03
目の前の男……暗黒のベルア。顔に走る入れ墨と、まとう闇。
ただ対峙しただけで、背筋が冷たくなる。さっきのゴルドンやヴェルフとは別格だ。いや、きっと俺とも別格なのだろう。
ベルアはゆっくりと剣を抜く。
俺の騎士剣の倍はある大剣。その刃に闇が絡みつき、黒い炎のように揺らめいていた。
近づけば切り裂かれる。離れれば踏み込まれる。懐に潜り込むことすら困難だ。
それでも、俺は剣を抜いた。猫ちゃんにもらった剣……光の刃を宿す剣。かつて魔王軍との戦いで、仲間を守り抜いた剣だ。この剣を握っている限り、大丈夫だと信じられる。
「がんばれ、にゃん!」
背後から猫ちゃんの声。勇者魔法が俺を包む。身体が軽く、視界が澄む。
あの時と同じだ。心の底から力がわいてくる。
「いくぞ!」
俺は挑戦者として前に出た。速さで勝負するしかない。
渾身の突きを放つが……ベルアは紙一重で避けた。
避けた瞬間、大剣がうなりを上げて横薙ぎに振り抜かれる。
空気が震えるほどの一撃。
ぎりぎりで身をそらし、砂煙を巻き上げながら後退する。
重い……!一撃一撃が斬撃というより大地を砕く衝撃だ。剣技の正確さでいえば俺も引けはとらない。だが、ベルアはその上で何百、何千と命を奪ってきた修羅場を経験している。
殺すためだけに研ぎ澄まされた剣。型などない。だが、その無軌道こそが恐ろしく鋭い。
「なかなかやるな」
ベルアが低く笑った。
「正確な剣戟だ。だが……怖くはない。この程度の剣士は数えきれぬほど葬ってきた」
胸が熱くなる。恐怖か、それとも闘志か。
「たしかに、おまえの方が上だ。だが……俺には猫ちゃんがいる!」
「猫……? さっきの毛玉か」
「そうだ。あいつは俺を支えてくれる。戦争のときも、絶望の中で俺を立たせてくれた。猫ちゃんがいる限り……俺は負けない!」
「馬鹿なことを」
ベルアの瞳が闇に光る。
「氷の魔女すら、あの猫は恐れているようだな。ならば……倒した後で処分してやろう」
「させねえよ!」
俺は剣を構え直す。青白い光と黒い闇が、互いに相手を押しのけるように揺らめく。
二度目の衝突……。
勇者の剣と暗黒の大剣が、轟音とともにぶつかり合うのだった。
今度はもっと速く。猫ちゃんの力で身体能力は限界を超えている。
ここで仕留めなければ意味がない。もったいぶっている暇なんかない。
俺は一気に間合いを詰め、全力の斬撃を振り抜いた。
ベルアの大剣より俺の剣の方が軽く速い。速さで押し切れる……はずだった。
だが、ベルアはその巨体に似合わぬ鋭さで応じる。
俺の剣と大剣がぶつかり合う。
瞬間、手に伝わるのは金属の衝撃ではなく……光と闇そのものの激突だった。
爆ぜるような反発力に、俺の身体は後方へ弾き飛ばされる。
同時にベルアも数歩下がった。
……力負けじゃない。これは体格差だ。
猫ちゃんの力は、まだ負けていない。
息を整える暇もなく、すぐに地を蹴って突進する。
ベルアも応じる。
再び剣と剣が激しくぶつかる。
……腕が折れそうだ。衝撃が骨まで響く。耐えろ。耐えるんだ。
何度も、何度も、剣と剣が交錯する。
光と闇がぶつかるたび、地面が震え、視界が白黒に染まる。
互角……いや、少しずつ押されている。飛ばされるたびに衝撃は俺の身体を削り、呼吸が荒くなる。
「……なかなかやるな」
ベルアが低く笑う。
「ここまで手こずるとは久しぶりだ。だが……終わりにしよう」
その目が深い闇に沈んだ。ベルアは剣を上段に掲げる。
刀身の先から黒い靄があふれ出し、瞬く間に辺りを覆っていく。
「奥の手を見せてやる。闇魔法……『暗黒界』」
言葉と同時に世界が闇に閉ざされる。
視界が消えた。大地も空も、ベルアの姿すら。
残ったのは、ただ濃密な闇と自分の鼓動だけ。俺はその中心に、ひとり取り残された。
闇が広がった瞬間、肺まで圧し潰されるような重さが襲う。これはただ暗いのではない。光そのものを拒み、存在を削り取る闇だ。上下左右の感覚すら失われ、足場を踏んでいるのかさえ怪しい。
「ここは俺の領域だ。……おまえに俺を捕らえることはできん」
ベルアの声が四方八方から響く。近いのか遠いのか、判別もつかない。
次の瞬間、正面に圧のような気配。反射的に剣を振り上げる。衝撃は弱い……防いだ? 偶然にすぎない。
「ほう……見えぬはずだが、避けられたか。だが二度目はないぞ」
そうだ。今のは音と風を頼りにしたまぐれだ。
しかも、闇に力を注いでいる分、ベルアは自らの肉体強化を解いている。攻撃はわずかに鈍っている……だが、その分読みにくい。
このままでは、じり貧だ。
「レオン! 大丈夫にゃん!」
かすかに、闇の中で猫ちゃんの声が響く。
「ぼくには見えるにゃん。その目を貸してあげるにゃん……勇者魔法『猫ちゃんになあれ』!」
そのとたん、柔らかい光が胸に流れ込む。
次に目を開いたとき、世界がまるで違っていた。
見えているわけじゃない。音、匂い、空気の震え……無数の感覚が組み合わさり、像を結ぶ。
これが……猫の感覚。
「猫ちゃん……ありがとな」
耳を澄ます。ベルアが息を殺して背後へ回り込もうとするのが、手に取るようにわかる。振り下ろされる気配……だが遅い。
俺の身体が羽のように軽い。大きく跳躍し、塀を飛び越える猫の身軽さで攻撃をかわす。
そのまま反撃の一閃。光の剣が闇を切り裂き、ベルアの大剣を弾き飛ばした。
巨体がよろめき、大きく後方へ弾き飛ばされる。
「な……この闇の中で、俺の姿が見えるのか!?」
ベルアの驚愕が闇に響いた。
「見えるさ。俺には……勇者猫ちゃんがついてるからな!」
ベルアは舌打ちをし、手を振り下ろす。
「……小細工はここまでだ!」
暗黒界が消え、光が戻る。目に突き刺さるほど眩しい。
ベルアの身体に再び闇がまとわりつく。だが、さっきより薄い。暗黒界で力を使い果たしたのだ。
「今だ!」
俺はためらわず踏み込む。猫の加護で速く、深く……ベルアの懐へ。
光の剣を振り抜き、渾身の一撃を叩き込む。
轟音。
ベルアの巨体が宙を舞い、背後の壁に叩きつけられるのだった。




