カナン地方領主ヴェルドリック02
あいつら(平民騎士団)はせいぜい時間を稼いでくれるだろう。もう親衛隊、騎士団本隊、貴族の家族と使用人、有力な商人たちは馬車で町を抜けた。あとのカナンの住民など全滅だ。
魔王軍を平民ども二百で止められるわけがない。平民など使い捨てにすぎん。全滅してもまた雑草のように生えてくる。
それより大事なのはわしだ。わしが生き残ればよい。
次はミネルバの町で迎え撃てばいい。蛮族どもなど数だけの烏合の衆。簡単に退けられる。
王への報告も難しくはない。あの平民騎士団長、レオンにすべての責任を押しつければいい。そういう時のために、わざわざ平民風情を中隊長にしてやったのだからな。
死んでおればなお好都合。死人に口なし──都合のいい盾よ。
……ふと、耳障りなざわめきが聞こえてきた。
「妙に騒がしいな。なんだ、外で」
わしは隣に座るミルバに声をかけた。
「見てこい」
「かしこまりました」
ミルバは素早く馭者席に向かう。
「おい、何を騒いでいる! 静かに馬を走らせろ!
ヴェルドリック閣下がお怒りだぞ!」
がなり立てる声のあと、妙な沈黙。
次の瞬間、馬の悲鳴とともに馬車が大きく揺れた。
「な、なんだ!? 止まれ! 誰か状況を報告しろ!」
窓の外を見ると、黒煙と炎。護衛の親衛隊の陣形が崩れ、次々と地に伏していく。矢だ。雨のような矢が降り注いでいる。しかも……正確だ。
「ば、馬鹿な……! 魔族がここまで!? 森もない平原で、どうやって──」
わしの声はかき消される。炎の弾が一台前の馬車を直撃し、木片と血肉が飛び散った。
悲鳴を上げた使用人が炎に包まれ、転げ回りながら倒れていく。
「おのれ……! 守れ! わしを守れえぇぇっ!」
だが親衛隊三百のはずが、わずかな抵抗ののち次々に崩れていく。
いつも威張っていた騎士団本隊も同じだ。鎧を叩く音と断末魔が重なり、耳を劈く。
「ま、待て! わしはヴェルドリックだぞ! カナン領主だぞ! 貴様らごときに殺されるわけが──」
言葉の途中で、馬車の屋根が吹き飛び、漆黒の影が舞い降りた。
獣のような瞳が、わしを獲物のように見下ろしている。
「な、なんだお前は」
わしは震える声で目の前の影に問いかけるのだった。
「みーつけた。おじさんはヴェルドリックだよね? 人間の軍の大将だよね?……いやぁ、こんなデカくて目立つ馬車に乗ってたら一発でわかるでしょ。ねえ、バカなの?ほんもののバカなの?」
楽しそうに声をかけてきたのは、蝙蝠のような翼に黒い羊角を生やした少年の姿をした魔族だった。真紅の瞳は子供特有の無邪気さに残忍さを混ぜたような色をしている。虫の足を千切って遊ぶような、底の知れぬ悪意。
「親衛隊! 騎士団! 曲者だ、直ちにひっ捕らえろ!」
「無理無理。もうだいたい殺しちゃったし、残りは怖がって逃げたよ」
「な、何だと……。お、お前は誰だ」
「ぼくは魔王軍幹部、四天王のひとり……悪魔族殲滅のアルビレラさ」
「魔王軍だと? ならば今ごろはカナンの町を攻めているはず……!」
「うん、それは囮。南を襲えば、人間は頭を北に逃がすって魔王様の読みどおりだったんだよ。あとは逃げた頭を捕まえれば、戦争は勝ち。……ねえ、バカなの?おじさん、ほんとにバカなの?」
……すべて読まれていた。王都の連中は「蛮族は頭脳戦に弱い」などと笑っていたが、全然違う。敵には恐ろしい知略家がいる。
「とりあえず、馬車止めてゆっくりお話ししようか」
アルビレラが軽く手を振ると、馬が悲鳴を上げて転倒した。
馬車はがたがたと揺れ、やがて泥道に横転する。
「……それで、わしになんの用だ」
必死に声色を整える。相手は子供だ。うまく言いくるめれば……。
「決まってるよ。軍隊って、頭を倒したら勝ちなんでしょ? だからお前を倒しに来たんだ」
「ま、待て。わしの負けでいい。魔王軍の勝ちでいい。命だけは……」
「えぇー?つまんない。ぼくも四天王だから強いんだよ。人間の大将って一番強いんでしょ? ねぇ戦おうよ。試してみたいなぁ」
「……いや、わしは武人じゃない。わしの武器はここだ」
額を指さして強がる。
「ぷはっ……! やっぱり魔王様の言うとおりだ。頭脳派って言えば聞こえはいいけど、ただの腰抜けじゃん。ねえ、おじさん。バカなの?」
アルビレラは顔を寄せ、わしを見下ろす。
……このガキ。虫酸が走る。わしは昔から子供というやつが大嫌いだ。
「じゃあさ、逃げてみてよ。その武器の"頭脳"で。数えてあげる、10……9……8……」
「ミ、ミルバ! 何とかしろ!」
取り巻きの部下を叫んで盾にする。
「あー、あの小さいでぶのおっさん? 馬車が止まった瞬間に逃げてったよ。まあ今頃、ぼくの部下にズタズタにされてるんじゃない? だってあれ、ゴブリンより弱そうだったし」
「7、6、5……」
……くそ、仕方がない。
わしはミスリルの剣を抜き放ち、突きを繰り出す。これなら!
「……ぷっ。おじさん、それ本気? そのへなちょこ突きじゃ、ゴブリンの子供すら刺せないよ」
アルビレラは笑いながら指を折って数える。
「4……3……2……1!」
「ま、負けを認める!」
わしは膝をつき、額を泥にこすりつける。生き延びさえすればいい。
「はぁ? なにそれ? そんなので許してもらえると思ってるの?ぼくね、怒ってるんだよ。期待してたのに……つまんない戦いさせられてさ」
バシッ!
悪魔の蹴りを受けて、わしの身体は宙に浮き、馬車の残骸に叩きつけられる。
「ひ、ひぃぃ……! 殺すな、殺さないでくれ! なんでもする、なんでもするからぁ!」
わしは失禁と脱糞を同時にしながら、泥にまみれて命乞いする。
「うん、殺さないよ。魔王様がおじさんから"聞きたいこと"があるんだって。だから生きて連れて来いって命令なんだ。でも……死なない程度に、いっぱい痛めつけるけどね。だって、ぼくまだ怒ってるんだよ」
アルビレラは笑いながら、耳を裂くような甲高い声で哄笑するのだった。




