第二章〜真実と真意〜(14)
さて、置いていかれたラジウはというと、キヴィに言われた言葉を座り込んだまま、もんもんと考えていた。
しかし、ガコンという音を耳が捉え、ラジウは現実に引き戻される。きょろきょろと見回して音の出所を探すが、特別変なものなどは見当たらない。
ラジウは首を捻り、もう一度端から端まで視線をゆっくりと移動させていく。
「えっ!?」
ラジウは今までまったく気がつかなかった。けれど、視線を移動させたことではっとした。地面がだんだんと遠のいていることに。
自分の身体が昇っているんだと、理解したのはすぐ後だった。自分の足元を見ると、ラジウを乗せている四角い一角だけが天井に近づいていることがわかる。
ラジウは天井を見上げた。しかし、天井はなく、目の前には黒い空間が自分を待ち構えている。
そこで初めてキヴィが言った言葉の意味を、ラジウはわかったような気がした。
これから自分が向かう場所、おそらくそこには何かが待ち構えている。その何かはきっとサートを攫った奴に違いない。
胸がドキドキと鳴る。絶対にアレはそこにいると、頭の中がずきずきと信号を発していた。
暗闇の中に入ると、すぐに光が目の中に飛び込んで来る。眩しいと目を細めた中に風景が入り込んできて、ラジウは目を凝らしてみた。
室内は先程居た部屋より、二回りかそれ以上狭い場所だった。また、壁の周りには何も置いていないが、真ん中に一つ、そびえ立っているモノが目立っている。
「サート!!」
ラジウは叫んだ。
水の荊がいくつも小さな身体に刺さり、深く刺さった棘から血が滴り落ちる。荊に包まれて立っている黒髪の少年が、ラジウの視線の先にいた。彼の瞳は閉じていて、ラジウの声にもまったく反応を示さない。明らかに意識がなかった。
無残なサートの体からは、生気を感じられない。水の荊が彼のだらりと力の抜けた手や足に食い込み支えている。
――よく来た――
透き通るような、でも冷たいような無機質な声がラジウの耳に届く。
後ろから声が聞こえたことに、ラジウは一瞬身を強張らせたが、無理矢理体を後ろに振り返らせた。が、目の前はただの壁が立ちふさがるだけ、何もない。
よりいっそう不安を掻き立てられた時、ラジウは背中に冷たいものを感じた。何かが自分の背後にいる。
わかっているからこそ、ラジウは振り向きたくなかった。けれど、敵が背後にいるとわかってしまっている以上、いつまでも背中を向けてはいられない。確認しなければとラジウは自分を奮い立たせた。
強張った体を、恐怖に駆られた心を必死に奥底にしまい込み、サートを助けたいと思う気持ちを振起してから、ゆっくりと首を動かし始める。
背後にいるモノが動く気配はない。ちょうど肩まで首を動かすと、それはラジウの目に飛び込んで来た。
すぐ間近に、触れるか触れないかの場所にソレは居た。
「――っ!!」
声にならない叫びをあげ、ラジウは体と手で振り払うように素早く体を回転させた。大きく回転したせいで後ろにぴったりとひっついていたソレに腕が当たる。しかし、ソレに触れた感覚は冷たい水以外の何ものでもなかった。
振り返った勢いで、ラジウはバランスを崩し尻餅をついてしまい、慌てて顔を上げると、目の前にソレは立っていた。
瞳と瞳がかち合う。
透き通っている水色にすらりと伸びた背、綺麗だと誰もが言うであろう容姿、ソレは見たところ人の形をしていた。あまつさえ、今度はしっかりと足も二本生え、服のようにひらひらとしたものを身に纏っている。
しかし、それは全て水色の透き通った液体が形を成していて、服のように象られたものも、体の一部に見える。
「……」
――よく来た――
水色のソレはラジウをじっと見つめると、口を開いた。
ラジウは目を白黒させることしかできない。
「あ、あんたいったい何なのさ!?」
――私は精霊。人間よ。我が糧となるか?――
淡々としたしゃべりに強い命令口調。視線も鋭く、射抜かれると身動きができないような力を持っている。
糧? とラジウは自分の頭の中で問い返す。
キヴィがいたら、精霊が生きて行くのに場所さえあれば実は何も捕る必要がなく、自分の縄張りに入ってきたモノを獲物と見極め糧にしているだけだと教えてくれただろう。現状が、ただ餌を弄んでいるだけにすぎないということも一緒に。
実際、こんな問いも精霊にとっては遊びの一つに過ぎないのだが、それをわかる程ラジウは精霊のことを詳しく知らなかった。
「な、何言ってんのさ!? 僕はサートを連れ戻しに来たんだ!!」
だから、馬鹿にされたとでも思ったのだろう、ラジウは座り込んだまま口だけで吠える。
――逃がさない。逃げられない――
精霊は手をゆっくりと真横に上げ、ある一転を指差した。ラジウは目で精霊の動きを追う。
すると、精霊が指を差した場所、一面壁に覆われていた部分がゆっくりと上へと移動していくのだ。
「なっ!!」
壁が動いてなくなった場所は、ガラスでこちら側と向こう側に区切られていた。
ガラスの向こう側の部屋がよく見え、中は青に近い水の嵐になっている。その中に三つ、影が浮かび上がった。
キヴィ、クレク、シルキアの三人が壁に捕まって必死に浮かんでいる。
もう空気がある部分は天井から頭二つ分しか、残されていない。荒々しく波を立て、水は彼等を襲う。
「クレク! キヴィ!! シルキア!!」
ラジウはあまりの光景に、手をついて勢いよく立ち上がり、壁まで駆け寄ろうとした。
しかし、耳が何か滑るようなぬめる様な音を捉える。
それとともに、走り寄ろうとしたラジウの体は、動きを無理やり止められた。彼の首には水色の長いホースのようなモノが絡みつき、ギリギリと首を締め付けているのだ。
絡みつく水を辿ると、精霊の腕が異様に長く伸びており、ラジウの首を締め付けていることがわかる。水で出来た腕は、人ではありえない力でラジウの体を地面から浮き上がらせた。
ラジウは苦しさから必死に長い腕を掻き毟った。けれど、感触は水を切っているという感覚だけで、腕を通り抜ける。
「ぐっ」
ラジウは息苦しさに呻いた。ちらちらと瞳が揺れ、視界は霞んだりはっきりしたりを繰り返している。
揺らぐ視界にキヴィが入ってきた。薄っすらと見える彼女は、口を動かし何かを言っているようだ。
けれど、ラジウにはそれが何なのかわからなかった。頭がぼーっとして考えられない。
何か、言っている。必死に目だけがそれを追った。唇の開閉を見ているうちに、彼女が言っている言葉が、辛うじて三文字であるということだけはわかった。
しかし、ラジウも限界だった。意識が朦朧となっていく。
「おにいちゃーん」
ラジウの意識が飛びそうになった時、聞いたことのある子供特有の高い声を耳が捉えた。それによってラジウの意識が引き戻される。
「ノ……メル?」
聞き覚えのある声。その名を息を切らしながら、ラジウは呟いた。
尚も兄を呼ぶ、ノメルの声が途切れ途切れに窓の外から聞こえてくる。彼女は寝ているはずなのに、なぜ声がするのか。
不安が、徐々に胸の中に侵入してくる。
「おーい。ラジウさま~?」
声はだんだんと近づいてくる。
ラジウは悟った。ノメルが起き出して、城にいなかった自分達を探しているのだと。そして、だんだんとこの塔がある湖に近づいてきていることを頭が理解する。
蘇った視界の中で、精霊がにやりと笑みを浮かべた。ゆっくりと、だが確実に窓の外を見やる。
ラジウは慌てた。必死に精霊の腕に指を食い込ませようとする。けれど、あっさりと水の腕はラジウの手を飲み込み、一向に締め付ける水の腕を握ることはできない。
精霊が、窓からもう片方の腕を伸ばした。
「や、やめろーっ!」
ラジウには叫ぶ意外に何もできなかった。
手を伸ばし、必死に訴えるが精霊は一切ラジウを見ることはなかった。新たな得物の方に興味を持っているようだ。
「きゃっ!」
悲鳴とともに、ノメルがラジウの視界へと入ってきた。精霊が伸びる手を使ってノメルを捕まえ、最上階まで引きずり上げてきたのだ。
腕をつかまれ、無理やり宙に浮かされている茶髪の少女ノメル。その瞳には涙が薄っすらと浮かんでいる。
「な、なにぃ?」
状況がわかっていないノメルは、恐怖に顔を引きつらせて自分を掴む精霊を見る。
精霊は綺麗な笑みを返し、すぐさま彼女の首を絞め始めた。
ラジウとサートを見つけて一瞬顔を輝かしたノメルだが、首を絞められることで恐怖と苦痛に顔が歪む。
ラジウは、必死に手を伸ばす。けれど、あまりに遠く、届きはしなかった。ただ宙を腕が掻く。
ノメルを絞める力に力が入っていくのが、ノメルの血の気が失せていく表情からわかった。さらに精霊はノメルを苦しめにかかった。の腕から這い上がる水が蠢めきながら彼女の口へと進入し始めたのだ。
完全に口と鼻を水で遮断され、ノメルの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
――我が糧なり。美味ぞ――
ノメルの涙が頬を伝い、精霊の体に吸収されていくと、精霊は妖艶な笑みを浮かべて、頭に響く声を発した。
恐怖におののいて、ボロボロと流れ出るノメルの涙は、精霊の身体の中に取り込まれる。精霊の表情は最高の食事とでも言うように恍惚としたものだった。
そこで、ラジウは精霊が涙を糧にしていることに気がつく。本体が水だから、触れる液体は全て吸収してしまうのではないか?
そう結論付けると、ラジウは目を見開き、キヴィがいる方へと視線を移動させる。




