02
ミネルバの街道を進んでいると、唐突に背筋を冷たいものが走った。
肌が粟立つ。……これは、ただの勘じゃない。
猫ちゃんは尻尾をぴんと立て、まるで獲物を見つけた猛獣みたいに前へ進んでいく。
やがて、道の先に黒い影が四つ。
……異形。
全員が黒いマントをまとい、胸元には同じ紋章が縫い込まれている。
俺はその紋章を知っていた。騎士団時代、何度も耳にした名。・・・・・・拷問機関。
彼らは罪人を狩り、ねじ伏せ、必要ならば拷問し、殺す。
そのすべてが「正義」として許される。国王の直轄。つまり……絶対権力の影。
その四人は、まるで悪夢から抜け出したかのようだった。
ひとりは岩石のように分厚い巨漢。呼吸をするたび胸板が鉄壁の城門のように膨れ上がる。
ひとりは痩せ細った死神めいた男。歩くたびに衣の下から刃物がガチャガチャと不協和音を響かせる。
ひとりは刺青に覆われたスキンヘッドで、立っているだけで空気が澱み、腐臭すら漂わせていた。
そして最後に……仮面をつけた女。氷の刃みたいな眼差し。表情は見えないのに、皮膚の下まで見透かされるような寒気を覚える。
……これが、拷問機関の精鋭。
悪名は知っていたが、実物はもっと不吉だった。
周囲の通行人たちも異変に気づき、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
気づけば、この街道に残っているのは俺たちと……奴らだけ。
「おい……なんじゃ、あれは」
アントン爺さんが目をこすりながらつぶやく。
「あれは拷問機関だ。関わっちゃいけない」
俺は声をひそめる。
「なに? ただの黒マントじゃろ。腰抜けめ。わしがひとひねりして……」
「やめろっ!」
俺は慌てて爺さんの腕を掴んだ。本気でこいつらに手を出したら、ただじゃ済まない。
騎士団時代、彼らのやり口は嫌というほど耳にしている。目的のためなら、民家ごと焼き払うことも平気でやる。
"必要なら殺してもいい"。そういう権限を持った連中だ。
……絶対に戦いたくない。
そう願った矢先、黒マントたちの動きが変わった。こちらを認めると同時に、獲物を狩る獣のように地を蹴って駆け出してくる。
「ちっ、みつかったか……!」
あっという間に距離を詰められる。先頭に立つのは刺青だらけのスキンヘッド。異様に長い影を落としながら、俺の前に立ちふさがった。
「……おまえが、レオン・ハートランドだな」
低く湿った声が響く。
俺は……無意識に剣の柄を握りしめていた。
「レオン・ハートランド。おまえには逮捕状が出ている」
刺青のスキンヘッド……ベルアと呼ばれた男が、俺を射抜くように見据える。
「罪状は、英雄を気取り、民を扇動したこと。おとなしく諮問機関の詰所に同行してもらおう」
諮問機関。そこに連れて行かれたら最後、どんな濡れ衣でも「自白」に変えられ、処刑台へまっしぐら。俺はまだ死ねない。猫ちゃんと仲間を集め、この世界を立て直す使命があるんだ。
「待て。俺は何もしていない。ただ魔王軍と戦っただけだ」
「……それを王は疑っている」
ベルアの口調は淡々としていたが、冷たい刃物のように突き刺さる。
「なぜ南側だけは被害が少なく済んだ? おまえの守った領域では騎士団は一部の犠牲で済んだが、北の本隊は壊滅に近い。そして……ヴェルドリック辺境伯の首が王宮に届けられた」
嫌な汗が背中を伝う。
「偶然だ」
「本当にそうか?」
ベルアの瞳が俺の内側をえぐるように光った。
「なら、なぜ逃げた」
「それは……」
……猫ちゃんの下僕になって魔王を倒すなんて、言えるわけない。
「とにかく、リビエラの詰所でゆっくり話を聞こうじゃないか」
ベルアが一歩近づく。
「ダメにゃん!」
猫ちゃんが俺の足元から鋭く鳴いた。
「こいつらはウソをついているにゃん! オーラが真っ黒にゃん!」
そうだ。猫ちゃんには人には見えないものが見える。
……もう逃げられない。戦うしかない。
「悪いが……俺はおまえらにはついていかない」
「そうか。ならば力ずくで連れていくまでだ」
ベルアが冷たく言い放つ。
「おい、やれ。多少は痛めつけても構わん」
「そうこなくちゃな!」
巨漢のゴルドンが嬉々として前に出る。
「腕と脚の一本ずつ、折っても文句はないんだな?」
「ああ。ただし殺すな。生きてさえいれば十分だ」
「心得た!」
ゴルドンの口元が裂ける。戦いを楽しみにしている目だ。
俺は剣を抜いた。
だが、その前に一人の影が進み出る。
「どけ、じじい!」
俺は叫ぶ。
立ちふさがったのは……料理人アントン・ウィリアムズ。
大鍋を肩に担ぎ、鼻息荒くゴルドンを睨みつけている。
「料理は格闘技なんじゃ!」
アントンの吠え声が街道に響いた。
……やめてくれ。
本当におまえはネタキャラなんだ。勝てる相手じゃない。
俺は頭を抱えた。
「おまえの相手は……わしじゃ!」
じじいが前に出る。
「名を名乗ろう。わしはアントン・ウィリアムス。元・宮廷料理長じゃよ」
「……は?」
ゴルドンが呆けた声を出す。
「わしは勇者かわいい殿の下僕となり、勇者パーティの一員となった!」
「だからなんだ」
「だから! おまえたちにレオンを渡すわけにはいかんのじゃ!」
じじいは拳を震わせる。
「わしも拷問機関に捕まったことがあるからな。あそこは地獄じゃ。メシはまずいし、量も少ない! 税金であんな施設を運営するとは……神への冒涜じゃ!」
「……ベルア。殺していいか?」
「ああ。逮捕するのはレオンだけでいい。老害を処分しろ」
「任せろ。ぐちゃぐちゃに潰してやる」
ゴルドンが拳を鳴らす。
「ふっ……見せてやろう」
じじいは右手におたま、左手にフライパンを構えた。
さらに、いつのまにか鍋を兜のように頭にかぶっている。
おい。なんでだよ。相手を笑わせようとしているのか。
……と思ったら、ゴルドンの顔が真っ赤だ。
本気で怒ってやがる。そうだった。このじじい、ヘイト集める才能だけは一級品だった。
「いくぞぉっ!」
ゴルドンが丸太のような腕を振り下ろす。
がしゃん!
フライパンが盾のようにその腕を受け止めた。普通ならフライパンごと粉砕されるはずなのに……なぜか弾き返されたのはゴルドンの拳だった。
「なっ……!」
「元来、厨房は戦場なんじゃ」
じじいはドヤ顔で言い放つ。
「荒くれものどもがフライパンを奪い合い、包丁を突き立てる! そんな場所でわしは頭を張ってきたんじゃ」
いやいやいや、どこの厨房だよ。
「そんな修羅場で、若いもんに言うことをきかせるにはな……こうするんじゃ!」
お玉を振り上げ、すごいスピードで踏み込む。
ガツンッ!
お玉で顔を殴られ、ゴルドンが横に吹っ飛んだ。
「……今の時代ならパワハラだよ」
俺は思わずつぶやく。
「な、なんだ貴様は……!」
ゴルドンがよろめきながら立ち上がる。
「ただの料理人じゃよ」
アントンは仁王立ちして言い放つ。
「何十年も毎日、包丁を振り、鍋を振り、食器を洗い……その積み重ねがこれなんじゃ。料理は格闘技なんじゃ!」
どや顔してるけど。一ミリも理解できねえ。
その後も、ゴルドンは何度も殴りかかるが、ことごとくお玉とフライパンで弾かれ、最後はフライパンで脳天をガツンと叩かれ、気絶した。
「ふぅ……ちと疲れたわい」
じじいは肩で息をしながら後ろへ下がる。
「わしは年寄りじゃからな。すこし休ませてもらおう」
おい。顔色悪いぞ。
咳き込んでるし。おえーとか言ってるし。やっぱりスタミナに難ありかよ。
……まあ、ツッコミどころだらけだが、ひとまず一人倒してくれたのは事実だ。
残り三人。次は……痩せぎすの男が前に出てきた。
「ふふ……わたしが切り刻んであげますよ」
なんだ、この不気味な気配は……。
さっきのゴルドンは、じじいの謎パワーでどうにかなった。
でも目の前のこいつは違う。本物だ。
俺は剣を抜き、距離を詰める。だが隙がない。
「……名乗ろう。わたしはヴェルフ。人はわたし『死神』と呼ぶ」
「見た目通りだな」
「ええ。死を招くことこそ、わたしの天職ですから」
次の瞬間、ヴェルフの姿が霞んだ。
細身の体からは想像できない速さ。両手の細剣が閃光のように迫る。
俺は正眼に構え、剣で受ける。しかし、止めきれない。
両腕に浅い切り傷が刻まれていく。
「くっ……速い!」
しかも妙に身体がだるい。視界がにじむ。
傷から、力が抜けていく感覚……これは……毒か。
「お気づきのようですね」
ヴェルフが冷ややかに笑う。
「わたしの刃には毒を塗ってあります。通常なら即死級ですが……今回は"生かして捕らえろ"との命令。ですから、痺れ毒で我慢しているんですよ」
毒……やっぱりか。
このままじゃ戦えない……猫ちゃんとの約束が……。
……その時。視界の端で、金色の毛玉が飛び跳ねた。
「勇者魔法『いのちをだいじに」にゃん! 」
猫ちゃんが後ろ足で直立し、両前足を広げて宣言する。
次の瞬間、光の粒子が俺の体に降り注いだ。
……軽い。さっきまでのだるさが嘘みたいに消えている。
解毒だけじゃない。体の奥から力が蘇ってくる。
「な、なぜ?」
ヴェルフの双眸が揺れる。
「毒は確実に回っていたはず……」
「ああ、でも猫ちゃんが助けてくれた」
「解毒……? ふふ、ならばまた別の毒で刻むまで」
ヴェルフの双剣が、再び殺意の光を放つ。
俺は必死に剣で受け止めた……その瞬間、ヴェルフが不意に口をすぼめ、吹き矢のように細い針を吐き出す。
狙いは俺の目。剣で受け止めているこの体勢では避けられない。針がまっすぐ飛ぶ。勝ち誇るヴェルフの笑み。
「これぞ猛毒。刺されば一瞬で……」
瞼にかすかな衝撃。……しかし、痛みはない。
「……おかしい。確実に命中したはず……」
「いや、刺さってないが」
「なに?」
ヴェルフの表情が揺れる。だがすぐに次の攻撃。
膝蹴りが鳩尾にめり込み、そこに仕込まれた刃が閃く。
「これで終わりです!」
が、鈍い音が鳴っただけ。刃は俺の皮膚を破れず、火花を散らして弾かれた。
「ど、どういうことだ……!?」
続けざまに投げナイフ。俺は手のひらで受け止める。
しかし刃は鉄壁の壁に弾かれるように、カランと落ちた。
……そうか。猫ちゃんの『いのちをだいじに』は解毒だけじゃない。まるで鋼鉄の鎧を纏ったみたいに、俺の肉体を守っているんだ。
動揺するヴェルフ。その隙を見逃すわけにはいかない。
「終わりだ!」
俺は剣の柄でヴェルフの腹を叩き込む。呻き声とともに、死神はその場に崩れ落ちた。




