元宮廷料理長アントン・ウィリアムズ01
わしは、アントン・ウィリアムズ。かつて宮廷料理長を務めておった。
小僧の頃から厨房に放り込まれ、汗と油にまみれながら包丁を握った。料理はわしの天職であり、生きがいであり……すべてだった。才があったのだろう。四十を過ぎる頃には王の舌を満足させ、宮廷の頂点……料理長の座についた。
わしは信じていた。人間の体は食べたものでできている。料理こそが人の営みで一番尊いものだと。だからこそ、五感すべてに訴える料理を追い求めた。味はもちろん、香り、音、彩り、歯ごたえ。
野菜を宙に放り投げて包丁を走らせ、落ちてくる寸前に飾り切りを施す。魚を王の目の前でさばき、蒸気を立ちのぼらせながら仕上げる。それは演出であり、舞台であり……わしなりの"芸術"じゃった。
王や貴族は喝采した。大きな晩餐会では必ずわしが采配を任され、料理勝負をすれば負けなし。若い料理人にも技を惜しみなく伝えた。わしは誇らしかった。
……だが、ある日。
目の前に広がる皿の山。そこに盛られたわしの料理は、ほとんどが手つかずで残っていた。パフォーマンスは喝采を浴びても、肝心の味には誰も心を留めていなかったのだ。
次の日、わしは初めて"見せ物"ではない料理を王に差し出した。心血を注いで煮込んだ、魚の味噌煮。質素だが、魂を込めた一皿だった。
「……アントンよ。これは、どういうことだ」
王の眉がひそむ。
「はい、魚の味噌煮でございます。米は粒を揃え、魚も目利きで選び抜き……一切の妥協はしておりませぬ」
「手を抜いたのか?」
「いえ。これこそが、わしの最高の料理です」
「ふざけるな!」
王の怒号が響き、皿が床に叩きつけられた。味噌と出汁が絨毯に散り、香りがむなしく広がる。
「料理は見世物ではありません!」
わしは思わず口走った。
「王に口答えするか、この料理人風情が!」
側近たちが一斉に責め立てる。
……その日を境に、わしは宮廷を追われた。
諮問機関に引き渡され、罪人として鞭打たれ、拷問を受け……数日後に放免されたときには、すべてを失っておった。
街をさまよい、ふと立ち寄った食堂で出された料理を口にした。
「……まずい。なんという料理じゃ」
「なんだと、じじい! うちの味に文句つけるのか!」
店主が怒鳴る。
「しかし……味が、せんのだ。本当に塩や香辛料を使っておるのか?」
「あたりまえだ! 塩も胡椒も山ほど入ってる!」
……その瞬間、わしは悟った。
味覚障害。味そのものを、感じられなくなっているのだと。
神が与えた罰だろう。料理を芸に変え、人々の舌ではなく目を喜ばせてきたわしへの……報い。
それ以来、どれほど食べても、甘いも塩辛いも苦いも……何一つわからなくなった。
酒に逃げ、路地裏で文句ばかりを垂れ流し、気づけば"嫌われ者のじじい"になっていたのだ。




