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12.パスワード

16:01 高級マンション前


 相模はパトカーをエントランスの真正面に停めた。

 日も傾き始めている。コンクリートとガラスを積み上げた壁に、淡い日差しが映り込んだ。

 ほんのりと赤みを差した外観。不気味に燃え上がる炎のようにも見えた。

 だからといって、立ち止まる理由にはならない。二人は足早に玄関へと向かう。

 入口の脇にある、管理人室の窓をノックした。

「またですか」

 相模がバッジを見せると、管理人があからさまな落胆を見せた。

「また、とは?」

 相模は食い気味に問い返す。

「さっきも二人組の刑事さんがいらっしゃましてね。

 上階にある部屋を確認されてました」

 面倒そうに、管理人は白髪まじりの頭をポリポリと掻いた。

「彼らは、今も?」

「いや、すぐに出ていかれましたよ」

 あっさりとした返答に、相模は悔しそうに舌打ちをする。

「遅かったか」

 合流できれば、意見交換もできた。運が良ければ、応援も。

 だが、入れ違いでは淡い希望も潰えてしまう。

「あのぉ……」

 すこしだけ気落ちした相模をよそに、工藤が会話に割り込んだ。

「ココって、地下駐車場あります?」

「ええ、ありますよ」

 あっさりと、予想が現実となる。

 中を調べさせて欲しいと申し出ると、

「さすがに、あそこに部外者は……」

 と、管理人は少し渋った。

 が、捜査に必要だと押し切ると、嫌々ながらも了承した。

「あんまり、荒らさないでくださいよ」

 管理人の操作で、オートロックの入口が開いた。

 工藤と相模はマンションの通路を横切り、エレベータで地下へ降りていく。

 チン、という音と共に扉が開くと、白い蛍光灯の光が二人を出迎えた。

「ここに、証拠が?」

 まわりを見回しながら、工藤は思わず息を呑んだ。

 広い。

 高級車が整然と、視界の向こうまで並んでいた。一歩進むだけで、靴音が反響する。

「こりゃあ、キツイぞ」

 相模の口から、絶望的なうめき声が漏れた。

 しらみ潰しで探すには二人では到底、できる規模ではない。やったとしても、月単位の時間がかかるのは確実。

 無論、そんな時間を捻り出すことなど、到底できない。

 だからと言って、捜査の人員を増やすこともできなかった。

 だが——

「大丈夫っスよ」

 工藤は淡々と告げた。目当てのものがあるのか、迷いのない足取りでコンクリート製の通路を進む。

「ヒントなら、すでに貰ってますから」

「なんだって?」

 思いがけない言葉に、相模は目を丸くして背中を追いかける。

 工藤はさらに続けた。

「ウォーターゲート事件を調査していた記者ウッドワードは、

 情報提供者ディープ・スロートと秘密のサインを決めていました」

 駐車場の一角で足を止める。

 地下駐車場には似つかわしくない、観葉植物が置かれたエリアだった。

「会いたい時は植木鉢に赤い旗を立てたり、

 新聞に時計盤の印をつけて、時間を指定したり」

 端から順番に、並べられた鉢植えを丁寧に観察する。

「つまり」

 相模がゴクリと喉を鳴らし、言葉を継ぐ。

「ウッドワードがオレたちで、ディープ・スロートは……」

 ただひとつ赤色の鉢植えの前で、二人は足を止めた。かなり大きい、観葉植物の寄せ植えだ。

「秋月さんは計算していたんでしょうね。

 誰かがココに来てくれる、って。希望も込みで」

 工藤は振り返り、相模に何かを訴えた。

 意図をくんだ刑事は、観葉植物を持ち上げ、ひっくり返す。

 鉢植えの底に、何かが張り付いていた。

「ビンゴ、だな」

 相模が手に取って確認する。

 小さい、樹脂製の黒い塊。自動車のスターターキーだ。

 真ん中に埋もれていたスイッチを押す。

 すぐ近くで、車のライトが点滅した。

「あれか」

 それは、黒いバンだった。

 並んだセダンやクーペと比べると、明らかに大きい。

 後部はアルミのパネルで覆われ、前方のウィンドウもすべての面にスモークが張られていた。

 中を覗き込まれるのを拒む、秘匿を前提とした車体だ。

「EVだな」

 相模がフロントのエンブレムに目を落とした。

「前に、雑誌で見た事がある」

 どちらからともなく、二人は後部座席へ乗り込む。

 大きさの割に狭かった。大人二人でやっとの広さ。

 後面は精密機器で埋め尽くされ、側面には何面ものディスプレイとキーボードが並ぶ。

 そのすべてが、小さいランプを忙しく点滅させていた。

 さながら、移動するサーバールームだ。

「スゴイな」

 相模が素直な感想を口にすると、

「Wi-fiに5G、衛星ネットワークも完備してる。

 これなら、回線が落ちる心配はない」

 工藤は設備の充実さに興奮する。

「これなら、移動しながらの配信も出来そうですよ」

「おいおい……」

 見当違いな呑気さに、相模は肩をすくめた。

「オレたちの目的は証拠の発見だ。そこを忘れないでくれ」

「分かってますって」

 本当に分かっているのか疑わしい口調で、工藤はサイドボードにあるノートPCを手元に寄せた。

 背面には無数のケーブル。おそらくは、車内に積まれたメインシステムに繋がっているのだろう。

 開くと、ヴゥンッ、と低い駆動音が唸り出した。

「この中に証拠が」

 唾を飲み込んだのは、どちらのほうか。

 黒い画面にはカーソルが点滅し、やがてパスワード入力画面が現れた。




16:09 地下駐車場


 狭いワゴン車の中、車内灯の淡い光が滲んで届いていた。

 パスワードの入力画面。黒のバックに白いカーソルが点滅し、入力を待ちわびている。

 工藤はキーボードの前に手を置き、止まった。

 考えているのではない。整理している。

 入力欄の上部にある、奇妙な文字が目に飛び込んできたから。

 

  1回目から8回目まで。アナタの出した答えは?


「どういう意味だ?」

 隣で画面をのぞき込む相模が首を傾げた。

「まんま、でしょうね」

 工藤は画面に目を向けながら答える。

「今までの問題と解答から、パスワードを連想しろ、ってコトです。

 秋月さんの得意な出題方法っスね」

「もし、間違えたら?」

「爆発はないでしょう」

 さも仕組みを知っているかのように、工藤は淡々と予想を口にした。

「ただ、バッテリーの発火は有り得るかも。EVだし」

「それは……困る」

 想像できる最悪の事態を披露すると、相模がうめいた。

「証拠が消えるのはマズい。犯人が誰なのか知るための、大事な情報だ」

 口元を押さえ、真剣な目で画面を睨みつける。

 彼の正義が報われるかどうか、まさに瀬戸際なのだ。

 液晶の光を受け止めながら、工藤も同意を示した。

 秋月を助け出すためにも、重要な手がかりを失いたくはない。

「壁を叩く音」

 工藤はキーボードのふちをトントンと指先で叩いた。

 ゆっくりと、解答を反芻し始める。

「リシン弾。タップコード。マネジメント・オーバーライド。

 囮。スマザード・メイト。自己免疫疾患……」

 少し間を置いて。

「地下駐車場」

「それじゃ長すぎる」

 相模が画面の中央を指す。

「入力欄は、どう見ても5文字しか入らない。文字数オーバーだ」

 相模の言い分は正しい。入力を許す幅は、明らかに小さすぎた。

 工藤は相模の言葉を遮らず、画面の入力欄をじっと見つめる。

 制約を受け入れた上で、知り得た内容を再検証し始めた。

「……クイズは全部、同じ。何かの中に、別の意図を隠している」

 また沈黙。脳内で答えが並び替わっていく。

「だとしたら、モナ・リザは……」

 やがて、工藤が口を開いた。

「……分かった」

 ほんの小さな呟き。相模は聞き逃さず、身を乗り出して工藤の顔をのぞき込む。

「分かったのか?」

「ステガノグラフィー」

 間髪入れず、工藤は答えた。

「データの中に、別の秘密の情報を埋め込む技術。

 秋月さんが、今回のクイズで使った手法です」

 したり顔を相模に向ける。だが、彼は眉をひそめてしまう。

「それでもダメだ。まだ文字数が多すぎる」

 相模の鋭い指摘。だが、工藤はそれも想定の内だ。

「ええ。だから、モナ・リザを映してたんです」

 人差し指を立て、いたずらっぽくウィンクしてみせる。

「2010年。イタリアの美術史家の発見が、世界を驚かせました」

 相模はゴクリ、と喉を鳴らした。

 やや早口で、工藤は話を続ける。

「モナ・リザに、極小の文字が描かれてるのを見つけたんです。

 右目に『LV』、左目に『B』、背景の橋のアーチには『72』という文字を。

 今では、ステガノグラフィーを説明するうえで、有名な判例となってます」

「それが?」

「クイズのシーンを思い出してください」

 工藤は、相模に再考を促した。

「最初の3回。モナ・リザの絵は、一部が欠けてました。

 1回目は右目。2回目は左目。3回目は橋のアーチ」

 指を折り、数えた。全ての指が伸び、最後には手のひらを開く。

「ちょうど、5文字。パスワード欄と一緒です」

 相模は入力欄と見比べ、言葉をつまらせた。

 工藤の推論には、論理的な破綻はない。

 後は、正しいかどうか。一番、大事なファクターだ。

「……頼んだ」

 どうにか言葉を絞り出す。工藤の指が、キーボードに触れた。

 震えている。それでも、間違えないように慎重に、打鍵を始めた。

 L。V。B。7。2。

 最後に、エンターキー。

「あっ」

 相模から、歓喜とも驚きともつかない声が漏れた。

 あっけなく、画面が切り替わったから。

 中央にテキストが表示される。

 

  よく、ここまで辿り着いてくれた。

  ありがとう。

 

「え……?」

 感謝の言葉に、虚を突かれた工藤は目を見開く。

 だが、それも一瞬の出来事。

 画面が再び暗転した。

 無機質な黒い画面から、カラフルなGUIへと変わる。

 四角いウィンドウから、無数のファイルが溢れ出した。

 ひとつふたつではない。

 音声ファイル、動画ファイル、送金記録。途切れることなく続く。

「これは……」

 圧倒的な数のファイル。相模は視線を激しく動かした。

「……望んでたヤツですね」

 工藤は画面をスクロールしながら、喉の奥で引きつったような笑みを漏らす。

「正解したから、全部の証拠が解放されたんでしょう」

 目についた動画データを再生した。

「これは……」

 会議室だろうか。中央のテーブルを囲んで、私服姿の男たちが和やかに会話している。

 少しして、一人が退出した。

 見送った者はお辞儀すると、全員が立ち上がった。

 そのまま、直立不動で張り詰めた沈黙を維持する。

 やがて、場違いな背広の男が扉を開け姿を現した。と、私服たちが一斉に敬礼で出迎える。

 ここで、映像は終わった。

「なら、コレは」

 別のファイルを開く。

 ビルの内部の平面図だった。方眼紙のような四角い区切りに、場所と数字が精密に記入されている。

 その上から、矢印が重ねられていた。おそらく、運搬の道筋だろう。

「コイツは、なんだ?」

 横から相模の指が伸び、別のファイルを再生した。

 音声データで映像はない。日本語ではない、別の言語での会話。

 所々に「岡崎」「ホテル」「首都高」という言葉がノイズのように混ざり合った。

「もしかして……」

 工藤は画面から視線を外し、車両後部へ振り返った。

「コレ全部、証拠?」

 ラック上で点滅するランプを見つめ、言葉を失う。

「だとしたら、決定的な物証になるな」

 相模は拳を握りしめ、小さくガッツポーズした。

 直後——銃声。

 タイヤが鳴る音とは違う。重苦しい大口径の低い音が、地下駐車場に響いた。


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