
俺は仲間たちに視線を送り、作戦会議を始めるのだった。




