第三章〜失うもの〜(6)
「はぁはぁ……。」
一人廊下を走る少年が居た。全速力で駆け抜け、もう疲れたはずなのにでも止まれないでいる。
彼の頭の中はいささか混乱していた。
それもそのはず。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだから。
「なんだよっ、サート……僕だって……。」
小さく呟きながら頬から滴る涙を荒々しく右腕で拭い去った。
息を切らしてまでやってきたのは、城の入り口より奥に行った場所にひっそりと佇む一つの墓の前。そこまでくると立ち止まり、ドカっという音を立てて座り込む。座り込むというよりはいささか倒れこむに近かったかもしれない。
「父……上……。」
四肢が動くのを止めたせいで、涙が先程よりも更に流れ出た。ラジウは墓の前でうな垂れた。
「なんでかな。なんで、僕は誰一人救えないんだろう?守れないんだろう?」
言葉が、涙と一緒に次から次へと溢れ出す。もう、ラジウ自身にもどうしようもなかった。誰かに聞こえてしまうとか、そんなこと考えていられるほどの余裕もなかったし、感情をこれ以上押さえ込んでいられるほど大人でもなかったから。
「なんで?なんでなの?倒したじゃん。僕、あいつ倒したじゃんか!なのに、なんで今更になって……サートの身体になんか……サートの馬鹿。馬鹿野郎っ!なんで僕に言ってくれないの!?なんで……弟なんて……友達だと思ってた。思ってたのに、結局僕は……守られてるのかよっ!」
一つのことに集中さえできない。精霊のこと、サートのこと、父ホーデュのこと、自分のこと。すべてが思い出されては消え、次から次へと感情の波が押し寄せて……今にも頭がパンクしそうだった。
「お悩みのようですね。」
悲鳴に近い声を掻き消すように、低い声が割って入ってきた。一瞬空耳かと疑うほど突然耳に入ってた声は、ラジウの身体を震わせた。
「だ……だれ?」
上擦った声からは緊張が感じ取れる。ラジウがゆっくりと振り返ると、黒装束に身を包み鋭くとがった一本の角を持つ者がすぐ近くに立っていた。ぎょっとして、ラジウは思わず身を引く。
「今朝お会いしたと思いますが?」
彼はそれだけ言って名乗ろうとはしなかった。ラジウは未だに驚きで頭の中が真っ白のため動くことが出来ない。
「お教えいたしましょうか?精霊にとり憑かれたあの子供達を助ける方法を。」
「へっ?あ、あるの?」
口の端が上がりにやりとした笑みを浮かべる彼の言葉に、ラジウは思わず食いついた。キヴィでさえ無理だと言ったことだ、てっきり方法がないものだと思っていたのだ。
「えぇ。知りたいですか?」
「も、もちろん!」
嫌な笑みに少し戸惑いを感じながらも、サートを助けられるのであればという気持ちのが先行し、大きく頷くラジウ。黒装束の彼は白い歯を見せて笑った。鋭い八重歯が不気味に光り、ラジウの背中に冷たいものを走らせる。
「貴方が死ねば良いのですよ。」
彼の一言にラジウは耳を疑った。だから、驚きの声も上げられずに目を見開いて彼を見ることしかできない。
「当たり前でしょう?命を助けるには命の代償が必要なのですよ。あの精霊は貴方を恨んでいる。だからこそ、その恨みが原動力になって彼等を糧に貴方に復讐しようとしている。ならば、その原動力を取り除けばいい。貴方が死ねば、彼女は原動力を失い、彼等の中で静かに眠ることでしょう。彼等が寿命で死ぬまで。」
ラジウが口を挟まないのをいいことに、男は淡々と説明していく。まるで、全てを知っているとでも言うかのように。
「……ほ、他の方法は?精霊を殺すとか、消すとかっ。」
気迫というか雰囲気というかなんとも妖しい感じに蹴落とされながらも、ラジウはやっと言葉を口にした。
死んでまで助けたくないと思ったわけではない。けれど、やはり死にたくはないし、でも助けはしたかった。矛盾が駆け巡る中出てきた答えは別の方法を探すとういうことだけ。
「ははは。」
ラジウの言葉に、男は声を上げて笑った。突然のことにラジウは彼を凝視する。何か自分がおかしなことでも言ったのか、不安が頭をもたげた。
「精霊を殺す?そんなことは無理ですよ。あれは自然界においてもっとも必要なモノ。あれらがいなくなれば自然が消滅してしまう。言うなれば、水の精霊を殺せば水自体がなくなってしまうのですよ。それを神が消すことを許すとでも?決していなくならないのが彼等ですよ。不老不死の存在。太古から存在しているのです。」
一気に捲くし立て、狂気を含んだ黒色の瞳を垣間見せ、彼は言った。絶望をあたえるのがさも愉しそうに、歪んだ笑みがラジウに向けられている。
「じゃ、じゃあ。」
「方法は一つですよ。貴方が死ぬこと。それ以外に方法はありません。まぁ、お考えになって行動してください。ラジウ様。」
ラジウの言いかけた言葉を遮り、最後に釘を刺す彼。そしてすっと足元から彼は消えていった。
ラジウは追いすがろうと手を伸ばすが、その手は宙を切るだけ。
「あぁ、そうでした。明日、早朝。貴方の国はなくなりますのでご了承願いますラジウ様。賢ければ来ないでしょうが、お伝えしておきましょう。では。」
声だけが辺りに響く。忠告。それが頭に入ってくるほどラジウはまだ落ち着いていない。
しばらく誰もいなくなった宙を眺めているしかなかった。
時間は進み、日が沈み辺りが暗くなった頃。クレクは廊下を早足で歩いていた。それというのも、夕食にさえラジウの姿が見られなかったからだ。
シルキアやサートが言うには、先に城に戻ってきているはずなのだが。
「ラジウ様、どこかで迷子になっているのでしょうか?」
一抹の不安を感じながらクレクは城中を歩き回る。
ふと、暗い中で何かが動いたように思えて足を止めた。うっすらと開く扉の向こうは闇、その場所は昔この城の主ホーデュが使っていた書室だった。ひとたび足を踏み入れると埃やカビの臭いがむわっと鼻につく。
何年も使われていないのだろう。もっていたランプで、クレクは中を照らした。
すぐさま床についた足跡と、何かの丸い跡を見つけた。それを追って明かりを移動させると埃を被った机が姿を現した。更に奥まで照らすと、椅子に座って埃まみれになり机に突っ伏しているラジウの姿が見られた。
クレクはほっと胸を撫で下ろし彼に近づいて行く。
「こんなところで寝ていたのですか……。」
明かりを机に置いたクレクの目に、ラジウの下にある本が目に入った。一瞬途惑ったものの、好奇心にかられゆっくりとラジウの手をどかし本を引っ張り出す。
「これは……。」
それは、まだ何も書かれていない日記だった。いや、よくみると少し黒ずみ跡が残っている。何度も書いては消し書いては消した証拠だ。
そこから辛うじて読み取れるのは『死』という言葉。
クレクは尚も文章を解読しようと本を明かりに近づけたり、透かしてみたり、遠ざけてみたり。
「自分の死と……彼の死……どちらを……。」
目を細め、読める単語を読んだ。それだけでラジウが何か悩んでいることを察することができた。何か、大きな壁にぶつかっている。それが何なのかはわからいが、クレクは苦笑った。
そして、を閉じてラジウの隣に置き、明かりを手に取る。明かりが部屋の中を照らしていく。
ぎっしり詰まった本の一つ一つのタイトルを目で追い、何かを捜すクレク。一番上端の本で彼の目は止まった。
真っ黒で、背びれには何も書いていない本。背伸びしてその本を手に取る。
「懐かしいですねぇ。まさかまだ有ったとは……これが力になってくれるといいんですが。」
一人呟いてラジウのところへ戻り、先程の何も書いてない本へその黒い表紙の本を乗せた。
それからラジウに自分の上着をかけると、クレクは静かにその場を跡にするのであった。




