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9.妨害

14:31 首相官邸


 ノックもせず、佐伯正隆が執務室へ足早に入ってきた。岡崎一郎はペンを走らせる手を止める。

「どうした?」

 普段と様子の違う首席補佐官。首相は手元の書類から目を離し、顔を上げる。

「相手国の警護チームから、連絡が入りました」

 声色はいつもと変わらない。だが、少しだけ緊張していた。

「中緑の外相が、帰国に向けて準備しているようです」

「帰国?」

「連続テロ事件の対応に、かなり不満を抱いています。身の安全が保証されていない、と」

「勝手なものだな」

 岡崎一郎は書類を苛立たしげに机へ置いた。

 冷静なものの、端々に悔しさがにじみ出る。

 譲歩を重ね、ようやっと会談までこぎ着けたというのに。

 一国の首相が他国の担当大臣に会うという、破格の待遇まで用意して。

 その努力が今、水泡に帰そうとしている。

「日本の対策は説明したのか?」

「はい」

 佐伯の声は、あい変わらず落ち着いていた。

「ですが、犯人が野放しである現状でもあるので。弁明も受け取ってくれません」

「まったく……。好き勝手に騒ぎ立ておって」

 冷たいほどの報告に、岡崎はメガネを外して眉間を強く揉んだ。

「で、テロの対応はどうなっている。確か、キミは警察庁出身だろう?」

「目下、全力で犯人の足取りを特定しております。じき、事態は収拾するかと」

「早急に解決させたまえ」

 短く命令すると、腕を組み目を閉じた。

 そのまま動かない。深い思案に沈みこむ。

「……向こうが帰国する前に、話をまとめるしかないな」

 しばらくして、目を開いた岡崎は顔を上げ、決断の色を目に宿す。

「すぐ先方と調整してくれ。

 彼らが帰国する前に、なんとしても会談の時間を作るのだ」

 これ以上、足元を見られてたまるか。

「……承知しました」

 佐伯は静かに一礼した。

 その所作のどこにも、感情の色は見当たらない。

 部屋を出た佐伯は、廊下の途中でスマートフォンを取り出した。

 画面を操作する指が、ほんの少し速い。

 誰にも聞かれない足音だけが、静かな廊下を遠ざかっていった。




14:46 パトカー内


 白昼の中、パトカーが走る。

 クイズが行われるであろう、大型ビジョンのある駅前へと向かう道のり。片道二車線の道路を突き進む。

「人が少ないな」

 運転しながら、相模は閑散とした沿道へ鋭い視線を送った。

 副都心の目の前まだ来たというのに、人の影はまばら。本来あるはずの喧騒がない。

「好きで死にたい人なんて、いないでしょ」

 頭の後ろで腕を組み、工藤が助手席で呆れたように応じた。

「そんな事より、この後はどうします?」

「あと?なんのことだ?」

「だって……」

 吐き出そうとした言葉を飲み込む。突然、相模が胸元あたりを気にしだしたから。

 個人端末への緊急連絡。車を路肩に止め、個人端末を取り出す。

「もしもし?」

『相模か?』

「五十嵐、どうした?」

 相手が同僚だと分かり、スピーカーをハンズフリーに切り替える。

『ずいぶんだな。秋月の続報を伝えようとしたのに』

「助かる。教えてくれ」

『秋月の居場所が特定できた。今、別動隊が向かっている』

 相模と工藤、互いに視線を交わす。

「ホントか?」

『ウソついてどうする?』

 五十嵐の軽口に、相模の強張っていた顔が少しだけ緩んだ。

「場所を教えてくれ。メモは……」

「大丈夫っス」

 相模が運転席のまわりを物色しはじめる。すると、工藤は余裕たっぷりに遮った。

「言ってくれれば、憶えますから」

 自分の頭を指しながら、平然と言ってのける。

 実際、五十嵐が読み上げた住所を、一度だけで記憶した。

『じゃあ、また何か分かったら……』

「待ってくれ」

 連絡を終えようとした五十嵐を、相模は呼び留める。

「コッチも大事な話がある。

 日本が混乱するかもしれない、重要な情報だ」

『……なんだ?』

「首相が、襲撃される可能性がある」

 五十嵐の反応は、すぐに帰ってこなかった。

『コイツはまた……ドコからの情報だ?』

「オレたちの推測だ」

 再び沈黙。

 呆れたような、だが、どこか納得したような。深いため息がスピーカーから漏れた。

『オマエが言うんだ。おそらく、マトは外してないんだろうな』

 五十嵐の感想には反応せず、相模はさらに話を続ける。

「証拠はまだだが、出たら警護するスタッフに話を通してもらいたい。

 できれば、本部を通さない形で」

『随分と用心深いな』

「今回ばかりは、な。できるか?」

『やってみる。が、期待はしないでくれ』

 短い返事とともに通話が終了した。

 相模は端末をしまい、ハンドルを握り直す。

「間に合います?」

 主語をワザとぼかして、工藤は相模の表情をうかがう。

「分からない。だけど、しっかり前進している」

 固い表情で返した。エンジンを吹かすと、パトカーは再び走り出す。

 工藤も助手席に身を預け、窓の外へ視線を動かした。

 ガラスとアスファルト、そして合金が散らばる道の上。人工物ばかりの冷たい景色が、飛ぶように後方へ消えていく。

 エンジン音だけが車内を満たした。

 ふと、思い出したように工藤は口を開いた。

「相模さんは、なぜここまで動くんですか」

 前置きのない言葉だった。

 普段の軽口からは想像もつかない真剣なトーンに、相模は少し思案してから答える。

「間違ったことが起きそうな時に、止めようとしない人間でいたくない。それだけだ」

「自分が間違っている、と思ったことは?」

「規則を守ることと、正しいことをすることは……同じとは限らない」

 前を向いたまま、スピードを上げた。減速せず、交差点に侵入する。

 その時だった。

 交差する横道の死角から別のエンジン音。

 クラクションはない。けたたましいスキール音を立て、黒いワンボックスが襲い掛かる。

「っ!」

 相模が瞬時にハンドルを切った。パトカーが大きく揺れる。

 間一髪。ワンボックスはパトカーの鼻先をかすめ、猛スピードで眼の前を通り抜けていく。

 終わりではなかった。

「伏せろっ!」

 相模が鋭く叫んだと同時に、乾いた破裂音。リアウィンドウがクモの巣状に割れる。

「ひっ!」

 工藤はとっさにシートの上で身を丸くした。

「くそっ!」

 相模はアクセルを思いきり踏み込む。

 タイヤが一瞬だけ空回りすると、車体が弾かれたように路面を蹴り飛ばす。

 一気に加速し、追撃の銃声を置き去りにした。

「追ってこないな」

 ドアミラーで確認しながら、相模は安堵の言葉を漏らした。

 だが、すぐに真剣な顔へと戻る。

「いったい、どこが。なんの目的で……」

「警告か、もしくは阻止ですかね」

 工藤は震える両手を隠すように、強く膝に押し付けた。

 目が、わずかに潤んでいる。

「コレ以上、クイズを解答できないように」

 二人とも、何も言えなかった。

 パトカーは割れたリアガラスから冷たい風を巻き込み、目的地を目指して突き進む。

「……続けよう」

「っス」

 声が少し掠れていた。




14:51 副都心 ターミナル駅前


 駅周辺まで近づくと、制服姿の警官が誘導してくれた。

 相模と工藤を乗せたパトカーは、誘導灯の指示に従う。

 この駅は広い。一日に300万以上の人間が利用する、世界的に見ても最大のターミナルだ。

 迷宮に飲み込まれないよう、進む先を示してくれるのは時間の節約にも役立った。

 完全に封鎖されたロータリーの中央に車を停め、二人は外へと降り立つ。

「お待ちしておりました」

 年配の制服警官が敬礼で出迎えた。意匠が誰とも違う。

「署長の石川です」

 自己紹介もそこそこに、現状を二人に伝え始めた。

「周辺地域の一般市民は、すでに退避を完了。部外者はすべて締め出しています」

 言葉通り、幾重にも重なる改札やホームからは人の気配はない。不気味な静寂が、地下のロータリーに広がっている。

「また、大型ビジョンに人員を配置しました。

 クイズが出題次第、問題は共有できます」

「それは……恐縮です」

 今までと違う配慮に、相模は感謝した。

 これだけ大きいと、出題が予想されるスクリーンの数もひとつではない。

 しかも、スクリーンから駅前の公衆電話まで、信じられないほど距離が離れている。

 今まで通りの制限時間では、間に合わないのは目に見えていた。

「電話番も用意しました。

 安全な場所から解答を伝えてもらえば、後はコチラで対応できます」

 と、石川の双眸が工藤に固定される。その奥には、打算の色が見え隠れしていた。

 単なる気づかいではない。警察のメンツとして、『クイズを正解した』という実績が欲しいのだろう。

「いや、大丈夫っス」

 だが、工藤は断った。

「おいっ、工藤……」

 相模の確認も無視し、一人で公衆電話のある道を歩き始める。

 予想外の拒絶に、石川は一瞬だけ目を丸くする。が、渋々といった様子で立ち去る背中へ語りかけた。

「せめて、護衛だけでも」

 署長の申し出に、今度は断らなかった。




14:58 副都心 ターミナル駅内

 

「どうして、申し出を断った?」

 公衆電話が並ぶその脇で、相模は工藤に詰め寄った。

 彼の打算ありの好意を受ければ、たとえ間違ったとしても命は保証される。断る理由は、どこにもない。

「……だって」

 工藤はイヤそうに唇を突き出した。

「なんか、手柄を横取りされるカンジだったんで」

 子供じみた反論に、相模は顔をしかめてしまう。

「そんなことで、拗ねるんじゃない」

 命がかかった状況に、似つかわしくない理由。相模は呆れて首を振った。

「手柄なんてくれてやれ。大事なのは、この連続爆破事件を止めることだ」

「でも……」

 それでも納得がいかないのか。工藤は相模に向かって恨みがましい視線をぶつける。

「なぁ、工藤……」

 相模の苦言は途中で遮られる。

「問題が出ましたっ!」

 誰かが叫んだ。地下ターミナルにビリビリとした緊張が走る。

「内容はっ!」

「読み上げますっ!」

 トランシーバーを握りしめた署員が声を張り上げた。

 

  体内で外敵から体を守るはずのT細胞が、

  誤って自己の正常な細胞を攻撃し始める疾患を

  総称して何と呼ぶか

 

 問題を言い終えるよりも先に、工藤は受話器を取った。

「自己免疫疾患」

 耳に当てるのと、ほぼ同時。今までの中でも、一番早い。まさに瞬殺である。

 その分、解答が分かるまでの静寂が、重く感じた。

 緊張からか、誰も言葉を出せない。頬から汗が伝い、唾を飲み込む音が聞こえた。

「せっ……正解ですっ!」

 裏返った声での報告が、広いターミナルを満たす。

「タイマーが止まりましたっ!爆発も発生していませんっ!」

 瞬間、割れんばかりの歓声が上がった。

 警官たちは職務を忘れて歓喜の輪を作り、互いに抱き合う。

 張り詰めていた糸が切れ、薄暗い地下空間が嘘のように明るく沸き立つ。

 だが、工藤と相模は喧騒から外れ、沈痛の表情を作った。

「T細胞。人体を守る免疫細胞」

 工藤が、誰に向けることなく呟く。

「生命を守る守護者が、守るべき対象を攻撃しているな」

 相模も、独白に加わった。

 工藤は、小さくうなずく。

「1回目から全部、同じ。秋月さんは、ひとつの内容を訴え続けてます」

 静かな指摘に、相模は黙ったまま意味を咀嚼する。

「閉じ込められた状況の中に隠されたメッセージ。守護者の中に潜む敵」

 自然と、二人の視線が虚空に固定された。

 頭の中で、これまでの断片が一斉に照合を始める。

「本部長の指示がおかしかったのは、外から押さえられていたからだ。

 捜査本部内の問題じゃない」

 相模は声を一段、落とした。

「もっと上からの圧力だ。

 警察庁を動かせる立場の人間が、首相の周囲にいる」


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