3.突然の申し出
11:28 駅前広場
「協力する、ということは」と工藤は言葉を選んだ。
「この後の、爆破事件に巻き込まれる。というコトっスよね?」
「分かりません」
相模は間髪入れずに答えた。
「続くかもしれないですし、これで終わりかもしれません」
「なら、協力は必要ですか?」
突き放すように、工藤は続ける。
怖がっているように聞こえたかもしれない。
でも違う。工藤には、この男が求めていることの意味が分かっていた。
分かった上で、断っていた。
男は少し戸惑ったような顔をした。
「多くの人が危険にさらされているんです」
それでも真っ直ぐな目を向け、言葉を継いだ。
「もし、次も同じようなことが起きれば——」
「イヤ、イイっす」
工藤は相模との会話を途中で遮った。
「オレ、忙しいんで」
だが——
「待ってくれ!」
踵を返した瞬間、腕を掴まれた。
強くはない。でも、振り払える力じゃない。確実に止めていた。
「いや、ムリですって」
「そんなわけ、ない」
相模は力強く言い返す。
「実際、危機を救ったじゃないか」
「偶然ですよ」
「偶然で、誰も知りようのない問題は解けるもんかっ」
掴まれた腕から熱を感じた。工藤を見る相模の双眼は熱い。
「いや、でも……」
つかまれた場所が灼けてしまう錯覚に、工藤はつい、口ごもってしまう。
「危ないじゃないっスか。イヤですよ、痛いのは」
「自分の命に変えてでも、絶対に守る!」
間髪入れず、相模は答えた。
その毅然とした態度に、微塵のゆらぎを感じない。
「マジか……」
工藤は呟いた。
相模という刑事は、本気だ。バカみたいに。
命がけで、爆破事件の渦中に飛び込もうとしている。誰も彼もを救おうとしている。
でなければ、『自分の命に変えてでも』などという言葉を、ここまで強く吐けるものではない。
だから、うっとうしかった。いき
本気に対して、どう返せばいいか分からない。
「……分かりましたよ」
工藤はため息をついた。人生で一番、長く重い吐息だ。
「次の1回だけですよ」
力が抜けた。あまりの本気の剣幕に、もういいか、という疲れに近い感情が来た。
それだけのことだった。
11:32 車内
駅から少し離れた路上に、相模の車があった。
連れてこられる間、どこへ行くのかと工藤は考えていたが、口には出さなかった。
ドアを開けた相模に促され、工藤は助手席に乗り込んだ。センターコンソールが目に飛び込む。
「……私用車っスか?」
「そうです」
運転席に座る相模の返答は一言。それだけで終わった。
エンジン音は静かだった。それでも、なんだか息苦しい。
「第1回から第3回まで、都心に向かう主要路線の沿線で発生しています」
車が走り出すのと同時に、相模は説明を始めた。
「間隔は1時間ごと。場所は駅前に大型スクリーンがある場所です」
「でしょうね」
工藤は聞き流しながらスマホの地図アプリを起動した。考えるより先に指をすべらせる。
「だとしたら、次はこの場所っスかね?」
ピンを立てた地図を相模に見せた。運転しながら一瞥し、小さくうなずく。
「今、その場所に向かっています」
相模の返答の後、会話が止まる。
どちらも口を閉じたまま。車内はエンジン音とタイヤから伝わる振動が支配する。
工藤は窓の外を流れる景色を漠然と眺めた。
特に何かを考えているわけではなかった。目が、ある場所で止まった。
「最近、公衆電話が増えましたね」
「大規模災害の対策で増やしているそうです。首相の政策で」
「そうっスか」
結局、会話は続かない。
信号に引っ掛かって止まる間、工藤はスマホでニュース速報を確認した。
ある見出しが引っ掛かった。
「コレ、本当っスか?」
工藤の問い掛けに、相模の首が向いた。
差し出した画面にはニュースの見出しが大きく踊る。
爆破事件は首相と外国外相との会談を狙った犯行か?
2日後の会談に暗雲
「分からないです」
「えっ?」
意外な言葉に、工藤の目が開く。
「捜査してるのに、なんの情報も持ってないんスか?」
相模は静かにうなずいた。
「捜査本部からの指示は、もらってないですから」
「……正式な捜査じゃないんですか?」
「正式ではありません」
あっけなく、一言で答えられた。
工藤は横目で相模を見て、再び視線を戻した。少しだけ、心臓の音が早い。
少しだけ、片方の眉根が上がった。
車の中には逃げ場がない。空気が更に重くなった。
信号が青に変わった。少しばかりの後悔と一緒に、車が走り出す。
沈黙が疾走する。重い沈黙がふたりを運ぶ。
静寂を破ったのは相模の方だった。
彼自身ではない。ポケットから着信音が鳴り出した。すぐに切れた。
次の信号待ちでスマホを取り出す。
持ち主は画面を一瞬だけ見て、何もなかったかのように元の胸ポケットへしまう。
信号が青になるのと重なった。
「おっと」
発進と同時に相模の手からスマホがこぼれ落ちた。支えを失った端末が車内に転がる。
工藤は身を縮こませ、落ちたスマホを拾い上げた。
「ありがとうございます」
「いえ」
渡すと同時に、工藤は身構える。
チラリと見えた画面には「今夜、首相が都内のホテルで協議」という文字。
情報、貰えてるじゃん。とは言えなかった。
なんともない不安が頭の中を支配する。相模の協力を承諾したのをすでに後悔していた。
だからなのか、機械的な音声は少し助かった。
この先、渋滞があります。
カーナビを見ると、向かう先に赤い矢印が長く伸びた。車の流れが目詰まりを起こし、速度が落ちる。
前を走る車のブレーキランプが点いた。
止まる。赤いランプは消えない。
工藤は窓の外を見た。
自分がなぜここにいるのか、考えてみたが答えは出なかった。
11:45 車内
2車線とも道の向こうまで車両で埋められた。あふれる排気が、視界を僅かに歪める。
視界を車間距離はゼロ。完全に車列に閉じ込められた。
誰かがクラクションで急き立てる。だが、動かなかった。1ミリも。
「事故ですかね」
工藤はとなりの相模に尋ねた。
答えを求めてなかった。彼も知らないだろう。ただ、黙っているのが苦しかった。
「かもしれない」
返ってきた声は、少しばかりの焦りを滲ませる。その指がコンソールに伸びた。カーナビを操作し、渋滞を示す赤い線をたどる。
5キロ以上、渋滞が続きます。
無機質な機械音が答えると、相模は軽く舌打ちした。
「マズいな」
何を意味しているか、工藤はすぐに気付いた。
次のタイムリミット、爆破を賭けたクイズに間に合いそうもない。
「どうします?」
頭の上で腕を組み、間延びした質問を投げかけた。
しょせんは他人事である。間に合わなくても責任はない。
相模は前方と強く見つめたまま、慌ただしくシートベルトを外した。エンジンをかけたまま。
「ここから歩こう」
「えっ?」
予想外の振る舞いに、工藤の声が裏返った。
「ちょ、ちょっと!車はどうするんです?」
「置いていく」
当然のように。相模は工藤のほうに上半身を乗り出すと、ダッシュボードを開けて拳銃を取り出す。
「ジャマになるっスよ」
「鍵をつけておけば移動できる」
「盗まれるかも」
「目的地へ到着するのが先だ」
相模は工藤の肩を叩くと、ドアを開けて滑り降りる。
「どうしたっ、一緒にきてくれっ!」
だが、工藤は動かない。
シートに身を深く沈め、窓の外をぼんやりと見つめていた。
「どうしても、行かないとダメですか?」
ドアを開けてくれた相模の顔が近い。
怒ってはいなかった。ただ、熱い眼差しを向けてくる。
「キミがいないと、問題が解けないっ」
恫喝でも、叱責でもない。単なる事実。
だが、工藤は動かない。
「くっ!」
口を真一文字に結んで、工藤は決断した。
「後から来てくれっ!頼んだぞっ!」
工藤に背を向け、駆け出す。目だけで追ったが、すぐに見えなくなった。
気づいたら、助手席のドアに手をかけていた。
指先は冷たい。
いきなり独りぼっち。何とも言えない不安に襲われる。
「なんで……」
誰に言うでもなく、呟いた。
「なんで、そこまでするんだろ……」
思考が、そこで止まってしまった。
そのまま、どこにも行けない。
助手席から出ていく理由もなければ、このまま乗り続ける理由もない。
逃げ場はない。渋滞と工藤の状況はよく似ていた。
ため息が、小さく開いた唇からすり抜ける。
「手伝うって……言っちゃったし」
めんどくさそうに、工藤は腰を上げた。
11:51 幹線道路
少し前に進むだけで、道がふさがった。
人の津波が歩道を呑み込んだ。車道のわずかな隙間も、色とりどりの群衆で溢れ出す。
「うわっ」
背の高いバンの後ろに隠れ、すんでのところで押し潰されるのをまぬがれた。
左右を通り抜ける、悲鳴かどうかも分からない金切り声。暴力的な濁流が肌を震わせた。
これでは進むどころか、身動きすらできない。
頬に冷たい汗が流れる。
「来るんじゃ、なかった……」
後悔しても遅い。このまま爆弾は炸裂するまで頭を低くするしかない。
願わくば、爆発の規模は小さくありますように。
「工藤くんっ!」
混乱の最中、自分の名前を呼ばれた。抱えた頭を突き出して確認する。
「さっ……、相模さんっ!」
先行していた刑事が、人間の洪水に耐えながら工藤を見つけていた。
無秩序な激流に逆らい、身体をぶつけるのをいとわず突き進んで来る。
「来てくれると思ったよ」
ついにたどり着く相模。息を乱していない。
「いえ……、でも」
工藤は刑事の体力に舌を巻きながら、肩を落とした。
「これじゃ、先には進めませんよ」
激流は落ち着く様子すら見えない。怒号と叫びが混ざり合い、視界すら混乱が塗り潰していく。
「大丈夫だ」
相模はいうが早いか、波よけに使ったバンのふちに指を掛けた。勢いをつけ、天井によじ登る。
腕の力だけで、車体の上に軽々とその身を躍らせた。
「さぁ、手をっ」
あっけにとられていた工藤に、相模が手を伸ばした。
工藤は両手で掴むと、信じられない力で引き揚げられた。
車上は無風だった。
渋滞で詰まっていたお陰で、鉄の足場が前方へ伸びる。誰にも邪魔されない道。
「行こうっ」
力強い言葉と共に、相模が先頭に立って進む。
工藤は意を決し、落ちないよう後に従った。
足元の不安定さを気にしながら、大股で駆け抜ける刑事を追いかける。
キツかった。
進むのが速い。途中、相模をマネして何人かが車をのぼった。
が、相模の疾走に負けてすぐに飛び降りてしまう。
それほどの速度を最後まで守り切った。
駅前に着く頃には、工藤の肺が悲鳴を上げた。地面に足を下ろすと、両膝が笑った。
「間にあったな」
相模の息は、まるで上がっていなかった。
静まり返ったロータリーに異変がないか、険しい視線を飛ばす。
妙な空白だった。
初めてクイズと出会った駅前とは、雰囲気が違う。もっと空気の張りつめた、まさに嵐の前の静けさだ。
「相模さんっ!」
スクリーンの前に立っていた制服の警察官が数人、駆け寄って敬礼をしてきた。
その顔には安堵が浮かんでいる。
「捜査本部から応援に来てくれたんですね。助かりました」
「残念だが」
敬礼を返しながら、相模は一拍置く。
「捜査本部からではない。が、応援に来た」
警察官たちが少し困惑した。しかし状況を見回して、それ以上は聞かなかった。余裕がないのは互いに同じだった。
「この方は」と警察官のひとりが工藤を見た。
「協力者だ」
工藤は軽く会釈した。
「状況は?」
「周辺の避難は完了しました。クイズは、まだ出題されていません」
不安そうに、警察官はトーンの落ちた声を出す。
相模は意味有りげな視線を工藤に飛ばした。
工藤は何も言わない。
「あっ」
誰かが呟いた。
全員の目がスクリーンに向く。
画面が切り替わっていた。
金色の額縁が現れ、その内側に女の絵が映し出された。
薄暗い背景に微笑む女の肖像。完全なモナ・リザの微笑。
工藤は問題文に視線を移していた。文字がスクリーンに浮かびあがる。
1986年1月27日夜、
チャレンジャー打ち上げ中止を訴えたエンジニアたちの警告を、管理者は自身の権限で覆した。
この行為を、工学倫理の分野では何と呼ぶか。




