04
これでやっと互角……。
だが実際には、まだ俺の剣術はベルアに及ばない。猫ちゃんの勇者魔法で強化されているとはいえ、積み重ねてきた地力まではごまかせない。
ベルアはゆっくりと立ち上がった。巨体の割に、その動きには淀みがない。完全に受け身をとっていたのだろう。ほとんどダメージがない。
俺は迷わず突っ込む。
剣と剣が交わるたび、光と闇が火花を散らす。だが、鋼そのものの勝負は互角だ。だからこそ勝敗を分けるのは技。俺とベルアの剣術の差だった。何度か斬り結ぶうちに、ベルアの顔色がわずかに変わった。
「……さっきと剣筋が違うな」
低い声が闇を震わせる。
「どういうことだ。教科書通りで予想しやすかった剣が……今は読めん。変幻自在、型がない。まるで獣人の剣のようだ」
……そうか。「猫ちゃんになあれ」を受けてから、身体が別物のように軽い。関節が柔らかく、動きが自然に流れる。しかも猫ちゃんの感覚がまだ残っていて、相手の動きが見える。予測じゃない、本当に「感じて」いる。
「野獣の剣……そういえば俺もかつて闘技場で戦ったことがある。だがな、すべて屠ってきた!」
ベルアは吠えるように剣を振り下ろす。
「知らねえよ。俺は猫ちゃんの力をもらってんだ!」
「猫……? なるほど。道理で出鱈目だ」
そういえば昔聞いたことがある。
「もしも動物が同じ大きさだったら、最強は猫だ」……そういう話。
鋭い爪、跳躍力、柔軟性、そして執拗さ。すべての動物を圧倒するらしい。
今の俺は、まさにその"猫"だった。
「……そろそろ終わりにする」
俺は息を吸い込み、全力で剣を振るう。光の斬撃が畳みかけ、ベルアを防戦一方に追い込む。
「……なるほど。おまえの力は理解した。だが、シャーリーも倒れた今、勝ち目は薄い。捕縛も不可能……ならば潮時だ」
ベルアは大きく跳躍し、距離を取った。
「待て!」
思わず声を張る。だが正直、追う気力は薄い。猫ちゃんの動きを借りたせいで、消耗も激しい。ここが限界か。
「待つにゃん!」
猫ちゃんがちょこんと前に出て、ベルアを呼び止めた。
……いや、いいんだよ猫ちゃん。ここで終わりにしようぜ。こっちはもうへとへとなんだ。悪いけど身体が動かない。
「なんだ」
ベルアが振り返る。
「勇者魔法……『しあわせになあれ』にゃん!」
猫ちゃんの肉球からふわりと光の玉が飛び出し、ベルアを包み込んだ。光は弾け、粉のように降り注ぐ。
「……なぜだ」
ベルアが低く呟く。
「哀しそうに見えたにゃん。シャーリーのときと同じにゃん」
一瞬の沈黙。
そしてベルアは、短く「……そうか」とだけ言い残し、踵を返して走り去った。
俺は呆然とその背中を見送る。結局、決着はつかないままだった。
……猫ちゃんのやることは、本当に理解できない。
だが、不思議とそれでいい気もしていた。
ベルアが去ったあと、広場にはしばしの静寂が訪れた。
崩れた瓦礫の上に腰を下ろし、俺は荒く息を吐く。全身の筋肉が悲鳴をあげていた。普段にない動きをしたんだから当然だ。
それにしても、無事に終わってよかった。
また追っ手は差し向けられるだろうけど、なんとかなる。あのベルアを退けたんだから。
その時、背後からかすかな足音。振り返ると、シャーリーがゆっくりと歩いてきた。仮面は外され、素顔のままだ。さっきまでの鋭い敵意はなく、代わりに何かを探すような目をしていた。
「……レオン。どうしてあなたは猫ちゃんと戦うの」
その声は、怒りでも憎しみでもなく、不思議なほど素直だった。
「どうしてって……俺は猫ちゃんに救われたからな。あのとき助けてもらえなかったら、俺の命も部下の命もなかった。その時に猫ちゃんと約束したんだ。世界を救うのを手伝うってな」
「世界を救う……そんなこと、本当にできるの?」
シャーリーは苦笑する。
「私は長い間、諮問機関にいた。いろいろなことを聞いたけど、この国を変えるなんて無理だわ。それに魔王の動きもある。……もうこの世界は終わっているの」
「ああ、そうかもな。でも、不思議なんだ。猫ちゃんがいると、何とかなる気がするんだよ」
その瞬間、猫ちゃんがぴょこんと跳び出して、シャーリーの足元に身体をこすりつけた。
「シャーリーもぼくたちといっしょにくればいいにゃん。ぼくは勇者かわいいにゃん」
「勇者……猫が、ね」
シャーリーは目を伏せ、そして小さく息をついた。迷いと、ほんの少しの希望が混じった溜息だった。
「……こんな私でも、変われるのかしら」
「変われるにゃん。だってもう、呪いは消えたにゃん」
猫ちゃんは屈託なく言う。
シャーリーはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「人間ってどうしようもないものだけど……猫ちゃんが勇者なら、どうにかなるのかもしれないわね」
「では、契約するにゃん!」
猫ちゃんは後ろ脚で立ち上がり、前足を突き出す。
そこに光の球が現れ、シャーリーを包み込む。俺の時と同じだ。
やがて光の中から一本の杖が現れ、彼女の手に収まった。
「これで、シャーリーもぼくの下僕にゃん! 一緒に世界を救うにゃん!」
「下僕って言葉は気に入らないけど……まあいいわ。どこまでできるかわからないけど、やってみる価値はありそうね。勇者かわいい。よろしく」
シャーリーはかがんで猫ちゃんの頭を撫でた。その顔に浮かんだ笑みは、氷が解けて水になるように、柔らかで温かだった。
こうして、俺たちの旅路に新しい仲間が加わった。
氷の魔女……シャーリー。
その瞳には、少しずつ、凍っていた心が溶けていく気配があった。
「おい、じじい。腹が減ったな」
「ああ。そうじゃな。そろそろ飯にするか。宿の飯……なんじゃったかな。外で食うのもいいな」
じじい、なんのためにパーティに入ったんだよ。
「お前が作れ。元料理人だろ!」
「いや、わしは……」
アントンの表情がふっと曇る。
「ごはんを作るにゃん。アントンはごはんをつくるの上手にゃん!」
猫ちゃんが元気よく背中を押す。
「……そうか。じゃあ、何か作ろうかの」
俺たちは市場で買い物をして、宿に戻った。
宿では厨房を借りて調理することができる。アントンは包丁を握ると、急に顔つきが変わった。手際は驚くほど鮮やかだ。
「できたぞ」
テーブルに並べられた料理は、彩りも盛り付けも完璧。
「おいしそうね!」
シャーリーが目を輝かせる。確かに、見るからに食欲を誘う。
「いただきます」
パンをちぎり、羊肉のソテーを口に入れる。……ん?
「……微妙ね。食べられなくはないけど、味が薄すぎるわ」
シャーリーがきっぱりと感想を述べる。
「ああ、確かに味が薄いな。じじい、宮廷料理人だったよな?」
俺は醤油を手に取り料理にかける。
「元……宮廷料理人じゃよ」
アントンはゆっくり首を振り、下を向いた。
「……今のわしはな、何を食っても味がせんのじゃ。塩辛いのも、甘いのも、苦いのも……もう、全部わからん」
その声は、小さく震えていた。栄光の裏にある失われたものが、ちらりと顔を出す。
「おいしいにゃん! おいしいにゃん!」
猫ちゃんが突然、テーブルの上で前足をばたつかせる。
「このお肉のゆで加減、全然ぱさぱさしてないにゃん! やわらかさも最高にゃん! アントンは天才料理人にゃん!」
「……え?」
「猫はな、人間みたいな味付けはあかんのじゃ。塩分も香辛料も毒になる。
だから肉も魚も、焼くか、ゆでるか、生のまま。……それだけでええんじゃ」
アントンは少しだけ笑った。けれどその笑みは、どこか寂しかった。
……なるほど。
このじじい、猫専属の料理人だったのかよ。
じじいの悲しそうな目に場の空気を和ませようと、突っ込みかけた言葉を、俺は飲み込んだ。




