8.最悪の推論
14:04 駅前
工藤と相模、ふたりとも言葉を発することができなかった。
「まさか、とは思うが……」
硬い表情の相模は、言葉をこぼした。
「……首相が、標的だということか」
二人とも、ニュースで知っていた。今夜、都内のホテルで首相が会談することを。
一般人の工藤はもちろん、刑事である相模も直接には影響はない、と考えていた。
だが、今。もっとも関係ある情報に変わっていく。
「恐らく、そういうコトなんでしょうね」
「回りくどいっ!」
工藤の冷静な語りに、相模は吐き捨てる。
クイズの名を冠した爆破事件。
この悪趣味なゲームは、世間の目を他に向けるための壮大な目くらましであることを。
ひとり憤る相模を尻目に、工藤はひとり言のように続けた。
「スマザード・メイト——味方の駒に囲まれたキングが、敵のナイトの一撃で仕留められる」
相模も応じる。
「キングが首相だとすると」
「味方の駒。つまり、首相を守るはずの人間に封じられてる、ってワケですね」
「では、敵のナイトは?」
「外部からの襲撃か、ひょっとしたら内部に潜伏しているのかも」
「どちらにせよ、万事休すか」
相模は、奥歯を強く噛み締めた。
「一体……、誰が、何の目的で」
「分かりません。ただ、秋月さんじゃないっス」
首を竦めた工藤の視線が、スクリーンへと移動する。
モナ・リザは何も語らない。ただ、不気味な微笑みで下界の混乱を見下ろしているだけ。
「相模刑事っ!」
絶望的な空気を引き裂くように、警察官が息せき切って割って入った。
ふたりは推理を中断し、新たな騒ぎの主に目を向ける。
「どうした?」
「相模さん宛に、通信が」
自分の無線マイクを差し出す。
「相手は?」
「本部長です。捜査本部の」
相模の血色がわずかに回復する。渡されたマイクを奪う様に握ると、通話ボタンを押した。
「本部長、ちょうど良か——」
『戻ってこい、と言ったはずだぞ?』
挨拶でも前置きでもない。唐突な叱責が、彼の言葉を遮った。
『相模、オマエは分からないか?勝手な行動は、組織の輪を乱すんだ』
警察官の腰にあるスピーカーから、輪島の低くうなる声が漏れる。
「ですが、本部長」
『いいか?速やかに本部へ戻れ。これは最後の命令だ』
「なら、捜査に加えてくださいっ」
それでも相模はすがった。マイクを持つ手に力が入る。
「いまっ、現場で大事な問題が起こっているんですっ!
途中で投げ出すなんて、とてもできませんっ!」
『ムリだ』
「なんでムリなんですっ!」
スピーカーから響く、温度を奪われたため息が漏れる。
『いいか。これ以上、反抗するなら処分するぞ』
完全なる拒絶だった。
聞く耳を持たず、一方的に命令だけを伝える。脅し文句をつけて。
相模は、どうにか現状を打開できそうな言葉を探した。
爆破事件の真相。首相に害が及びそうなこと。推測の域を出ないが、無視することもためらわれる。
もし放置すれば、警察組織の重大な汚点になりかねない。
「えーっと、ちょっといいですか?」
すると、黙って聞いていた工藤が、マイクに顔を近づけた。
緊張感のない、のほほんとした声で会話に割り込む。
「実はですね。相模さんに安全な場所へ送ってもらってる途中なんです」
工藤は落ち着いた声で言った。
「ココからだと、ちょっと家が遠いんで。戻るのは、その後でいいっスか?」
無線からの応答は、暫く途絶えた。
『……仕方ない。終わり次第、早く戻れ』
重い嘆息を最後に、無線が切れた。
マイクを返す相模を尻目に、工藤はいたずらっ子の顔で笑いかける。
「これで、少しは時間稼ぎできますよ」
「……いいのか?」
「オレが帰ったら、クイズを解く人間がいなくなりますよ」
確かに、そうだ。痛いところを突かれ、相模は閉口する。
「それに」
一拍の沈黙を置いて、工藤は笑みを消した真剣な顔つきへと変えた。
「秋月さんに、助けに行くって伝えたんで」
「……ありがとう」
「いえいえ」
工藤は鼻の頭を掻きながら、照れたように言う。
「お礼は、チャンネル登録で」
相模は、ほんの少し笑った。
14:15 パトカー内
二人は乗り込んでも、すぐには出発しなかった。
相模はハンドルも握らなければ、エンジンもかけない。フロントガラスの向こうを見つめながら、思案に明け暮れている。
「直接、首相に警告するツテはないんスか?」
「悪いけど、持ってない。知り合いがいれば良かったけど」
工藤の質問に、深い嘆息を吐き出す。
「同じ警視庁の人間ですよね?」
「部署が違うんで、ね。刑事部と警備部じゃ、もう別の組織みたいなもんさ」
相模は悔しそうに唇の端を歪めた。
「どうすれば、首相に危機を伝えられる」
眉間に悲壮感が浮かぶ。
「もう一度、配信……もムリっスね」
「……そうだな」
工藤のつぶやきに、相模も同意する。
「オレたちは、チェスの問題から『首相が狙われてる』と推測しただけだ。物的証拠は、何もない」
相模はハンドルの上に腕を乗せ、少しもたれかかる。
「今、この件を世間に公表しても、単なるデマで終わってしまう」
「証拠、っスか」
工藤は助手席に身を沈め、遠くを見つめた。
「だとしたら……」
「……ああ」
提案する前に、相模が工藤の言葉を先取りした。
「秋月を探し出して、黒幕の尻尾を押さえるしかない」
決意だった。
相模の目に、刑事としての鋭い光が戻る。
「彼は暗号化データを持ちだした後、足取りが分からなくなったらしい」
記憶をさかのぼりながら、知り得た情報を並べた。
「状況から、事件について知っている可能性は高い」
「ですよね」
工藤も同じ答えに至る。
「でも、どうやって居場所を?」
相模は、改まって助手席に向き直った。
「工藤、キミには思い当たる場所はないか?」
投げかけられた質問に、弱々しくかぶりを振る。
「てんで。秋月さんとは面識もないんで」
「……そうか」
相模は責めることなく、静かに呟きを返した。
「まずは、できることをやろう」
気を取り直し、相模はエンジンのスターターボタンを押した。
低い唸りを上げ、車体は息を吹き返す。
「クイズを放置するのもマズい。解答させつつ、秋月の行方を探す」
ハンドルを持ち直し、アクセルペダルを踏んだ。
「それしか、道はない」
工藤も、助手席で小さく頷いた。
パトカーが走り出す。次の現場へ——同時に、答えへも。
同刻 警視庁
輪島は無線のマイクを机に戻した。
別に声を荒げたわけではない。なのに、肩で大きく息継ぎをしている。
五十嵐はその横顔を見て、違和感を覚えた。
さっきまでの輪島は、まだ苦しそうだった。血の気の失せた顔の下に、迷いのようなものが残っていた。
今は、それすらない。
吹っ切れたような、諦めたような。光のない双眼で、机に放り出したマイクをじっと見下ろしている。
「本部長」
「……なんだ?」
振り返る動作すら最小限だった。
「相模を処分するって話、本気ですか」
「……言葉通りだ」
テープレコーダーのような、抑揚のない声。
五十嵐はそれ以上、踏み込むのをやめた。取り付く島もない今、ヘタに刺激しても仕方がない。
「戻りました」
代わりに、本部のドアが勢いよく開け放たれた。足早にフロアを横断し、輪島と五十嵐の前で立ち止まる。
どちらも、朝から捜査に勤しんでいる刑事だ。
「2件目と3件目の爆発事件、ビルの管理会社に確認しました」
勢いのまま、メモを片手に報告する。
「どちらもフロアの改装工事を行ってました。爆発物は、その時に運び込まれたものと思われます」
「そうか……」
輪島の反応は薄い。うわの空のまま、視線を窓へ向けた。
「あと、秋月圭介ですが」
刑事は上官の冷めた態度に気づかぬまま、前のめりに続けた。
「事件の一ヶ月前から、都内のある放送局に何度も出入りしていたことが分かりました。
受付記録には『クイズ特番の打ち合わせ』とあります」
そこで言葉を切り、怪訝そうに眉をひそめた。
「ですが……局側に確認したところ、そんな事実はない、とのことです」
報告を聞く耳の裏で、五十嵐は相模の言葉を思い出す。
確か、秋月は拘束されている、と言っていた。だとしたら——
「そっちは、もういい」
輪島は静かに、集めてきた調査結果を斬り捨てた。
「それより、大型ビジョンをハッキングはどうなった?」
またか。五十嵐は胸の内で深くため息をついた。
「まだ逆探知できてません。時間がかかりそうです」
捜査自体は進めていた。だが、優先順位は下げていた。
眼の前にいる、本部長の指示で。
「分かった。そのまま進めてくれ」
忘れていたのか、輪島は他人事のように小さくうなずく。
「あと、手が空いている者は病院に行ってくれ」
「病院ですか?」
「事件の生存者から、当時の証言を取ってきてくれ」
輪島は静かに命令を下すと、ゆっくりと自分の机に戻る。その背中は小さかった。
残された刑事たちは、等しく戸惑いの色を浮かべる。
証言など、とっくの昔に取り終えている。今さら病院に行ったとしても、新しい発見があるとは思えない。
だが、上司が言うのだ。無下にはできない。
「悪いが、行ってくれ」
残された刑事に、五十嵐は申し訳なさそうに短く頭を下げた。
ため息を残して、刑事たちも従う。
刑事が出払うと、五十嵐は額に手を置いた。
貧乏くじを引かされた。と、恨みがましい視線を輪島に飛ばす。
肝心の上司は自分の席でうなだれていた。手の中に隠した個人携帯をじっと見つめる。
五十嵐は違和感を積み重ねた。
誰かから、着信があるのだろうか?こんな忙しい時に、捜査より優先するような。
「五十嵐さん」
いつの間にか若い警察官が、横から顔を覗き込んでいた。不意打ちの形となり、心臓が飛び跳ねる。
「どっ、どうした?いきなりっ」
自分自身を落ち着かせながら、小さく咳払いをして向き直る。
「実は……」
内緒話をするように、若い警察官は耳打ちし始めた。
「犯罪収益対策室から連絡が。秋月圭介という名前に、見覚えがあると」
「なんだって?」
意外な場所からのタレコミに、五十嵐の片眉が跳ね上がる。
「マネー・ローンダリングを監視する部署だよな?ソコが、なんで秋月を」
「どうも最近、大量の法人口座を開設したようで。それで監視対象となってました」
「なんこった……」
予想外の角度から飛び出した黒い情報に、五十嵐は言葉を失う。
誘拐された被害者だと思っていた男が、裏で何かに手を染めていたのかもしれない。
何を信じていいか、分からなくなる。
「で、法人の実体は?」
「すべてペーパーカンパニーですが、いくつかはマンションの賃貸契約に使われています」
警察官は小さなメモを手渡した。
五十嵐は受け取ったメモに目を落とす。簡単な住所らしき記述が箇条書きされている。
無機質な文字の羅列ではない。暗礁に乗り上げていた捜査を打開する、ひと筋の光明に見えた。
「この場所の、電気と水道の使用状況は調べられるか?」
五十嵐の突拍子もない質問に、若い警察官は、少しだけ戸惑いを見せた。
「電力会社と水道局に問い合わせれば、分かると思いますが」
「すぐ確認してくれ。それと」
自席に腰掛けた輪島へ聞こえないよう、声を一段落とす。
「さっき出ていった刑事を呼び戻してくれ。大至急だ」
若い捜査官は敬礼すると、大急ぎで捜査本部から飛び出していく。
残された五十嵐は首元を押さえ、周囲を見回した。
誰もがせわしなく動いていた。ホワイトボードは、まだ半分以上の余白がある。
なのに、輪島は机に積まれた書類の山に隠れ、スマホの画面だけを見つめていた。




