アルゴス王国第五王女セレス02
ぼくは辺境の砦ランガスに到着した。一緒に来たのは二千の兵といっても、ほとんどが徴募された平民ばかり。精鋭と呼ぶにはほど遠い。
──国は、ぼくたちを見捨てようとしている。そうとしか思えなかった。
それなのに、砦の将校や兵たちは「援軍」として歓迎してくれる。いや、正確に言えば──歓迎されているのは「王女様」という立場のぼくであり、兵士たちではない。ぼくたちの役目は、魔王軍に蹂躙されながら少しでも敵を削り、できれば情報を持ち帰ること。つまり、王都にとっては消耗品。
カナンの町に攻めてきたあの戦いは、魔王軍からの警告だった。そして王は、降伏勧告を突っぱねた。ならば今回の侵攻は──本気で叩き潰しに来ていると見て間違いない。
「セレス王女、遠路はるばるのご到着、感謝いたします」
馬車を降りたぼくに声をかけてきたのは、ラングレー家の長子、ルシアン。妙に気取った笑みで、戦場というよりは舞踏会にでも来ているかのような態度だった。
「いえ……ぼくでごめんなさい」
「いえいえ。王女が来られただけで兵たちは心強いものです。まずはお休みください。食事や飲み物を用意してあります」
……違う。今はそんなことより戦況だ。
「ありがとうございます。でもその前に、戦況を教えていただけますか」
「戦況……ですか? ええ、後ほど部下から報告を上げさせましょう」
「被害は?」
「二百人ほど失いましたが、ご安心を。全員平民です」
さらりと口にしたその言葉に、血の気が引いた。二千のうち二百。十分の一を失っているのに、この軽さ。……この人は駄目だ。見た目もチャラチャラしているが、それ以上に命の重さを理解していない。
「とにかく、作戦本部に案内してください。地図はありますよね?」
休んでいる時間なんてない。戦場では情報とスピードこそ命だ。
「まあまあ、慌てることはありませんよ。いざとなれば、王女とわたしだけでも逃げられるように手を打ってありますから」
……やはり。
幹部たちには危機感など欠片もない。砦が落ちれば全滅だというのに、自分たちだけは逃げ切れると思っている。そんなに甘いはずがないのに。
「いいえ、今は戦況の把握が必要です。いますぐ、作戦本部に案内してください」
ぼくは強く言い切り、ようやく将校たちを動かした。
──この砦で生き残るためには、ぼくが動くしかないのだ。
ぼくは作戦本部として使われている会議室に入った。
思った通りだ。机の上に地図は広げられているが、何の書き込みもない。
──この人たちに作戦なんてない。
「これまで、どのように戦ってきましたか?」
「ええ、砦の前に兵士たちを並べました。あとは突っ立たせておけば、勝手に戦ってくれますよ」
「……無策で兵を派兵した、ということですか」
「ははは、王女様、相手はただの魔族ですよ。突撃するしか能のない連中に、戦略なんて必要ありません」
カナンの町の戦いを知らないのか。今回の魔王軍は命令系統が整っていて、突撃するだけの烏合の衆ではない。このままでは、この砦は落ちる。
「たぶん、このままでは負けます」
「……王女様」
幹部のひとりが、鼻で笑いながら口を開いた。
「さすがに、王女様でも言っていいことと悪いことがありますぞ。我々は戦のプロです。魔族ごときに遅れをとるはずがありません。むしろ王女様こそ、これまで戦場に立たれた経験がおありで?」
「いえ、戦場に出るのはこれが初めてです。しかし、歴史をひもとけば分かります。これは負ける戦争です」
「はっはっは! 出ましたな、机上の空論!」
「歴史は繰り返されます。その積み重ねこそ知識であり、兵法なのです」
「素人は黙って見ていればよいのです」
別の幹部が椅子にふんぞり返って、ぶどうをつまむ。
「魔族なんて野蛮人の集まり。われわれが蹴散らしてご覧にいれましょう」
だめだ。この人たち。本気で、魔族をただの野蛮人としか見ていない。
「戦争は彼らに任せておけばよいのです。わたしたちの務めは、そのやり方の邪魔をしないことだけです」
ルシアンが、調子よさそうな声で取りなすように言う。
「よし、それじゃあ、ちょっとひと暴れしてきますか!」
幹部のひとりがやけに軽い足取りで部屋を出ていった。散歩にでも行くつもりなのだろうか。
ぼくはため息をつき、地図に手を伸ばす。
砦の周辺地形を指でなぞりながら、どう動けば最悪を避けられるかを考えるしかなかった。
ぼくは地図の上に指を這わせながら、必死に考えていた。どうすれば勝てるか。いや、どうすれば犠牲を最小限にできるか。けれど、ぼくには兵の熟練度も、魔法の力量もわからない。知らなさすぎる。
そのときだった。なにかが、頭に流れ込んでくる。めまい。視界が揺れる。
「……っ」
移動の疲れ?いや、ちがう。これは……。
目を閉じて、しばし耐える。けれど、直感が告げていた。これはただの疲労じゃない。
今は倒れている場合じゃない。ぼくは恐る恐る目を開いた。
世界が変わっていた。
机の上の地図の上に、光の粒が浮かび上がり、瞬く間に立体のジオラマを形作っていく。一キロ四方ほどの戦場。砦の周囲の地形、森や丘の起伏までもが克明に再現されている。
「なに……これ……」
それはただの模型じゃなかった。人影のような光点が動いている。兵士たち。魔族たち。将棋盤のような罫線。駒のように配置された部隊。
これは……わたしの頭の中に展開された、戦場そのもの!?
呼吸が荒くなる。でも、すぐに直感した。
これなら、作戦を立てられる。これなら……勝てる!
そのとき、ジオラマの一角で異変が起こった。
味方の騎馬隊が敵陣に深く突っ込んでいる。敵の歩兵……コボルトたちが散り散りに逃げ惑う。一見、勝っているように見える。だが、違う。
「……罠だ!」
わざと逃げて、誘っている。深入りしすぎ。騎馬隊を守る駒は、そこにはいない。
「戻ってください!罠です!」
ぼくは思わず叫んだ。
次の瞬間、奇跡が起こる。ジオラマの中の騎馬隊の駒が、ぼくの声に反応するように進軍を止め、向きを変えた。
「……届いた?」
本当に、わたしの声が届いたの?けれど、間に合わなかった。森の陰から、四方八方に魔族の軍勢が雪崩れ込む。騎馬隊は包囲され、光の駒は次々に掻き消されていく。ほんの数秒で、すべてが消滅した。
「……っ」
胸が締め付けられる。初めて見た。人が死ぬ瞬間を。でも、これはただの幻じゃない。本物の戦場だ。わたしは、戦場そのものを俯瞰している。まるで、神にでもなったかのように。
震える手を握りしめる。この力がなんであれ、もう迷っている暇はない。ぼくは……ポンコツ王女じゃない。みんなを守るための、唯一の目になるんだ。




