第二章〜真実と真意〜(15)
すでに全てが水に埋まった中で、キヴィは必死にガラスの壁を叩いていた。ラジウと目が合うと、人差し指を目に当てて、頬を沿い顎まで移動させてみせる。そして、先程言っていた言葉を口の動きで表現する。
な・み・だ。
なみだと読み取れた。キヴィは、ラジウに涙が重要なのだと教えてくれているのだ。
精霊へと、ラジウは視線を戻す。
ノメルが気絶しない程度に喉を絞め、大粒の涙を食らっている精霊が目に焼きつく。それを消そうとゆっくりと目を閉じた。
ラジウは自分に言い聞かせた。自分の心を奮い立たせなければいけない。だって、たぶん、精霊を倒すためには恐怖や怒りの心を抱いてはいけない、から。
「いいんだ。僕にはやらなきゃいけないことがある。こんなとこで足止め食らってていいわけがない。僕はラジウ・マイナー。皆を助けたい。助けられなきゃ、僕は僕でいることが恥ずかしくて、きっと生きてなんかいけないっ」
ノメルに気をとられてか、ラジウの首を絞めている力は先程よりも弱いものとなっていた。ラジウは、自分に言い聞かせるように静かに言葉を紡ぐ。
心の中で熱い怒りともつかない何かが燃え盛っていた。ラジウは、熱い感情に後押しをされるように顔を上げる。
ラジウの目には、うっすらと涙が滲み出ている。
「僕は、死んだって諦めるもんかっ!」
そう叫ぶと、声を出した振動によってラジウの涙が落ちた。涙は降下する。ちょうど真下にあったのは、首を絞めている精霊の腕。ぽたりと、音が立って、涙は水色の固体へと落ちる。
精霊と涙が触れた瞬間、水を涙が振動させた。精霊の腕から身体の方へと、波紋が広がっていく。
ラジウは呆然としながらその波を見る。精霊の腕の付け根に波紋が広がると、首をしめていた方の腕がぱっと姿を消した。
支える物がなくなり、鈍い音を立てながらラジウは床に落ちる。目の前の光景に目を白黒させている間に、精霊がノメルを離し、キッとラジウを睨みつける。
ノメルが床に音を立てて落下したけれど、既に気絶しているようでぴくりとも動かなかった。
ラジウは、精霊から視線を外さないようにゆっくりと立ち上がる。
――貴様、我に何をした?――
怒気をはらんだ口調で精霊が睨む相手に尋ねた。ラジウは目を瞬いて、慌てたように首を横に振る。正直なところ、ラジウにも何が何だかわからなかったのだ。
キヴィに促されるままに涙を流そうとし、ノメルが恐怖で泣くを見て恐怖はいけないと思っただけで、それがどうして精霊の片腕をあっさりと消してしまったのか、ラジウにもさっぱりわからなかった。
――答えぬつもりか……ならば、他の者に答えさせるまでだ。――
怒りを露わにしているものの、精霊は冷静なままキヴィ達がいる方へと体内から水を発して飛ばした。派手な音を立ててガラス割れ、同時に水がどっとラジウ達の方へ流れ込んでくる。
キヴィ、クレク、シルキアもその水にのって部屋の奥まで流されてきた。
「げほっげほっ」
荒く咳をする三人。飲んでしまった水を吐き出すように前のめりになっている。
しかし、三人の心配をしている場合ではない。流れてきた水を精霊が吸収して、消えた腕を再生している。吸いとられて量を減らしていく水。しかし、足の踝までで、その勢いは止まった。
精霊は、三人を一人一人みやる。その目が、キヴィで止まった。再生した腕が、キヴィを目掛けて伸びる。あっという間に足に絡みつく水が、キヴィを一気に精霊のところまで引き摺り出す。
「キヴィ!」
「ぐっ! な、なんだいいったい!?」
自分の近くまで連れてきたキヴィを、精霊はじっくりと品定めをするように目を細めながら見下げる。
キヴィはそれに気丈にも睨みつけて対抗した。
――貴様、こいつが我に何をしたか知っているのだろう? 何か合図を送ったな?――
精霊の言葉に、キヴィは鼻で笑う。そして、状況を理解したからだろう、余裕の表情で精霊を見た。
「ふふ。あんた、本当はよくわかってるんだろ? あたしなんかが説明しなくてもさ。ラジウ、泣きな! めいっぱい泣きな!!」
――黙れ!――
キヴィはばっと振り向くと、ラジウ目掛けて叫び声を上げる。精霊が吼えながら、キヴィの言葉を邪魔しようと首を絞め始めた。ノメルやラジウ達を締めていた時の比ではない。かなり強い力だろう、キヴィがすぐに気を失ってしまうほどだ。
精霊は動揺しているのか、室内を満たす水がゆらゆらと揺れる。
「……わかった。泣いてみる。泣いてみるよキヴィ!」
気を失ったキヴィに、ラジウは大きな声で返答すると、目を閉じた。暗闇の世界が眼下に広がる。
(決して負けてはいけない。僕は、僕は負けない。負けるなんて悔しい思い、もう二度としたくなんかない。誰かを失うなんてこと、したくない!)
ラジウは自分の決意に目を開けた。
なぜか決意を固めると、涙が出てきた。これまでの様々な出来事が頭の中で周り、失いたくはない気持ちが頭をもたげるのだ。ラジウは、父のことを思い出していた。だから、涙が止まらなくなっていたのだろう。
しかし、それは以前の悲しみにくれる涙でなかった。もっと熱いこみ上げてくる気持ちだ。
「父上、僕は強く生きてみせる!」
ラジウの目から数滴の涙が零れ落ちた。涙は床にある水に溶け込む。それを見た精霊は、目を見開き、急ぐように両の手をラジウに向かって伸ばした。
ラジウは伸びてくる手を真っ向から見つめる。強い意志を持った瞳が精霊を射抜いた。
「お前なんかに負けない、負けやしない! キヴィの分も、ノメルの分も、サートの分も、みんなの痛みの分だけ僕が涙を流してやる! お前なんか、消してやる!!」
ラジウに迫り来る腕に、シルキアとクレクが同時に武器を放つ。当たった腕から水しぶきが飛び散り、精霊の手が再生する間の短い時間だが、ラジウのところまで到達するのを遅らせる。
守りたい。その気持ちからまたラジウの瞳より涙が数滴零れ落ちる。
かと、思うとその零れ落ちた部分が、いきなり閃光を放った。あまりの眩しさに全員が目をつぶる。
――き、貴様。必ず殺して……や……――
精霊の怒りが混じった声が、だんだんと薄れ消えていく。ラジウは、両腕で目を庇い、声だけを聞いていた。
何も聞こえない中、腕から漏れでて暗闇を明るくしていた光が止む。それを感じとると、ラジウはゆっくりと目を開いた。
「……あれ?」
辺りは真っ暗闇に包まれていた。自分の手すら見えないほどの暗闇は、閃光で目がくらんだせいなのか。
ラジウは首を左右に動かして辺りを見回した。だんだんと目が慣れてきて、暗闇の中でシルエットが浮かんでくる。
「何? 湖?」
よくよく見ると、星や月の灯りが目の前の光景を照らし出している。そこは、よく見慣れた城に近い湖のほとりだった。
さらによくよく目を凝らすと、自分以外に五つの影が転がっていた。ラジウは、立ち上がり、恐る恐る一つの影に近寄る。顔を退きこむと、お団子頭のキヴィだった。
ほっとして、ラジウはキヴィを揺さぶってみる。すると、彼女は目をぴくりと動かし、ぱっと瞳を開いた。
「キヴィ!」
「……あぁ、ラジウ。あんた、ちゃんとやったんだね」
身を起こし、頭を振ってからラジウを確認すると、キヴィは優しく笑った。ラジウは両手をぎゅっと握ってガッツポーズをしてそれに応えてみせる。
「おい、いったい何がどうなってる?」
いつの間に起きたのだろう、ラジウの後ろにシルキアとクレクが立っていた。シルキアが声とともにキヴィに視線を投げ、今の状況を説明しろと重圧をかけている。
「あぁ、実はね。精霊ってーのは体への攻撃がまったく効かないんだ。それで、精神攻撃をするしかないんだけど、水の精霊っていうのは厄介でね、冷静沈着で動じない。だけど、欠点もある。それは、液体であれば何でも吸い尽くす体質ってこと。」
「ラジウ様の涙を吸い尽くし消え去った。というのですか?」
「そうだよ。結局、倒すには体内に気持ちの篭った水を直接流し込めばいい。聖水とか効果てきめんなんだけど、持ってなかったし。後はラジウの涙腺の弱さにかけるしかなかったのさ」
キヴィはクレクの問いかけに頷きながら、さらさらと説明を繰り出す。しかし、その説明のせいで、だんだんとしょぼくれているラジウには気付いていない。
「なるほど。それなら確かにラジウ様が一番適切ですね。泣き虫ですし」
留めににっこりと言い放たれるクレクの言葉。流石にラジウもその場に蹲って膝を抱えてしまった。シルキアがぽふっとラジウの頭に手を置く。
「シルキア……」
ラジウが涙目でシルキアを見上げる。シルキアはそれに無表情のまま口を開いた。
「長所は生かしたほうがいい」
「……うわーん! シルキアの馬鹿!!」
最後の最後で結局フォローにもならない台詞を吐かれ、ラジウは泣きながら逃走してしまった。それを追おうともせず見送る三人。
「で? 実際のところはどうなってたのですか?」
クレクが先程の返答では信じられないのか理解が不十分なのか、キヴィへと問いかけた。
「うーん。強い心で消えろ!と思ったりしたんじゃないのかねぇ? 精霊は液体と一緒に思いも吸収してしまうんだ。だから、ラジウの思いが知らずに吸収され精霊への命令になったはずなんだよ」
キヴィは一旦言葉を区切る。そして、真剣な表情をクレクへと向けた。
「ただ……恐怖を克服しなきゃ、そんな効果は得ないんだ。私達なんかよりずっと負けず嫌いのラジウだからね、恐怖なんかより負けたくないって気持ちのが勝ったんだよ。すごい奴さ」
「なるほど。泣く面でも思う面でもラジウ様が適任だったわけですね」
キヴィの説明に、クレクは表情を和らげて頷いた。ほっと安堵したことが表情に出ている。
「あぁ、私達大人には無理なことを、あいつはやってくれたのさ」
「ガキだからな」
キヴィはラジウの走っていた方向を仰いで呟いた。彼女の言葉にシルキアは相槌を打ち、彼もまたラジウが去っていった方向へと視線を投げる。
「さ、サート君とノメルさんを連れて、私達も帰りましょうか」
クレクは笑顔のまま未だに倒れ意識の回復しないサートを担ぎ上げた。シルキアはノメルの方を背負う。こうして、三人は二人を連れて静かになった湖を後にした。




