第二章〜真実と真意〜(4)
さて、走り去ったラジウはというと、一人城の近くにある湖のほとりに居た。
湖の色は薄い水色。底は浅いのか深いのか水が透き通っていないのでわからない。水面近くを泳ぐ魚がちらりちらりと影を落としているのを見て取れるぐらいだ。
「うー……変な顔」
湖の中に映しださられる自分の顔を見て、ラジウはしょんぼりと言葉を落とした。眉に皺が寄っており、口はへの字型。その割りに弱気な色を見せる瞳。自分の顔じゃないみたいだ。と、そう思った。
しばらく自分の顔を見てから、裸足になりその足で水をかき混ぜた。ひんやりとして冷たい水が心地よい。何を思ったのか、思いっきり足をばたつかせる。バシャバシャと水が景気のよい音を上げた。
楽しくてそのままついつい遊んでしまう。しかし、それで頭の中のものが綺麗さっぱりなくなることはなかった。
それが再び顔をもたげると、ラジウは足を止め、ため息をついた。
「……はぁ、なんだか頭がおっつかないや」
僅かにさっきまでの振動で揺れる水面を見つめる。それはやがて静かに収まっていく。
「僕……どっちかというと母上似。なんだよね。そういえば、サート……父上に似てた……」
ぽつりと誰にともなく呟く彼の目からは、きらりと光るものが溢れ出る。
自分はあんなに近くに居たのに、そんな自分よりも他人の方が父を知っている。そのことに苛立ちを覚える。それともう一つ。なんとも言えない、胸にぽっかりと穴が開いたような空しさに駆られた。
「父上……。どうしてもういないのさ……」
水の中に無かったかのように消える涙。また水面が小さく揺れる。
聞きたいことはたくさんあるのに。答えて欲しいことがたくさんあるのに。いつもの笑顔が見たいのに。声が聞きたい。名前を呼んでほしい。抱きつきたい。
ラジウの胸の奥底で誰かがそうやって叫んでいる。ぎゅっと胸元の服を握りしめた。
「うっ……」
小さな呻きと共に水面が大きく揺れる。
くしゃくしゃになって苦しそうな、みっともない顔も一緒に揺らぐのを、曇った瞳で捕らえる。
あまりに胸が苦しくて、ラジウは目を閉じて深く深呼吸をした。そして、目をゆっくりと開ける。
「わっ!!?」
水面が激しく揺れて、自分の顔が崩れた。それに驚いて思わず大きな声を上げてしまう。
意識せずに体は身を引いていた。そして、水面を揺らしたものが水の中から姿を現す。
ラジウの目が捕らえたのは白くて鋭く太い牙と、暗く深い深い空洞。一瞬、それがなんだかわからず、大きな口を開けて見入ってしまう。
しかし、ラジウはソレと目が合った。即座にそれが魚だということに気づく。とてつもなくでかい魚だと。また、牙があることからしても普通の魚ではないことが明らかなのだが。
大口を開けた魚は、湖から飛び上がり宙を舞う。そして落下。更にその位置はラジウのちょうど真上。今にも魚はラジウを飲み込もうとしているのだ。しかし、魚から目が離すことができずに動けないでいるラジウ。
ドスっ!!!
大きな鈍い音とともに、ラジウの視界に光が戻ってきた。彼は、いきなり入ってきた眩しい太陽に目を細める。
ボチャンという大きな音が耳に入ってきた。それと同時に水しぶきが辺りに舞い散り、綺麗で鮮やかな虹を作り出した。
「……ふん」
ラジウの横にスタっと軽い音を立ててシルキアが着地する。どうやら魚は彼に蹴飛ばされたらしい。中途半端に長い汚れた金髪が風で揺れる。
それを目で追いながらラジウはポカンと口を開け間抜けな顔をしていた。
シルキアはラジウに腕組をしながらじっと視線を送っている。見下ろすような形で。鼻を鳴らしただけで特に何も言ってはいないが、その瞳は不振な目。こんなところで何をしているのか? と、ラジウを問い詰めている。
「えーっと……シルキア。何でここに?」
しかし、意図を汲み取れなかったらしく、きょとんとした目をラジウはシルキアに向けた。
「…………修行?」
「いや、聞かないでよ」
問いかけに対して眉を潜め、何故か疑問系でシルキアの答えは出てきた。シルキアのボケにラジウはすかさず突っ込み返す。
「ふん。貴様こそ何をしている?」
またもや鼻を鳴らし、シルキアは突っ込みをあっさりと受け流す。そして、先程伝わらなかった意図を今度は言葉でさらけ出した。
「え? ……えっと……水遊び?」
「聞くな」
答えに詰まって、今度はラジウが聞き返してきたが、シルキアはきっぱりと突っ込みを入れる。
「…………」
「…………」
次に続く言葉が見当たらないのか、見事に会話が終了を迎えたのだった。
あまりの気まずさがラジウの顔を横へと逸らさせる。しかし、顔を逸らした理由はそれだけではなかった。ラジウは思い出したのである。さっきまで泣いていたことを。だから、顔は涙でぐしゃぐしゃなはずなのだ。
ラジウが顔を背けたのを見ても、シルキアは黙ったまま彼を凝視している。
「え?」
突如、暖かい感触が頭に生じたせいでラジウは不思議そうな声を上げた。シルキアが軽くラジウの頭に手を置いている。
ラジウはシルキアを見ようとしたが、シルキアの手の力によって下を向かされてしまう。
「……貴様は、強くなりたいんじゃないのか?」
「…………わかんない」
シルキアの低い声は、不思議とラジウの心を落ち着かせた。問いに対して考えてはみたけれど、正直な話。心の中ではまだ答えが出てこなかった。
ラジウは無理に上を向こうとせず、視界に入る生い茂った緑の草を見ながら口を開いた。
「僕、まだ子供で。弱くって。父上とは全然違うんだ。父上の子供なのに……」
「貴様は貴様であろう」
思っていることがぽろぽろと口から零れ落ちる。ラジウの言葉に、シルキアがたった一言発した。しかし、その後に何か付け足す様子は無い。
たった一言だけの台詞は、ラジウを余計に不安な気持ちへと掻き立てた。
「僕は僕だけどっ。僕、強くなれる自信がないんだっ! 父上だっていないし、僕。僕……もう、駄目かもしんない……辛いんだ。胸が痛くて。何かを吐き出したくなる。どうしていいのか……わからない」
ラジウはシルキアの視界から突如消えた。シルキアが下へ視線をやると、彼はしゃがみ込んでいた。膝を抱え、腕に顔を埋めている。
胸が締め付けられるような痛さに、ラジウの瞳からまた涙の洪水が止まらなくなってしまった。酷く痛む胸へ手をやり、服をぎゅっと掴む。
(どうして。こんなことに。僕は。何が。どう。したいのか。)
ラジウの頭の中に言葉が断片的に出ては消えて言った。
「貴様は、自分の力で生きて行きたかった。のではないのか?」
「……僕の力?」
「誰かに守って欲しいなら、飛び出さずにいれば良かっただろう。安全な場所から」
シルキアの手がラジウの頭から離れた。途端、ラジウの心に冷たい風が吹き、不安が顔を擡げてしまう。
その不安に駆られてラジウはシルキアをそっと盗み見た。いつもと変わらぬ無表情。その顔がラジウを見ている。いつもと変わらぬ彼の無表情な顔はラジウをほっとさせた。
哀れみなんてない。帰れなんて言ってない。敵意を感じない。そんな表情だったから。
「それに、弱いからこそ強くなれる。特にガキはな」
ラジウは小さく笑った。シルキアが励ましてくれているのがわかったのと、それに元気づけられた自分に気づいたせい。彼は自分が強くなれると保障してくれたような気がしたのだ。
シルキアの言葉に、ラジウは着実に笑顔を取り戻しつつある。
「はは。オーケー。そうだよね。僕は、まだまだこれから! 強くなろうって覚悟してきたんだ。父上になんか負けるもんかっ! って。こんなとこで挫けてたら強くなんかなれないよね。僕、シルキアよりも父上よりも強くなるよ。覚悟しといてね!」
ふふんと鼻を鳴らして宣戦布告。新たな目標と今までの目標を思い出し、やる気がラジウに戻ってきたようだ。
「ふん」
シルキアは鼻を鳴らし、楽しそうな密かな笑みをラジウに向けた。きっと、ラジウの挑戦は受け取ってもらえたのだろう。
「よっし! シルキア! そんじゃ、さっそく修行つけてよ!! 師匠、師匠!」
ラジウはここぞといわんばかりに片手をハイハイと挙げて元気よく跳ね上がっている。その顔は先ほどとは大きく違い、顔いっぱいの笑みで埋まっていた。とても楽しそうで、そして嬉しそうだ。
しかし、元気いっぱいのラジウとは正反対に、シルキアは額に皺を寄せた。
「…………弟子はとらん」
「えぇ!? そこ!? そこ、突っ込むとこ!!?」
かと思うと突っ込みとも取れない言葉。
冗談で言った台詞に真剣そのもので返してきたシルキアに、ラジウは驚きの声をめいっぱいあげた。ラジウの声は耳をつんざくほど、激しく喧しいことこのうえない。しかも、叫んだ後は大爆笑なものだからより騒がしい。
シルキアの額に皺がさらに深くなった。
「ふぅ……笑いすぎだ。バカ」
「あはははは、ご、ごめん!」
呆れた様にため息をつかれても、ラジウの笑いが止まることはなかった。シルキアのこめかみが動く。
「……ふっ。いいだろう。修行をつけてやる。一つ目の課題は、さっきの魚を倒すことでいい」
シルキアの言葉に、ラジウの笑い声が止まった。シルキアの顔を見開いた目で凝視するが、彼の顔は笑っている。というか、嫌味な笑いにしかラジウの瞳には映らなかった。
小さくラジウは『うそ……っ』と呟くが、後が続かない。どうやら思考が停止しているようだ。
「とっとと行って来い」
固まっているラジウをよそに、シルキアは彼の後ろに回りこむと躊躇もせずその背中を蹴った。蹴られたことによって簡単に崩れたバランスは、ラジウを抵抗もさせず水の中へまっさかさまに落っことす。
ジャボン!という音と水しぶきが同時にあがった。その振動と音によって、黒い影が静かにラジウへと迫る。
「ぐっ! あぷっ!!」
が、しかし。そんなことよりも先に、ラジウの命は危険に晒されていた。バシャバシャと音を立てながら沈んでいく様は滑稽である。シルキアが小さな目をさらに小さくして、無駄に手足を動かしながら沈んでいくラジウを見送った。
そう、ラジウは泳げないのである。
「…………ふぅ」
やっとシルキアも理解したのだろう、いつもより数倍は重いため息をついた。それから地面を蹴るとラジウの救出に向かうのだった。
シルキアはあっさりと水の中からラジウを引き上げながら、『陸で鍛えるか』と小さく呟くのである。




