1.底辺動画配信者
10:41 ファストフード店
中途半端な時間だった。
朝食としては遅すぎるし、ランチにしては少し早い。
有名なファストフードの店内。窓際の席から見渡すと、席は半分も埋まっていなかった。
揚げ油と消毒液が混ざったような匂いが鼻をつく。BGMは気にならない程度の音量で、ふんわりと流れていた。
天井から吊るされた暖色のライトが、トレーの上で忘れ去られたハンバーガーを照らしていた。
工藤枢はテーブルに肘をつき、スマホの画面を眺める。
自然と背中は丸まり、足を椅子の下に投げ出していた。
脇に置いたコーヒーカップは、とっくに冷めている。
その間も、スマホから目を離さない。
【衝撃】コーヒーの歴史に隠された意外な真実10選
画面には、動画サイトのダッシュボードが映っていた。昨日アップした動画の下に刻まれた再生数は、83回。
このうち、何回が自分で確認した時のプレビューか?
数える気にもならず、指を折るのをやめた。
以前は数えていた。今は数えない。どちらにせよ、いつ見ても何も変わらない。
視線を上に動かし、登録者を確認する。
三桁。少し減っていった。
もちろん、これでは収益など見込めるはずもない。
深いため息に合わせ、スマホをトレーの脇に置いた。
どうして伸びないのだろう?考えようとして、すぐに放棄した。考えを進める気力が続かない。
こんなはずじゃなかった、と思う。
最初はクイズ動画だった。
あっという間に伸び悩んだ。だから雑学系動画に切り替えた。何も変わらなかった。
そういう積み重ねの話だ。でも、それだけの話でもない気がして。
工藤の気だるい目が、コメント欄に流れた。
チャンネル全体でも、片手の指ほどしかない。大半は冷やかしで、好意的なのは1件だけ。
誰も見向きしない真実を拾い上げる、キミの解体的な視点は嫌いじゃないね。
添えられたハンドルネームは、クイズ界隈では有名な人物だ。
だけど、本人なのかは分からない。
工藤は動画サイトのアプリと、力ない肩を同時に落とす。銀行アプリを立ち上げた。
残高は4桁。バイトの給料日まで、あと3日ある。
工藤は頭を掻き、顔を上げた。
窓の向こうにあるスクリーンと目が合う。
向かいにある駅舎の壁に設置された、大型スクリーン。真剣な顔をしたニュースキャスターが堅く口を動かす。
音は工藤の元まで届かない。
それでも、下に流れるテロップで、どんなニュースなのかは理解した。
都内で再び爆発、ビル崩壊 死傷者多数の模様
爆破テロの可能性 警視庁は特別捜査本部を設置
朝からワイドショーを賑わしている、最新ニュース。
わざわざ文字に書き起こされても、工藤にはピンと来ない。
数駅先で起こっているハズなのに。どこか遠くで起こった出来事にも思えて。
そんなことよりも、わずかな口座残高のほうが重大事だ。
工藤は漠然とニュースを眺めたまま、テーブルをガイドにして腕をスライドする。ハンバーガーが指に引っ掛かった。
鷲づかみにし、がぶりつく。
スクリーンの映像が切り替わった。
視聴者からの提供という字幕とともに流れ始めたのは、手ブレした映像。
瓦礫に埋め尽くされた広場。白い粉塵。前景のすべてを粗いモザイクが覆う。
何が起こっているか判別できない中、工藤は規制の網をくぐり抜けた先に目を留めた。
モナ・リザ。
彼女をフレームにした問題文が、背景に映り込む。
ブレている上に鮮明ではない。左目のあたりが黒く欠けているように見えた。
だが、彼の目を引いたのはもっと下。かろうじて読める問題文を追いかける。
一九七八年、ロンドンで暗殺されたゲオルギ・マルコフの体内から
発見された凶器を答えよ
「リシン弾じゃん」
拍子抜けした顔でハンバーガーを小さく噛みちぎり、工藤は答えた。
あっさりと。知って当然であるかのように。
咀嚼したものをコーヒーと一緒に流し込むと、顔をしかめる。
「クイズの難易度、エグっ。一般人に解けないでしょ、コレ」
ひとり言は店内のBGMに溶け込んだ。それでも別段、困らない。問題の難易度を確認しただけなのだから。
映像がスタジオに切り替わった。
年季の入ったコメンテーターが何かを話していた。もちろん、工藤には声は届かない。
代わりにテロップが要約してくれた。
専門家の話では、愉快犯の可能性が高い。
「そうっスか」
工藤はスクリーンから目を離し、食事を再開した。バイトまで時間はあるが、だからと言ってファストフード店で時間を浪費したくない。
スマホの時計を確認する。時間だけが経過していた。
それでも、バイトには間に合う時刻。
サボっちまおうか。
よこしまな考えは、すぐに霧散する。
空けた時間を有効に使うアテなどないし、後で店長からチクチク言われるのもメンドくさい。
なにより、心もとない生活費が必要。品出しとレジを誰かに押し付けるのも、なんとなく気が引けた。
再び窓の外を見た。スクリーンは別のニュースを流している。
隣の国、中緑の外相が来日した。しばらく日本に滞在するらしい。
興味のない話題。工藤はスクリーンから視線を外し、食事に集中する。
店内にBGMが流れた。鼻にこびりつく、揚げ油の匂い。
何も変わっていない。
コーヒーカップが空になった。ハンバーガーを覆っていた紙と一緒にトレーへ乗せた。椅子を引き、重い腰を上げる。
鼓膜が、不穏な空気を捕まえた。
ざわめきにしては重い。張りつめている。
工藤は面倒そうに周囲を見回した。
店内の誰もが窓の外に視線を飛ばす。血の気を失った青い顔で、息することを忘れていた。震える指が、同じ方向に伸ばされる。
周囲に倣い、工藤も窓越しの景色を確認した。
視界には先ほどの大型のスクリーン。ワイドショーじみたニュースは、もう流していない。
代わりに、モナ・リザの冷たい両目と目が合った。
11:00 ファストフード店
気だるそうに構えた姿勢。不機嫌そうに結んだ口。
LEDの不具合か、左肩あたりの背景が大きく欠いている。
ニュースで見た映像と同じだった。本物の絵画と似ているようで違う、世間を騒がす不吉な殺人アイコン。
「テロだぁっ!」
「爆発するそぉっ!」
工藤が目を見開くより先に、誰かが叫んだ。
それが合図に、無数の足音が巻き上がる。
店内にいた客は出口へ殺到した。すぐに満杯となった階段の渋滞に後続が乗り上げ、踏みつけてでも進もうとする。
誰かが階段から転がり落ちた。甲高い悲鳴が尾を引く。心配する人間は居なかった。しているヒマなどない。
躊躇して出遅れた工藤は、四方から突き飛ばされた。
押され、肘打ちされ、もみくちゃにされ。我先に逃げ出す人波からは逆らえず、悲鳴の圧力に文字通り押し流される。
気づけば、店の外へと弾き飛ばされた。
工藤の地獄は、ロータリーでも続いた。
逃げ遅れた人間が将棋倒しになり、赤信号の交差点は急ブレーキをかける車のクラクションで満たされている。
慌てふためく群衆が道という道を塞いだ。人々は赤信号でも飛び込み、急停止したバスにぶつかって初めて方向を変える。
誰もが、モナ・リザから少しでも離れようと、 狂ったように他人の背中を押し退けていた。
ヤバい。
工藤も本能で察知した。
同じように逃げないと。少しでも遅れれば、別のニュースでモザイクに塗りつぶされるだろう。
分かってはいたが、一歩も動けなかった。
足がすくんだわけでもない。腰が抜けたのでもない。実際、一歩だけ後ろに踏み出した。
でも、止まった。
ナゼか?
モナ・リザが囲んだ問題のせいかもしれない。
北ベトナムの捕虜収容所「ハノイ・ヒルトン」に収監された
アメリカ軍将校たちが独房間で壁越しに使用した暗号名を答えよ
見た瞬間、工藤の頭に答えが浮かんだ。
思考はない。脳内に溜め込んだ知識のストックから、意図せず転がり出た。
だけど、それをどうすれば良いかが分からない。
答えの運び先に迷っている間も、スクリーンの右下に浮かぶ数字がみるみる減っていく。
その意味を工藤は直感で理解した。時間がない。
頭を左右に振り、解答ボタンを探す。クイズならば必須の舞台装置。
悲鳴とパニックの合間に、ベルの音が聞こえた。
工藤は素早く、音の出処を探す。
視認できる範囲の公衆電話が、全部鳴っている。一台だけじゃない。並んでいるすべての台が、一斉に鳴り続けている。
アレだ!
最寄りの公衆電話まで遠くはない。考えるより速く足が動いた。逃げる人の流れに逆い、走っていた。
横から何度も体当たりされた。転びかける。「危ないっ!」という声が聞こえた。謝る余裕がなかった。
減り続けるカウントに気をもみつつ、どうにか公衆電話に飛びつく。受話器を耳に当てると、声が来た。
「答えは?」
機械的な自動音声。
「タップコード」
間髪入れず、工藤は答える。
声は震えていたかもしれない。大きかったかもしれない。ただ、吐き出した答えに迷いはなかった。
応答はない。沈黙が続く。
工藤は両膝を地につけ、目を閉じた。審判を待つ以外に、できることがなかった。
一秒。
二秒。
爆発しない。
三秒、四秒、五秒……十秒。
工藤はゆっくりと顔を上げる。
カウントは止まっていた。
スクリーンから問題文が消え、「正解」という文字。不機嫌なモナ・リザは微動だにせず、正答者へ視線を投げたような錯覚に陥る。
左肩あたりの背景に描かれている橋は消えたまま。ぽっかりと黒く空いていた。
間違ってなかった、と確かめる間に、どこかで声が上がった。
ひとつ、またひとつ。
駅前のロータリーを覆った死の恐怖が、次第に薄まる。押さえつけられた感情がでんおアスル。
声を上げて泣き出す者がいた。腰が抜けて座り込む者もいた。笑って抱き合う若者たち。
それぞれの方法で、人間の音を取り戻していく。
工藤だけ、取り残された。
近いのに、どこか遠い。白昼夢が現実の延長にあるように思えて、現実味に欠けていた。
「助かったの?」
背後から呟き声が聞こえる。振り返ると、見知らぬ男性。目に涙の跡を残し、呆然と突っ立っていた。
ふと、視線がかち合う。
気まずさに、工藤はすぐに逸らした。
彼の質問に答えなかった。答えられなかった。
クイズをスイッチにした爆発は、止まった。
だからと言って、「助かった」かどうかは分からない。
もしかしたら止まったのは気まぐれで、爆発する可能性だって残っている。
周囲と同調して、能天気になれない。
工藤は握っていた受話器を元に戻した。立っていられず、地べたに座り込む。
尻から伝わるコンクリートの感触は冷たかった。喉の奥がカラカラに干からびて、呼吸を忘れていたことに気づく。
工藤は深呼吸し、肺の空気を循環させた。
それでも、生きた心地は戻らなかった。




