第三章〜失うもの〜(9)
「……そんなっ……。」
ぽつりと呟く台詞にも覇気がない。
サートの手からは、既に無数の透明な液体が触覚のように手の皮を破って顔を覗かせていた。それが何を意味するのか、言うまでもなく理解できるだろう。
サートは天井を見上げて、声を上げながら笑った。いや、笑うしかなかった。ただ空しくテントに笑い声が響きわたる。
――憎むがいい――
頭に直接高い声が話しかけてくる。サートが「誰を?」と頭の中で返すと、声は答えた。
――あのラジウとかいう小僧を。憎めばいい。――
「なぜ?」
――あいつが死ねば、お前は生きられた。――
「……。」
――あいつのせいだ。あいつのせいでお前は死ぬのさ。――
「違う。」
サートは目を瞑って頭の中の声を聞いていた。そして、今度は口に出して否定の言葉を発する。
「違うよ。オレが弱かったんだ。不安で押しつぶされてっ……お前になんか負けたからっ。」
サートの目から涙が零れ落ちる。それは、決してラジウを恨む涙ではない。自分の不甲斐なさに出てきた涙だった。止める気も止めることもできずに涙は次から次へと溢れ出ていく。
――な、何を言う?あの小僧を憎めっ!憎むのだっ!――
「そんなことっ……しない。オレはここでお前を道連れに逝ってやる。知っているんだ。精霊は復活する際、食らった者の性格、感情を反映すると……だから、ラジウ様を恨むお前なんかっ!」
サートは目を見開いた。既に身体の半分は透明な物に支配されていた。しかし、不思議と痛みはなかった。
――な、何を言うっ。我は復活するのだ。貴様が一人孤独に死ぬだけ……――
「一人じゃないよ……。」
サートはそう言ってにっこりと笑ってみせた。笑みを浮かべたその先にいたのはサートと同じように半ば半透明になりかけている一人の少女。
「やっと、見つけた……お兄ちゃん。」
「ノメル……。」
ノメルをぎゅっと抱きしめて、サートは笑った。先ほどの一人でいる時よりも落ち着いて、そして暖かい何かを感じていた。ノメルが、自分と同じように精霊の水を飲んでしまったことは知っていた。
だから、助けたいと思っていた。けれど、サートとノメルの心は精霊を通して否応無しに影響を受けていた。人一倍怖がりなノメルの感情が流れてくると、サートも不安が頭をもたげたりもした。
けれど、今は逆にサートの気持ちがノメルに伝わっていた。
彼女が優しく自分を抱きしめ返してくれる。
『二人一緒なら怖くない。』
――や、やめろっ……。――
「お兄ちゃん、最後は一緒にいこうって言った……よね?」
にっこりと笑うノメル。それにサートは頷いて笑い返し、再び彼女を抱きしめた。暖かい雰囲気がテントを支配したが、すぐさまその場には誰もいなくなった。
半透明の液体に飲まれ、サートもノメルも姿を消し、残ったのは彼等の服と半透明の液体。
「……。」
半透明の液体は形を成してから無言のままゆっくりとテントを出た。
「よぅ。戻ったのか、水の。」
「えぇ、迷惑をかけました。」
外で待っていた炎の精霊に、水の精霊はこくんと頷くだけで足の進みを止めはしない。声は前ほどの綺麗さはなく、少し低めの声をしていた。それを不思議に思って炎の精霊は首を傾げながら宙をすっと移動し水の精霊について行く。
「どこ行くんだ?自分を倒した奴でも殺しに?」
「家に帰るだけです。私は平穏に生きて行きますので。」
水の精霊の返答に豆鉄砲でも食らったかのように驚きの表情を見せる炎。水はにっこりと優しい笑みを浮かべて、形を変形させるとその場から姿を消してしまった。
「をいをい。だいぶ純粋なのに取り付いちまったんだな。あいつ。今後は戦力になりゃあしねぇな……まぁ、いいか。俺様が戦えばいいだけだしな。」
頭をボリボリと掻いて呆れた口調だったが、すぐに気を取り直してにっと笑い炎の精霊もさっと風に吹かれて姿を消すのだった。
その場に残っているのは古びたテントと瓦礫の山だけだった。




