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14.決着

16:40 首都高・首相車内

 

 首相を乗せた車列は、無人の高速道を走っていた。

 前後に護衛の同型車。他に邪魔な影はない。灰色のアスファルトに薄い紅色の絨毯が、果てしなく敷き詰められている。

 その上を黒のセダンが、車間距離を違えずに進んでいく。

 車内には静かだった。

 だが、ピンとした緊張があった。

 岡崎首相と佐伯首席補佐官。この二人が今もなお、会談に向けてのシミュレーションをしていたのだ。

「想定は、この程度でよろしいかと」

 いつもの口調で、佐伯が淡々と告げれば

「いや、まだだ」

 と岡崎は突っぱねる。

「アイツらは傲慢だ。会談を、恫喝の場としか考えていない」

 苦々しい響きに、佐伯の動作がほんの数ミリだけ止まった。

 珍しく、怪訝な目で首相を見る。

「では、なぜ?」

「内外へのアピールだよ」

 岡崎は悪びれる様子もなく、薄い笑みとともに本音を吐露した。

「丁寧に交渉を行ったが、決裂した。この事実が、日本をひとつにしてくれる」

 車内を満たしていた緊張感が、もう一段階、重く冷たいものへと変わる。

「中緑も黙ってない、と思いますが」

「それも、想定のうちだ」

 首相は言い切った。一切の迷いを感じさせない声で。

「必要なのは、我が国の主張を通すこと。

 彼らの言い分に、構う理由などない」

「制裁が、更に重くなりませんか?」

「なぁに。日本が持つ技術力なら、何とかなる」

 極めて楽天的に、岡崎は笑い飛ばした。

「……そうですか」

 佐伯は議論を放棄した。

 補佐官という仕事を全うするため、資料の精査を再開する。

 岡崎も満足したのか、再び会談の準備へ取り掛かった。

 それもまた、中断する。

 望むシナリオを描き始めた矢先、セダンが音もなく停車したのだ。

「どうした?」

「車が、止まったようです」

「そんなの、見れば分かるっ」

 岡崎は眉をひそめ、いら立った。

「状況を確認してまいります。しばし、お待ちを」

 不機嫌となった首相に佐伯は一礼し、車外へと出る。

 ドアを締めると、護衛のSPが整列して待ち構えた。

 合計6人。灰色の背広で統一し、ミラーシェードで表情を隠している。

「最終確認だ」

 佐伯の口調が変わる。

「爆破テロに見せかけ、この場で首相を爆死させる。

 君たちは実行後、中緑側と合流。そのまま国外へ脱出せよ」

「同志、佐伯は?」

「私は残る」

 小さなざわめきが起こった。

「慌てるな。一緒に死ぬつもりはない」

 佐伯は襟元を開き、首元から覗く耐爆チョッキを見せる。

 厚い。これなら、至近距離の爆発にも十分耐えうるだろう。

「首相亡き後も、誰かが日本の舵取りを引きつぐ。

 その時、そばに私が居なければならない」

 何も変わらぬ、平坦で事務的な口調。だが、言葉に少しだけ熱を帯びていた。

「質問はないな?では、始めよう」

 合図と共に、SPが一斉に行動を開始する。

 トランクから欺瞞用の死体を取り出し、車の座席に投げ捨てる。

 彼らは、SPと同じ灰色の服を着ていた。

 慌ただしく動く中、佐伯は首相が乗ったままの車に頭を向ける。

 そのまま、深く一礼する。

「今まで、お世話になりました」

 彼なりの決別だった。




16:45 首都高


「同志、佐伯。ご武運を」

 SPの一人に見送られ、佐伯は首相が待つ車両へと乗り込んだ。

 相変わらず、口をへの字に曲げている。

「遅かったな」

 不機嫌なのは、会談に間に合うかどうかの瀬戸際だから。

 この後に及んでもなお、己の死が数分後に迫っていると気づいていない。

「どうやら、出口付近で多重事故が発生しました」

 前もって用意したセリフを淀みなく口にする。

「現在、移動できるルートを検索中です」

「そうか……」

 岡崎はそれ以上の文句は発せず、腕を組み目を閉じた。

 そして、しばらく考え込む。過去を思い出すかのような、思いつめた顔。

 再び目を開くと、おもむろに口を開いた。

「そうそう。キミのお友達は元気かね?」

 唐突な話の振り方に、佐伯は表情を崩さず小首をかしげる。

「友達、ですか?」

「ほら、いるだろう?私を出し抜こうとする、血の気の多い若者たちが」

 何かを含んだ物言い。怪訝に思い、前方に視線を飛ばす。

 運転手は無言を貫くが、明らかに全身をこわばらせている。

 空気が、変わったことに気づいた。

「こんな私にも、身を心配してくれる友人が居てな」

 岡崎は懐に手を伸ばす。取り出したのは、何の変哲もないスマホだった。

「そんな彼が、ついさっき動画を送ってくれたんだ。私も驚いたよ」

 疑いの視線と共に、息を吹き返した画面を見せる。

 どこかで見た光景。佐伯には心当たりがあった。

 佐伯は悟った。

 計画が狂ったのだ、と。

 思い返せば、途中から違和感はあった。

 愉快犯に見せかけた爆破事件は、途中から阻止された。

 速やかに計画通りに戻すよう指示したが、それもかなわず。

 それでも支障はない、と気に留めなかったが……、それが仇になったか。

 ならば。

「岡崎さん」

 佐伯はすぐ横に座る首相へ、改めて向き直った。

「あなたは、対応を間違っている」

 敬語を捨て、ひた隠しにしてきた本心をさらけ出す。

 首相と首席補佐官という立場を超え、一人の政治家として。

「彼らのメンツを立てつつ、実利を得る。

 それが中緑との、正しい付き合い方なんです」

 淡々とした口調だが、端々に彼の信念がこもっていた。

 だが、岡崎は怪訝な顔を返す。

「そんな態度を取り続けたら、世界はどう見る?」

 岡崎はギロリ、と鋭い視線を飛ばした。

 威圧でも、脅迫でもない。彼なりの正義が、そこにはある。

「我が国を、中緑の属国とみなすぞ」

 主張を通すように、低い声を腹の底から絞り出す。

 佐伯は、ひんやりとした、深い溜め息をついた。

「これ以上の議論は、無駄のようですね」

 完全な溝が、二人の間に横たわった。交わる余地など全くない。

「ですが……先人の忠告として、胸に留めておきます」

「そうしてくれ」

「……怖くは、ないのですか?」

「こう見えても、一国の首相だ」

 岡崎は微塵の揺らぎも見せず、静かに言い放つ。

「常に、最悪の事態は覚悟している」

「そうですか……」

 最後に、岡崎の底知れぬ器の大きさを思い知らされた。

 そう。だから、彼についていったのだ。

「残念です……」

 佐伯は偽りの無い本音を漏らす。

 だが、もう遅い。

 虚無に抱かれた佐伯は、静かに目を閉じた。

 ポケットに忍ばせた起爆スイッチを押せば、首相の下に隠した爆弾が起動する。

 一人を殺害するには、十分な威力。

 それで、願い成就する。

 遠くで、ローターの音がした。




16:53 首都高


 最初は、耳の錯覚かと思うほど微かな風切り音。

 だが、確実に近づいてくる。

 佐伯は窓を開け、状況を確認した。

 眼の前で、ヘリが大きく、低く旋回していた。

 底面に大きく書かれた文字は『警視庁』。

 都合、3機。まだ、警告はない。

 状況を見極めようとしているのか。それとも、出方をうかがっているのか。

 一瞬、佐伯は起爆スイッチを押そうかと迷った。

 だが、警察がここに来た、という事は——

 遅すぎた。

 ここで首相を殺しても、手に入れるのは人殺しのレッテルだけ。

 救国の英雄の立場は、もう成立しない。

 佐伯は、ポケットの中で指を離した。

「よせ」

 同志のSPが、護衛用の拳銃を上空に構えた。見かねて佐伯は、車上から静かに諭す。

「そんな貧弱な武器では、ヘリは落とせない」

 冷静に、事実だけを告げるだけで十分だった。

 同志がうなだれる目の前に、1機が道の中央に降下する。

 降りてきたのは五十嵐。

 拳銃は持っていない。警察手帳を掲げ、SPに向けて大声で叫んだ。

「ムダな抵抗はやめろっ!」

 ローターの風圧に耐えながら一歩づつ、着実に近づく。

「高速の出口は封鎖したっ!応援のパトカーも、じきに来るっ!

 逃げ道は無いぞっ!」

 その後、「佐伯はドコだっ!」と、近くのSPに問いただす。

 ローター音に満たされても聞こえる五十嵐の声は、車内にも届いた。

「ご指名だぞ」

 岡崎にも促され、ゆっくりと車から下りる。

 五十嵐も、地に立った佐伯と真正面から向き合った。

「佐伯正隆だな」

「そうだが……何か?」

「連続爆破事件の参考人として、詳しく話を聞きたい。ご同行、願いませんかね」

 五十嵐は令状も、手錠も見せなかった。

 佐伯は落ち着き払って、背広のシワを直した。

「断る、と言ったら?」

「強制捜査に切り替え、でしょうな」

 五十嵐はほくそ笑む。

「そのために、令状を取りに舞い戻る必要があります。が、そんなのヤボでしょう?」

 意味を含んだ視線を、元警察組織の人間へ投げ掛ける。

 ネットに流出した証拠は、彼の関与を示唆するものばかり。

 本来なら、令状を用意してから逮捕するのが筋だろう。

 だが、相手は首相の首席補佐官だ。

「それとも……特権を振りかざして、逮捕を阻止しますか?」

 唯一の懸念を口にする。

 議員の持つ、不逮捕特権。現行犯でない限り、逮捕に面倒な手順を踏まなければならない。

 その間に、逃げられでもすれば——

「キミは、勉強不足だな」

 五十嵐の内心も知らず、佐伯は小さく頭を振った。

「私に、そんな特権はない」

 佐伯は歩き出した。ゆるやかに、別れを告げるかのような歩幅で。

 五十嵐と佐伯、二人の距離が縮まる。

「ときに……、キミは輪島くんの部下かね?」

 拳ひとつ分もない間合いまで詰めると、佐伯は旧友のように語りかけた。

「ええ、そうですが」

 五十嵐が怪訝そうな顔で答えると、佐伯の表情が変わる。

 柔和な、憑き物が取れたような顔に。

 岡崎でも初めて見る、人間らしい穏やかさだった。

「彼に、ことづてをお願いしたい。すまなかった、と」

 目を見開く五十嵐の横を、佐伯は通り過ぎる。

 そのまま数歩。やっと、振り返った。

「さ、案内してくれ」

 計画は、終わった。

 大群でやってきたパトカーに佐伯を乗せ、五十嵐も同乗する。

 現場検証のために残る数台を除き、大多数のパトカーはUターンする。

 赤色灯の列が、サイレンの余韻を引いた。次第に見えなくなっていく。

 ヘリのローター音も、やがて遠ざかった。

 残されたのは静寂と、首相を乗せた黒いセダンのみ。

 彼は、静けさの戻った車内で、大きく息をついた。

 すでに約束の時間は過ぎている。今さら急いだところで、取り戻せるとは思えない。

 何より——

「会談は中止だ。引き返すぞ」

 運転手に命じた。

 一台のパトカーに先導させ、もと来た道を引き返す。

 岡崎は後部座席で腕を組み、この先のことを思案し始めた。

 中緑からの抗議は熾烈だろう。せっかく作った時間を台無しにした、と。

 また、メンツを守るための外交論争になるだろう。

 いや、もっと深刻な事態になるかもしれない。

「さて……どんな手を打ってくるか」

 岡崎の問いに、誰も答えなかった。

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