第三章〜失うもの〜(8)
馬が森の中を駆けていく音が響く。
「ラジウ様、よくキヴィさんの問いに答えられましたね。」
背後に乗り、馬の手綱を握っているクレクが前方を注意しながら言った。ラジウは首だけ後ろに捻り、クレクの顔色を窺う。
「うん。本当はね、悩んでたんだ。」
そして、正直に言った。ここで彼に嘘をついたことで、それを彼が察しないわけがないからだ。それに、クレクには本当のことを言ってもいいと、ラジウは心のどこかで思っている。
「おや、じゃあ先程のは嘘だったのですか?」
「ううん。違うよ。僕ね、起きるまで悩んでたんだよ。でも、起きてなんでか知らないけど父上の日記が置いてあって……それ読んだらね。決心がついたんだ。」
「なんて……書いてあったのですか?」
クレクの声はいささか楽しそうで、少しおちょくっているのが嫌でもわかる。けれど、その裏には多少の本音が隠れていることをラジウは感じとっていた。だから、返答はごく真面目に返したのである。
彼の返答に、これ以上ふざけてはいけないとクレクも考えたのだろう。今度は真剣にゆっくりと言葉を選んで問いをぶつけたのだった。
「父上のにっきには、父上の友達が命を犠牲にして助けてくれたことが書いてあったんだ……。父上は物凄く後悔したんだって。自分が死ねば良かったとか……生きてく方が辛いときもあるんだな。って思ったよ。」
「そうですか。」
ラジウは顔を前に戻すと、真正面を見据えた。だんだんとホーマイ国の象徴である大きな城が形を成してきていた。それと同時に煙や赤い炎もちらりと姿を現す。
ラジウは一瞬口をぎゅっと硬く結んでから、ゆっくりと開いた。
「僕はさ、死ぬのも怖いから生きたいんだ。でもね、僕にはまだよくわかんないんだ……生きたいけど、死んででも助けたい。どっちをとったらいいのかわかない……。ねぇ、サートの命を助けられないかもしれないけど僕は生きたいって道を選んだ。間違ってると思う?」
「……いえ。綺麗ごとだけを言う人間は嫌いですから。私はラジウ様のそういうわからないことをわからないと言えるところは好きですよ。」
自分に背中をむけているラジウの頭を、クレクは右手の手綱を離し優しく撫でる。ラジウの背中が小さく震えていたので、泣いたのではないかと少しクレクは思ったのだ。が、ラジウは泣いてはいなかった。なんとか自分の心を奮い立たせて真剣に正面を見据えていたのだ。
目の前にはもう、火の海が迫っている。
「クレク。もう、この話は後だ!今は父上の身体を取り戻す!!」
「はい!!」
ラジウが吼えると、それに応えるようにクレクは手綱をぎゅっと力強く握り、馬を走らせた。速く、はやく……。
そして、走っていくと緑を抜け、姿を現したのは炎の海だった。
クレクは一旦手綱を引き、馬を止める。馬が仰け反って前足を挙げ一鳴きした。
「な、なに……これ……。」
言葉がでない。目を見開きあたりを見回すラジウ。そこに転がっていたのは草やゴミなどではない。形を成さない肉片だった。黒いモノ、赤いモノ、赤黒いモノ。それらが人の肉片だといち早く気付いたのはクレク。慌ててラジウの目を両手で覆おうとしたが、ラジウにその手をはじかれてしまった。
「ラジウ様……。」
「これって……うっ……。」
ラジウは未だにそれが何かわからなかった。けれど、鼻には悪臭が訴えてきていた。それが、決して普段目にしないモノであると。
悪臭と視界に入る赤い血が訴えてきたものに、ラジウは思わず吐き気をもよおしてしまった。胃がひっくりかえるような気持ち悪さに、口を押さえて必死に耐える。
クレクは心配気にラジウを見やったが、ここまで来て退く性格ではないことを知っていたからだろう。無言で馬を再び走らせた。ラジウも何も言わずに馬にしがみついている。
ラジウたちが走り去って、しばらくするとその場に二つの影が現れた。
「はぁはぁ……うっ……こりゃあ、ひどいねっ。」
口元を押さえて悪態をつくのは、赤と黒の世界で城が際立って目立つ医者のキヴィだった。しかし、彼女は慣れているのだろうか、一瞬足を止めただけでズカズカと肉片の中を歩き出す。
「き、キヴィさん……。」
その後ろを、なるべく他の場所を見ないようにキヴィの背中を凝視しながらついてくるのはサート。
「なんだい、サート。正直、こんなとこで会話なんてしたくないんだけどねぇ。」
不機嫌に言うキヴィ。それはもちろん、しゃべると悪臭と空気に混じった鉄の味がするからに他ならない。しかも、先へ進めば進むほど熱さに喉がやられてしまいそうだ。
「あの……足元に転がってるのはなんなんですか……?」
「あぁ?そりゃあ、人の死体に決まってんだろ。」
「え゛っ?」
サートの質問にあっさりと返答するキヴィ。さもそれが当たり前だとでも言うかのように、口調は冷たい。しかし、内容にサートは聞き返すしかなかった。
「さて、そんなことより。サート、あんたはあっちへ行って街の人を城へ導きな。あたしゃ、こっちで怪我人の手当てすっかね。」
キヴィは、サートの呻きに誓い聞き返しをさらりとスルーするし、指示を与えた。あっちと言って指差した方向は、まだ炎がなく建物がズラリと並んでいた。人がひしめき合って押しつ押されつの状態が遠くの通りに見える。瓦礫がところどころ転がっているあたり、だいぶ破壊されているようだ。
「え、でもっ。」
正直な話し、サートはここで一人になるのは嫌だった。普段目にするはずのない光景。異臭。悲鳴が自分の感覚を麻痺させて行くのがよくわかっていたから。
しかし、キヴィも自分のことで手一杯で人にかまっていられないのだろう。サートの言葉を無視してさっさと歩いていってしまう。彼女は死体の中を気にも留めない様子で進んでいく。けれど、サートはそこで踏みとどまってしまったのだ。死体の上を歩くことが……彼にはできなかったのだ。
だから、サートはくるりとキヴィに背を向ける。仕方がない。進めないのだから。今は自分ができることをしよう。そう自分に言い聞かせ、サートは歩み出すのであった。
そこで二人は結局別れてしまう形になった。キヴィは死体の中に生きた人間を捜しに。サートは、街の方へ人に声をかけに。
そして、キヴィは、後ろが気になりながらも振り返ることなく先へと進んだ。振り返ってしまえば、更に後ろ髪を引かれてしまうことが目に見えていたからだ。
「おや、あんたは生きてるね。大丈夫かい?」
しばらく歩き、人の死体が形をとどめている一角へとキヴィは足を踏み入れた。その中で、腕が動いたのをみつけ駆け寄る。
なんとか引きずり出したが、相手は返事もできないほど弱っていた。仕方無しにキヴィは手当てを施す。
ガッ
鋭く刺さった音と共に、キヴィの顔の横に棒が姿を現した。棒が槍であるということにすぐさまキヴィは気付き、ばっと振り返る。そこで目を見開いてキヴィは固まってしまった。
馬に乗り逆光で影を落としている人物が、キヴィを見下ろして立っている。その影にキヴィは見覚えがあった。だんだんと目が慣れていくことで人の全容が明らかになっていく。
まずはっきりとしたのは金色の鎧だった。胸から腰にかけていささか尖ったデザインでへその部分と胸元は開いている鎧を身につけていた。豊満な胸と、短いスカートをたなびかせていることから、相手が女性だと言う事が窺える。また、首、腕、肩には胴と同じ素材の飾りをつけ、マントを肩の飾りで留めていた。
そして、顔もだんだんと形を成す。鋭い瞳に、キリっとした眉。銀色になびく髪は頭上で一つに縛られていた。
「ねぇ……さん。」
キヴィが目を見開いたままそう呟いた。彼女の目は不安と戸惑いが色濃く現れ、自分を見下げている女性を凝視している。
よく見知った顔。しかし、傍から見れば彼女達は丁度同い年ぐらいにしか見えなかった。艶のある肌、さらさらの髪の毛はまだ若々しさを物語っている。
「……。」
女は黙ったまま武器を引き抜き、まるでキヴィが見えてないとでも言うかのように無言で馬の手綱を引き、踵を返した。
キヴィの背後でうっという呻き声が聞こえたと同時に、彼女の白い白衣に赤い点々が彩られる。キヴィが姉さんと呼んだ女は、ただ生き残りを殺しに来ただけに過ぎないのだ。だから、敵かもわからないキヴィのことなど眼中になかったことが、今やっとキヴィは理解した。
苦虫を潰したような感覚にキヴィは強く噛み締めるしかなかった。そして、しばらく彼女の後ろ姿を見送り、頭の混乱を整えることに時間を費やす。
一方、別れたサートはまだ形のある街へと足を踏み入れていた。
崩れた家の瓦礫や、燃えさかる炎が行くてを遮っている。しかも、人々は混乱しているためか道を同じ方向へと押しながら走行していた。
サートはできるだけ大きな声で「丘の上の城へ!」と声を掛けるが、叫び声などでかき消され、人に伝わっているのかも定かではない。
「皆っ!そんな押し合ったら怪我人……あっ!」
叫ぶ中で、目に入ってきたものに一瞬体内からガクンと揺さぶられ、サートは膝をついてしまう。けれど、目はそれを離せない。
初めはただの炎かと思った。だが、それは見ているうちに形を成していく。その形の形成をサートは見たことがあった。それは炎ではなかった。まして今形作っている形とはあまりにも違っているが……。しかし、頭では警告を放っていた。
炎は人型へと形を完成させた。すらりとした身体だが、どこが幼さが残る等身と大きな瞳。けれど、少し釣りあがった目は意思の強さが読み取れる。髪の毛は逆立ち、全身はところどころ炎が浮いていたり身体と混じっていたりする。
「よぅ、水の。」
そして、にっと笑いサートに話しかけてきたのだ。サートは確信した。彼が炎の精霊なのだと。そして、水というのは自分の身体の中にいる水の精霊のことなのだと理解した。なにせ、さっきから心臓の鼓動が大きく早くなって彼に対し反応を示しているのだから気付かない方がどうかしているだろう。
「お前、いつまでそんな中で鳴りを潜めてやがる?」
「……っ!」
身体を体内から再び揺さぶられるような感覚に、気持ち悪さを覚えて、サートは懸命に足に力を入れて立ち上がると走り出した。一分一秒もこんなところに居たくない。これ以上いたら何かが終わってしまう。その恐怖に駆られていたからだ。
必死に走って、あたりがふと暗くなったことでサートは足を止めた。そこはどこか食料でも入れておくであろう倉庫の役割を成したテントだった。
それほど大きくない空間に、サートは一人佇み。
ふと、自分の手を見た時。
サートはもう諦めてしまった。




