第三章〜失うもの〜(2)
湖の辺には日が差し込み、キラキラと水面を輝かせていた。ちょうど、太陽が真上に来ているお昼時。数本生えている木の陰にある岩場に一人、腰を降ろしている人物が居た。
「シルキアー!」
遠くから甲高い声が人物の名を呼ぶが、彼はまったく動く気配を見せない。ラジウはだんだんと近づいている動かない影を見て、眉を顰めた。
「シルキア!?」
もう一度、今度はさっきよりも大きな声で呼んでみる。しかし、やはり彼の反応は一寸もない。仕方なくサートと一緒に近づいて行くラジウ。
シルキアを見て、サートは眉を顰める。とあることに気が付いたのだ。
「あれ?シルキアさんの釣竿ひいてません?」
ラジウは首を傾げてサートが指差すシルキアの手を見た。シルキアの手に握られている木の釣竿が、微かにぴくぴくと動いている。
「ちょ、この湖って……。」
ラジウが言いかけた時、いままで小刻みで小さい揺れをしていた釣竿が、一気に湖の方へと引っ張られた。シルキアの手は竿から離れない。そのかわり、あっさりとシルキアの体が湖に引きずり込まれていった。
ボチャンという音が辺りに響く。
「…………。」
「…………。」
ラジウとサートは口を開いたまま、その場で固まってしまった。ラジウにいたっては、遠くに居るシルキアに、思わず手を伸ばしたままの状態で時が止まっている。
辺りがしんと静まり返る。
「……あっ!シルキアさん!!」
サートが我に返り、湖へと駆け寄る。ラジウもサートの声ではっとし意識を取り戻したが、カナヅチであるうえにこの湖には嫌な思い出が多々あった。だから、行きたくても湖の近くに行くことができないのである。
湖が大きな波紋を辺りに散らかし、やがて消えていくのをラジウとサートは見つめていた。
流石にやばい状況だと感じたのだろう、ラジウが慌てふためいて、画面蒼白になりながら叫ぶ。
「ど、どうしよう!シルキアが死んじゃった!!」
「勝手に殺すな。」
しかし、突っ込みとともにシルキアがずぶ濡れの顔を水面から出してきた。いきなり飛び出して来たので、ラジウは驚いて尻餅をついてしまう。
シルキアは気にすることなく、顔から水を払うようにひとしきり頭を振った。そして、近くの岩から陸へと登って来る。
「シルキアさん、大丈夫ですか?びっくりしましたよ~。」
服を絞っているシルキアの様子を見て、ほっと胸を撫で下ろすサート。流石に目の前で湖に落っこちられれば、誰でも驚くだろう。
「あぁ。」
「シルキア!遊ぼうぜ!!」
ラジウは平然としているシルキアに安心したのだろう、元気よくシルキアに飛び掛った。
バシャン!
ラジウの勢いに押され、シルキアはラジウと一緒にそのままもう一度湖へと落下していった。それもそのはず、シルキアが立っていたの場所は、湖から上がったすぐそこ。バランスを崩せば落ちるのは当たり前である。
「…………。」
今度はすぐさま水の中から顔を出したシルキアは、眉を歪め額に皺を寄せるとため息をついた。それから横で手をバタバタと動かしながら水を飲み、明らかに溺れているラジウに視線をやると、何を思ったのか腕を伸ばす。シルキアの手は次の瞬間、ラジウの湖の中に押し込めていた。
ガボガボと空気を吐く音を立てるラジウ。今にも溺れてしまいそうだ。
サートは彼等のやり取りを見ながら、目に涙を浮かべて笑いを堪えようとしていたが。
「な、なに笑ってるんだよ!」
ラジウがシルキアの手をどかし、彼の手に必死に掴まっている。ゲホゲホと水を吐いてから、笑いを堪えきれていなかったサートに噛み付いたのだ。しかし、それすらも面白かったのか、ぷっとサートは吹き出して更に笑いを増してしまう。だから、上手く謝ることができないでいた。むっとしたラジウがサートにもう一度くってかかろうとするが、タイミング悪く、もう一度シルキアによって湖に沈められてしまった。
「がぼがぼっ!!」
しかし、水面がラジウの動き以外で微かに揺れる。同時に、サートが水面に浮かぶ大きな影に気付き、笑うのを止めて目を見開いた。
「たっ!?」
目の前にいる彼の表情の変化が視界に入り、シルキアは沈めていたラジウの襟首を引っつかむと、丘に向かって放り投げたのだ。顔から着地し、思わず声を上げるラジウ。
シルキアは振り返って腰に差していた短剣を素早く抜き去った。
「げっ!あのバカでかい魚!?」
ラジウは身を起こし、慌てた様子で湖を見た。湖には、前に一度襲われたことのある池の主らしき魚が、シルキアに迫ろうとしていた。
シルキアは魚を睨みつけて対峙する。一瞬だった。シルキアが短剣を見えないうちに放ち、その短剣が大きな口を開けている魚の横を通り過ぎていく。
ベリ
何かが剥がれるような音がすると同時に、シルキアは魚の前から消え失せていた。魚は空を切り、水しぶきを辺り一面に撒き散らして、湖へと沈んでいく。
ラジウとサートの目には、水しぶきと太陽の光が織り成す虹が映し出されていた。ラジウが綺麗だと思い目を細めた瞬間、虹を切り裂くように影が降ってくる。影はラジウとサートの前で見事に着地をはたした。
着地した彼の両手には、右に先程投げた短剣、左には大きな鱗が握られていた。
「……何それ?」
「ウロコ。」
「見りゃわかる。」
ラジウが指をさし持っているものの正体を聞くが、シルキアは一言きっぱりと言い放つのみ。彼の返答に負けじと即答で突っ込みをかますラジウ。
「…………。」
「…………。」
ラジウとシルキアの間に沈黙が訪れた。風が二人の間を通り過ぎていく。
「シルキアさん、そのウロコってさっきの大きな魚のものですよね?」
「あぁ。」
とりあえずサートは頬を掻いてから二人の間に割って入った。そうしないとこれ以上話が進まないと感じたのだろう。
シルキアはサートの問いに頷いて答えると、手に持っていた鱗をラジウへと手渡した。目の前に鱗が来て、ラジウは思わず手を出して受け止めた。しかし、シルキアの意図がわからず首を傾げて彼を見る。
「何これ?」
「ウロコ。」
「………………。」
ラジウのぽろりと零れ落ちた疑問に、またもや率直に答えを出すシルキア。ラジウは流石に押し黙ってしまった。
「キヴィに渡せ。」
しかし、黙り込んで額に皺を寄せしきりに自分を見るラジウを気にすることなどまったくなく、シルキアは彼に単刀直入に指示を出す。
その言葉で、ラジウはやっと理解した。シルキアが薬の材料を採るべくこの湖にやってきたのだと。
「ふーん。あのでっかい魚、釣ろうとしてたんだ?」
「あぁ。力負けしたがな。」
茶化してちょっかいをかけるラジウだったが、シルキアの思わぬ言葉によって逆に内心突っ込みをサート共にしてしまう。『力負けうんぬんの前に、あんた寝てたがなっ!』と。
「わ、わかった。じゃあ、届けに行って来るよ。」
暗い影を落とす中でなんとか自分を奮い立たせ、ラジウはサートにもう片方の手を差し出した。一緒に行こうという意思表示だ。
しかし、サートは胸の前で手を止め、首を横に振った。
「すいません。少しシルキアさんと話がありますから。オレ、残ります。」
「そう?わかった。じゃ、行って来るね!」
ラジウは一瞬顔を曇らせたが、すぐににっこりと笑って頷いた。そして、シルキア、サートに片手を上げて挨拶をすると、そのまま踵を返し走り去っていく。
サートも手を振ってラジウを見送った。




