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午後遅くにスタリナール邸を出た馬車は王都に向かっていた。
「その…… 黙っていて済まなかった。
隠すつもりはなかったんだが」
馬車に乗り込んでから黙り込んだままだったお父さまが街壁の門を潜って暫くしてようやく口を開いた。
「ううん、いいの。
グレンから聞いたわ。
お父さまには、話のできるほどの叔父様の思い出なんてなかったって」
弟が赤ん坊だった頃に家族と離れ、幼い頃からほとんどの時間を王太子の傍らで過ごしたお父さまに、家族の記憶や情がなくても不思議じゃない。
ましてや、その人が亡くなっているとなれば尚更。
そんな淋しい過去がお父さまにあったなんて思いもしなかった。
なんとなくだけど、娘に対するあの溺愛っぷりの理由も理解できた気もする。
そうこうしているうちに、馬車はおばあ様の邸のエントランスに走りこんだ。
「お久し振りです、母上。
息災そうで何よりです」
「ヘルナン、あなたも…… 」
お父さまが儀礼的に挨拶しているのは見え見えで、応接室で瑠璃さんと晶さんと一緒に迎えてくれたおばあ様もなんだかそっけない。
暫く顔を合わせなかった家族というよりも、他人同士が商談に集まったみたい。
「お父さま、ご紹介しますわ。
叔父様のお嬢さんの藍方瑠璃さんと、そのお義兄様の晶さん。
晶さんは瑠璃さんが養女になった御家の息子さんだそうよ」
おばあ様は口を開いてくれそうにないから、あたしの方から紹介する。
「瑠璃さん、わたしのお父さまよ」
「はじめまして、伯父様。
藍方瑠璃です」
瑠璃さんはぺこりと頭を下げる。
「話に聞いていたとおり、髪も瞳の色もロイ譲りだね。
長いこと放っておいて済まなかった」
昨日の内に調べを済ませていたんだろう。
お父さまは瑠璃さんの顔を見るなり、すんなりと受け入れたみたい。
「ロレッタ、悪いけど私はおばあ様と話があるから、暫く待っていてくれるかな? 」
「ええ、ではお庭か音楽室で待たせていただきますわ」
そういわれたのでとりあえず席を外す。
王都の街中にあるこの家は、それほど大きくはない。
庭だって言い訳程度で、応接間に面しているから、ここは移動するとしたら二階の音楽室かな?
急ぐ必要もないからゆっくりと階段を上る。
音楽室に入ると同時に晶さんが追ってきた。
「ヘルナン氏に話を通してくれて、ありがとう。
助かったよ」
晶さんは姿勢を正すと丁寧にあたしに頭を下げた。
「だって瑠璃さんには当然の権利でしょう?
お役にたててよかったわ」
「いや、僕も助かったんだ。
これでやっと国に帰れるよ」
そうだった、問題が片付いた今、この人もう直ぐ帰国してしまうんだよね。
そう思うとなんだかあたしの気持ちが曇る。
「すっかりお世話になったのに、何にもお礼できないのが、心苦しいよ」
「お礼なんて…… 」
あたしは首を横に振る。
お礼なんて考えていなかったんだけど。
だけど……
不意に突拍子もないことを思いついてしまった。
本当にありえないくらい、非常識なことだけど今なら……
普通に考えたら、絶対にお願いなんかできないけど。
「じゃ、せっかくだからひとつだけ」
「いいよ。
僕にできることなら」
晶さんが小首を傾げる。
「お願いします。
わたしを……て下さい」
恥ずかしくて、小声にはなるし、顔に血は上るし、冷や汗は出るし……
「え、っと。
よく聞えなかったんだけど? 」
聞き返されたって、恥ずかしすぎてもう一度なんて言えないよぉ。
だけど、言えなければ、伝わらなくて、伝わらなければ、このままうやむやになって、終わってしまう。
あたしの顔を覗き込むように接近した晶さんの顔に両手を伸ばすとその顔を引き寄せ、唇に唇を寄せる。
「結婚して、下さい」
かすかに触れた後、晶さんの頭を抱え寄せ、耳元でようやく絞り出した。
「ロレッタ、ちゃん? 」
後頭部に回ったあたしの腕を強引に引き離し、晶さんは呆然とあたしを見つめる。
「冗談が過ぎるよ? 」
そして困ったように言う。
「冗談なんかじゃないの。
もちろんからかっているわけでもないわ」
あたしは晶さんを真っ直ぐに見詰める。
わかっちゃったんだもの。
この人の隣に居るとどうして心地いいのか。
どうしてこの人に笑顔を向けられると嬉しいのか。
食べてもらう相手がこの人だと思うと、お料理するのも苦じゃないのか。
あたしは、この人、晶さんが好きなんだって。
「何言っているんだい?
君にはもう婚約者がいるだろう? 」
「婚約者なんて、まだ決まって…… 」
そういえば、この間のケネスのあの行動。
晶さんにはしっかり見られていたんだよね。
「あれは、単なる挨拶なんだけど。
もしかして、あのキスの意味知ってた、の? 」
「うん、ここへ来てはじめての夜会へ出席するときに夫人に教えてもらった。
この国では人前でキスやハグをしていい相手は婚約者だけだから、注意しなさいって」
「……その、ケネスとは子供の時からの付き合いで、一応婚約者候補の一人にはなっているけど、まだ正式に決まっているわけじゃないの。
だけど、わたしは…… 」
もう、決まったも同然だなんて言えない。
「親の決めた婚約者は気に入らない、ってところかな? 」
「ケネスとはいいお友達よ。
だけど、それ以上には思えないって言うか、思いたくないって言うか…… 」
しどろもどろに口にする。
絶対にお婿さんにしたくない人物だとは言えないよね。
「だからって、そんな言葉軽はずみに口にしてはいけないよ」
優しい表情で言ってくれる。
向けられたその表情もいとおしくて。
ずっとこの顔を見ていたいって思う。
それがダメなのはわかっている。
だから、ダメもとで言ってみた。
実際に結婚は無理でも、そういうことにすれば晶さんが帰国する時に、この国から連れ出してもらえるかもってかすかな期待も持って。
この国を出てしまえば、ケネスのところに嫁がされることもない。
だけど、この様子じゃ、晶さん、冗談でも同情でもあたしのお願いきいてくれるつもりはないよね。
思わず、涙がこぼれた。
「ロレッタちゃん?
だから、君のことは嫌いじゃないけど、こういうことは、ね? 」
あたしの涙を目に晶さんが慌てる。
「っ、お願い。
もう、あとがないの。
もう、わたし…… 」
止めようと思って唇を噛み締めても涙が湧きあがって、目から零れ落ちる。




