5.解答の先
12:35 パトカー内
相模がアクセルを踏み続けるにつれ、周囲のビルが高くなる。
街並みもどこか洗練された、華やかな印象へと変わった。
都会の、ガラスと鉄骨の密度が濃くなる。
ぼんやりと景色を見ていた工藤は、車内に視線を戻す。
ほとんど喋っていなかった。
出会ってから1時間と少し。お互いに人となりも分からない。会話のネタなど、とうに尽きていた。
工藤は手の中で転がしていたスマホを覗いた。動画サイトを確認する。
登録者数は減っていない。むしろ、確認するたびに増えていた。
それが、嬉しいのかどうかも分からなくなっていた。
「もうすぐ、ですかね?」
耐え切れなくなり、工藤が自分から話しかけた。
「そうだね」
相模もハンドルを握る手から力が抜けた。
「次も、ギリギリってところか」
そうだろうな、と工藤も感づいていた。
日中にしては、往来は少ない。
だが、乗り捨てられた車両が素直に進ませてくれなかった。中には玉突き衝突したまま放置された、煤けたスクラップもある。
相模はハンドルを大きく切り、ゆっくりと障害物を回避する。
どうにか間をすり抜けられたが、時間的ロスは避けられない。
「緊張しているのか?」
相模の声は優しかった。励ましてくれているのかもしれない。
「どう、ですかね……」
工藤はうつむいた。
単に、バズれば良かった。少しだけ、チヤホヤされたかった。
それが、こんな代償を背負うことになるとは。
少し前に時間をさかのぼって、浮かれた自分に文句を言いたかった。
12:57 駅前
正午を少し過ぎた時間なのに、人影は少なかった。周辺を警備する制服警官しかいない。
ゴーストタウンは言い過ぎだが、閑散とした駅前。工藤は居心地が悪くなった。
相模は、敬礼する警官に状況を尋ねた。
「状況は?」
「市民の退避は完了してます。現在は沿線すべて立入禁止となっています」
大型スクリーンのある駅周辺が標的だというのは、認識として広まっているようだ。
報告を終えた警官の首筋を、冷たい汗が伝い落ちるのを工藤は見た。
「そろそろ、時間です」
警官が腕時計で確認すると、残された警官隊からざわめきが起こる。
見上げると、スクリーンの映像が切り替わっていた。
金色の額縁。傷ひとつない、微笑まないモナ・リザの大壁画。
彼女の下に、問題文が踊る。
ジョン・ル・カレの小説『寒い国から帰ってきたスパイ』において、
英国情報部がリーマスに気づかせないまま果たさせた、
組織の計画における役割を一文字で答えよ。
カウントダウンが始まった。
「電話はっ!?」
相模が短く吠えた。誰かが駅の隅を指し示す。
工藤は走り出した。相模も。すぐに追いついた。
公衆電話に飛びつくと、荒々しく受話器を持ち上げる。
「答えは?」
「囮っ」
はたして正解か?駅前の視線がモナ・リザに集まる。
問題文が消えた。
続いて浮かんだのは『正解』の二文字。同時に、カウントダウンは留まった。
工藤は小さく息をつきながら受話器を置いた。何回も繰り返せば、イヤでも状況に適応してくる。
心に余裕が生まれた。
だからだろうか。漠然とスクリーンを眺める。瞳にモナ・リザは映っていない。別の懸念が、頭の中に浮かんでいた。
「どうした?」
異変を察知した相模が、工藤の顔を覗き込む。
「あっ、いえ……」
言葉を濁し、目をそらした。そのまま下を向く。
「そうか」
相模もそれ以上は言わず、優しく背中を押した。工藤も素直に従う。
二人は肩を並べてゆっくりと公衆電話を離れ、パトカーへと歩き出す。途中で、警官たちに呼び止められた。
横で相模が警官と会話している間も、終始無言。
何を話し合っているかも、耳に入らない。
頭の中で、言葉にならない黒い染みが広がっていく。何が引っ掛かっているか、うまく言えなかった。
思考をまとめられないまま、促されるままにパトカーの助手席に座った。
運転席の相模がエンジンを始動し、再びパトカーは滑り出す。
車内は沈黙が支配した。先ほどとは違う重みを持った静寂が、二人の間に横たわる。
「疲れたかい?」
様子が変わった工藤を気遣ってか、相模から声をかけてきた。
「いえ……」
うわの空で応じる。おもむろに、手にしたスマホで動画サイトを開いた。
サイトの登録者を確認するためではない。検索欄に『爆破事件 モナリザ』と入力する。
いくつもの動画がヒットした。映像が鮮明なもの、曖昧なもの。中には何を映しているのかわからないものまである。
工藤は片っ端から再生した。
クイズの場面が映ってないと判断するや、すぐに止める。別の動画を再生した。
知らなかった、一問目の内容を把握できた。右目の欠けたモナ・リザの問題も、答えを出すのは容易だった。
「どうした?」
「静かに」
不躾な制止。相模は咎めることなく、口を閉ざす。
「壁を叩く音……リシン弾……」
小さい画面を凝視しながらつぶやく。
「タップコード……マネジメント・オーバーライド……そして、囮」
今まで出題された問題、そして答えを並べた。並べ替え、その背後にある共通の影を炙り出す。
「声を上げても届かなかった人間の話だ。閉じ込められて、握りつぶされて、利用されて……」
スマホを持ったまま、しばらく黙った。動画の再生は続いているが、目に映るだけで見てはいない。
「でも……じゃあリシン弾は……」
「何を考えている?教えてくれ」
頭を抱える工藤に、相模が口を挟んだ。納得いかない顔で、自分の殻に閉じこもる男の肩を揺さぶる。
「いや……、ちょっと気付いたんです。クイズの内容に偏りがあるな、って」
はっ、と顔を上げた工藤が、疑問を放り投げた。
「偏り……って、どういうことだ?」
「大半が、声を上げても届かなかった人間の話なんです」
早口にまくし立てる。熱を持って、脳内で導き出した結論を一気に、言葉の弾丸として放つ。
「閉じ込められて、握りつぶされて、利用されて。……普通、こんな問題の構成なんてしません」
言い切ると、車内の静寂は意味を変えた。
相模は運転しながら片手で襟元を緩めた。
「それは……犯人がワザと問題を片寄らせている、と?何が目的で」
「出題者は、メッセージを送ってるんです」
確信があった。揺れた双眼には生気が宿る。
「問題を使って、自分の状況を外部に伝えたい。そんな意図を感じます」
思わず、パトカーは赤信号を無視して交差点に侵入した。慌ててブレーキを踏む。対向車は存在しなかった。
「例えば、だが」
言葉に詰まりながら、相模は会話を続ける。
声が重い。助手席から放たれた熱に当てられ、彼自身もまた思考の暗がりへと足を踏み入れていた。
「犯人は、別の第三者に弱みを握られている、と?」
「それか」
工藤は慎重に言葉を区切った。
「その犯人が、別の誰かに脅迫され、実行している、とか」
二人とも黙った。
13:11 パトカー内
相模はパトカーを道の脇に停めた。懐からスマホを取り出す。
「警察用のっスか?」
工藤が尋ねると、相手は首を横に振った。
「個人携帯だよ。これから電話するのは同僚だけど」
「知ってるんです?」
「ああ」
工藤は少しビックリした。自分はコンビニの同僚の連絡先など、誰も知らない。
『相模?』
スマホのスピーカーから聞いたことのない声が響いた。気を利かせて、ハンズフリーにしてくれたらしい。
「五十嵐か」
『ああ。この電話に、他に誰が出るんだよ』
苦笑するような、小さい笑い声。
『話は現場から聞いてるぞ。暴れまわってるらしいな』
「ああ。それより大事な話だ」
『なんだ?』
「連続爆破の犯人は第三者から精神的、もしくは肉体的に拘束されている可能性がある」
かいつまんで、工藤と話し合った内容を説明する。
いい終えると、次の発言まで少し間があった。
『初耳だな。どこからの情報だ?』
「今の相棒からだ。情報というより、推測さ」
相模の口からさらりと飛び出した、淀みのない発言。工藤は驚きをもって運転席の横顔を見つめた。
気にせず、刑事は話を続ける。
「その線で、捜査を進められないか?そんなに的外れではないと思うんだが」
『助かる。コッチも八方ふさがりだったんだ』
「そうなのか?」
『ああ。なんせ、本部長の指示がちぐはぐなんでね』
電話口から重いため息がこぼれた。
『一度決めた方針の後に席を離れると、逆の指示を出したりする。そのせいで捜査本部は混乱してる』
「そうか……」
相模は少し険しい顔を作る。
「現時点で分かっている情報をくれないか?コッチでも調べてみる」
『そういうと思ったよ』
スマホから少し明るい声が返ってきた。
『出題者と思われる人物は特定できた。秋月圭介。クイズ作家だ』
「えっ?」
工藤は息を呑んで相模のスマホを凝視した。
『現在の居場所は不明。失踪直前に、大容量の暗号化データを持ち出した形跡がある』
「他には?」
『なし。言ったろ?八方ふさがりだって』
相模は奥歯を噛んだ。
容疑者の氏名が分かった。でも、彼が何者なのか、なぜクイズを出題するのかまではたどり着けない。
だからか。自然と助手席の一般人に頼ろうと視線を向けた。
ようやっと、工藤の異変に気づいた。
顔が青白い。少しだけ震えている。
「また連絡する」
短く断ってから、通話を切った。
「大丈夫か?」
工藤からの返事はない。膝の上で両手をきつく握りしめ、視線から逃げる。
「知ってるみたいだけど、知り合いか?」
「……いえ」
しどろもどろに、工藤はつぶやいた。否定の言葉はひどく弱々しい。
「ただ、名前は知っています」
「どうして……」
言い訳を探すような工藤の物言いに、相模は彼の肩をつかむ。
「どうして、さっき言ってくれないんだっ」
「どうして、って……」
ひどく揺すられ、工藤は少し身を引いた。責めたてられたように感じ、つい相模と距離を取る。
拒絶された相模は彼から手を離した。
「悪い。だけど、知っていることをすべて教えてくれ」
工藤は小さく首肯した。
「クイズ業界では、名の知られた人です」
明らかに下がる声のトーン。
「本業はネットワークセキュリティの専門家で、趣味でクイズの問題も作ってます。
知識系の問題が多いですけど、連想系も得意で」
「それで?」
相模に促されると、スマホを握りしめる。
登録者数が二桁もいかなかったころ。誰も見ていないと思っていたチャンネルに、ある日突然、知らない名前がコメントを残した。
誰も見向きしない真実を拾い上げる、キミの解体的な視点は嫌いじゃないね。
嬉しかった。でも信じなかった。お世辞か、変人か。また来ることはないだろうと思っていた。
だけど。もしかしたら、あのコメントは……。
今なら、分かる気がした。
動画を全部見て、経歴を調べて、自分のクイズを解ける人間かどうかを確かめた上で。
秋月は、あの一文を置いていった。
偶然、見つけたんじゃない。探した末に、見つけたんだ。
「悪い人じゃない、と思います」
短く、弱々しく。
相模はそれ以上、言及しなかった。
「さて、どうしたものか」
髪型が崩れるのも構わず、相模は頭をかき乱す。
彼もまた迷っていた。
このまま、現場に留まるか。それとも秋月の捜査に合流するか。
究極の二択に、答えを出せない。
「相模さん」
眉間に皺を寄せたまま宙を睨んでいると、工藤が言った。
「妙案があります」
相模が工藤を見る。
工藤も顔を上げて、相模を見た。




