15.エピローグ
数日後 警視庁
任意同行での聴取後、佐伯は都内のホテルで死亡が確認された。
死因は服毒による多臓器不全。
万が一のために監視の人員も配置していたが、相手が一枚、上手だった。
「やられたな」
報告書を片手に、志村は口元をひん曲げる。
これで、真実から少しだけ遠ざかった。彼が何を考え、この事件を起こしたのかは闇の中。
だからと言って、すべてが葬り去られたわけではない。
「志村さぁんっ」
げっそりとやつれた東が、疲れた声で先輩を呼んだ。
「サボってないで、少しは手を動かしてくださいよ」
そう言って、新しい書類の束を机の上に置く。
志村も、苦い顔をしながら報告書の束を引き寄せた。
都内を騒がせた、爆弾騒ぎは終息した。
だが、警察の仕事は終わらない。
工藤と相模が世界へと配信した無数の証拠。この裏取りが終わっていない。
なにしろ、黒いバンに積まれたデータ量は気が遠くなるほど。
署内の人間を総動員しても、数ヶ月はかかる途方もない規模だった。
「……にしても」
志村は、書類の束から一枚を引き出し、目を細めた。
「調べれば調べるほど、たまげたハナシだ」
一読し、呆れたように紙片を掲げる。
「見てみろ。クイズの解答に使われた公衆電話についての資料だ。
今回の爆破事件に合わせてこしらえたもの、だとよ」
それは、政府によって進められた施策についてだった。
目玉政策のひとつとして整備されていたが、その製造を任されていたのは中緑。
告発どおりに内部を解体したところ、設計図にない部品を発見した、と書かれている。
「それは……執念を感じますね」
東もうんざりした顔で同意する。
首都を混乱させ、その国の首相を亡き者にする。
どれだけの時間と労力を使ってまで、この狂気のシナリオを実現しようとしていたか。
捜査を進めるにつれ、背筋が薄ら寒くなる。
「これで、公式の発表は『秋月圭介による単独犯行』でしょう?」
東はデスクに片肘をつき、恨めしそうに書類をもてあそんだ。
「誰が信じるんですかね?これ」
実際、ネットを中心に別の犯人説が広まっていた。
真実に近いものから、荒唐無稽な陰謀論まで。
中には工藤の自作自演という、中傷じみた説もある。
「まったくだ」
志村は、少し離れた場所へ視線を飛ばした。
机上には何も置いていない、汚れひとつないきれいな席。
かつて、輪島本部長が使用していたデスクだった。
事件の翌日から、彼は姿を現していない。
人事からの通達では、『心神喪失により長期療養』とのことらしい。
ひょっとしたら、そのまま退職となる可能性もある。
真偽は定かでない。誰もが、話を避けていた。
「すまなかった……か……」
五十嵐も、輪島の空いた席を見つめ、つぶやいた。
伝えるべき言葉は、まだ彼の胸の中にあった。
時々、思うことがある。
自宅にうかがって、届けるべきなのだろうか?と。
実際、輪島の住所を確認しようとまでした。寸前で、やめた。
届けたところで、何になるのか。
むしろ、届かないほうがいい場合もある。
ふと、同僚のことが気になった。
連続爆破事件を解決した英雄の一人、相模真也。
書類上では、命令無視のスタンドプレーで、捜査を妨げたことになっている。
規則を破ったとして、謹慎を命じられた。
不満の声ひとつ言わず、彼は報いをきちんと受けた。
それでも、間違ったことをしたとは、微塵も思っていないだろう。
あの男は、そういう人間だ。
確か、今日から出庁しているはずだ。いわれなき懲罰は、昨日で終わったのだから。
彼には、大事な仕事が待っている。
気が進まないが、彼にしかできない仕事だ。
首を巡らし、周囲を見渡した。
相模は、本部内のどこにも居なかった。
同刻 ファストフード店
工藤は、何もしていなかった。
ホットコーヒーは、すでに冷めきっていた。ハンバーガーとポテトも、まともに手をつけていない。
いつものファストフード店で、テーブルに突っ伏しているだけだ。
「なん……だったんだろうな……」
今日だけで、何度目かのため息。
最近は、ずっとこんな感じだ。
バイトだって、黙ってバックレた。もう何回、繰り返したか数えていない。
今では、籍があるのかもあやしい。
彼も、このままではダメになる、と自覚している。
だが、身体と心、両方が言うことを聞かなかった。
死線をくぐり抜けた反動か、倦怠感が骨の髄まで染み込んでいる。
工藤は眼の前に転がるスマホをゆっくりと手に取り、銀行アプリを立ち上げた。
預金額の桁が、明らかに増えている。
だが、工藤の顔は晴れない。むしろ、落ち込んでしまう。
この送金先と、送金理由を見てしまったから。
送金先は日本国。送金理由は、謝礼として。
違う意味が多分に含まれているのが、容易に想像できた。
だが——
「……桁、ふたつほど足りなくない?」
口の中で、グチをこぼす。
命を張った対価としては、どう見ても足りない。
これなら、バイトしていたほうがマシだと思えるくらいに。
明らかに、精神的、社会的損失のほうが上回った。
工藤は、失意とため息の中、アプリを終了する。
と、画面の端にメッセージが流れた。
新しい通知が届いたことを知らせる、憂うつなポップアップ表示。
「またか……」
眉をしかめながら呟く。
確認する気にはなれなかった。見なくても、内容は予想できる。
事件直後は、工藤へのダイレクトメールがスマホから溢れかえった。
テレビや雑誌のインタビュー依頼や手放しの賛美。
どんなにスクロールしても、画面の底が見えてこないくらいの量が舞い込んだ。
だが、数日後から様子は変わる。
いわれのない、誹謗中傷が増えた。
あの底辺動画配信者は、自作自演でパニックを煽り、テロリストに協力していた。
捜査を妨害した危険人物。
炎上目的のクズ野郎。
割合が逆転したのは、ほんの数日後。
今では個人攻撃を越え、世界中に罵詈雑言が拡散されている。
そして、工藤に止める手立てを持っていなかった。
どうせ、相手は捨てアカウントだ。イタチごっこするつもりなど、毛頭ない。
工藤はダルそうに、動画アプリを起動する。
だが、動画の再生数も、登録者数も表示されなかった。
自分がアップした動画にも、アクセスできない。
その変わり、画面中央にメッセージが表示された。
このチャンネルは、コミュニティガイドラインの違反により、削除されました。
工藤は何も言わなかった。言う気力すら、失っていた。
なんとなく、そんな予感もしていたから。
異議申し立ての連絡も行わず、おもむろに顔を上げる。
窓の外にある大型スクリーンに、コメンテーターが大きく映った。
大きな身振り手振りで、しきりに何か訴えている。
音は聞こえてこない。が、何を話題にしているか、すぐに分かった。
なんか、悔しい。
工藤は暗くなった画面を復活させた。
検索欄に『秋月圭介』と入力する。
結果の件数は、明らかに減っていた。
誰もが、連続爆破事件の容疑者とのつながりを消している。
あらぬ疑いをかけられる前に、自ら過去の関係を隠し始めたのだ。
世間の体裁、そして同調圧力に、悲しいため息をつく。
あの事件は世間に消費され、あるいは忘れ去られつつあった。
それでも、工藤は忘れられない。
クイズを利用したステガノグラフィー。モナ・リザに隠した『LVB72』のパスワード。
情報は、常に情報の中に隠されている。
秋月が、身をもって示したことだ。
世界がどれだけ忘れ去ったとしても、工藤はずっと憶えているだろう。
と——
「工藤」
背中から、誰かが名前を呼んだ。
つい数日前に出会ったばかりなのに、懐かしい気持ちになる。
「相模さん」
少し泣きそうな目をこすり、振り返る。
やはり、あの時の刑事だった。
「悪い話がある」
相模は強い眼差しで工藤を真っ直ぐに見つめたまま、口を開いた。
「秋月圭介の死亡が確認された」
「……そうですか」
「……思っていたよりも、反応が薄いな」
「いや、ちゃんと悲しんでますよ。それより……」
反対側の席に座った相模へ向かって、自分のスマホを見せつける。
「見てください。チャンネル、消えました。規約違反だって」
「そうか」
「そんだけ、っスか?」
今度は、工藤が情けない声を上げて食い下がった。
「守ってくれるって、言ってましたよね?」
「キミの生命に関してだ。そんなことまでは面倒みれない」
当然といった口調で、相模は言い返す。
「その言い方、ズルくないっスか?」
「ズルくない。そんなことより」
強引に話題を変えてきた。
「本部に、犯行を予告する電話がかかってきた」
身を乗り出し、低く、抑えた声で告げる。
「今度も、爆破予告だ。期限は、今夜」
「じゃあ、また……」
相模は頷くと、警察用の携帯端末を机に置いた。
画面に表示されたボタンを押すと、音声が再生される。
本日夜に行われる、コンサート会場のどこかに爆弾を設置した。
解除してほしければ、出題するクイズを正解させろ。
また、1時間後に連絡する。
「……模倣犯にしては、ショボくないっスか?」
工藤は画面を凝視したまま、冷めた目で感想を語った。
「そうかもしれない。だが、見過ごせない」
それでも、相模は固い表情を崩さない。
「クイズの内容は未知数。だから後悔しないよう、できる限りの準備をして臨みたい」
「……マジで?」
相模のオーバーキル宣言に、開いた口がふさがらない。
さすがに、やりすぎだ。
「言っちゃ悪いですけど」
頭をボリボリと掻きながら、工藤は軽蔑にも似た薄ら笑いを浮かべる。
「この程度なら、警察でも対応できると思いますよ」
投げやりな態度で、切り捨てるように告げた。
「だが……」
「いや、ムリっス」
相模が説得を試みる前に、明確な断わりを入れてしまう。
脅迫の隅々から、レベルの低さが伺えた。
秋月圭介と比べると、明らかな小者。市販のクイズ集から出題してきそうな雰囲気すらある。
そんな相手では、あの時の高揚感を越えられるハズもない。
「工藤。キミの気持ちも分かる」
なのに、相模は引き下がらなかった。
眼力のある視線で、工藤をじっと見つめ続ける。
「だけど、相手はワザとヘタを打ってる、と思わないか?」
「……なにか、隠してます?」
「ああ」
あっさりと、相模は認めた。
「だが、今は教えられない。キミの安全のためだ」
含みのある言い方で、あえて言葉を切り上げた。
相模は改めて、数日前の相棒を向き直った。
「工藤、もう一度いう。キミの助けが必要だ」
恥ずかしくなるような、だけど厭味を感じさせないセリフ回し。
そして、あの日と同じ。いや、それよりも強い眼差しが、工藤を射抜く。
なぜか、背中がむず痒くなる。
工藤は肩を落とし、天を仰いだ。
「あいにく、ヒマ……なんだよなぁ」
甘い毒をあおるような、心地よい絶望感。
だが同時に、自分から泥沼に足を踏み入れるマネもしたくない。
縦と横、どちらに首を振るか。決定的な理由が見付からない。
「工藤の、その知識が必要なんだ」
相模はさらに距離を詰めてくる。
しばらく熟考した後、工藤は口を開いた。
答えは——




