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11.違和感

15:22 幹線道路上


 『問題——

  ウォーターゲート事件において、FBI副長官マーク・フェルトが、

  政権の犯罪を示す機密情報を記者に安全に受け渡した場所を答えよ』


 モナ・リザに似つかわしくない、男性の声。読み上げた後に、問題文が追従する。

 工藤には必要はなかった。音読が終わる前に、正答へたどり着いている。

 だが、答える手段がない。

 画面には解答ボタンも、コメントを入れる欄も。

 試しにスピーカーへ耳を当てたが、解答を促す電子音声は流れてこなかった。

「相模さんっ」

 工藤はパトカーから飛び出し、叫んだ。

「近くにっ、公衆電話はありますかっ」

 相模も急いで周囲を見回す。

 彼も生配信を横目で見ていた。今までと勝手が違うと、すでに感づいている。

 だが、解答用の設備はどこにも見当たらない。

「いやっ、ないっ!」

 応じる声にも焦りが込もっていた。首筋に冷たい汗が流れる。

「他に手段はっ!」

「分かんないっスよ!」

 工藤は震える手でスマホを握り直した。見落としたものがないか、画面にかじりついてモナ・リザを注視する。

 すぐに違和感を憶えた。

 あいかわらず、解答用のインターフェースは用意されていない。

 同時に、制限時間を示すカウントもなかった。

 ただ、モナ・リザの前に問題が浮かぶだけ。不機嫌な目が、工藤を冷たく見つめ返す。

「爆破じゃ、ない?」

 戸惑う間にも、時間は過ぎていく。

 タイムリミットがあると仮定すれば、ゼロまであと少し。

「工藤っ!」

 相模がパトカーを飛び越えた。頭上から覆いかぶさるように、即席の相棒を腕の中へ抱え込む。

 突然の出来事。

 抵抗する時間もなく、工藤はアスファルトに押し倒された。その上から相模が大きな手で後頭部を押さえ、視界を奪う。

 そのまま、時間が経過した。

 五秒……十秒……。

 何も、起こらない。

 空気を震わす爆発音も。肌を焦がす無慈悲な熱風も。

「……不発?」

 周囲を警戒する相模から、戸惑いの声が漏れた。

 不思議そうな顔で身を起こし、炎や煙の兆候を探す。

 どこにも存在しなかった。殺風景なビルの景色が、延々と続いていた。

「大丈夫か?」

 安全と判断した相模は工藤を力強く引き起こす。

「……なんとか」

 彼も緊張と安堵が混ざった顔で、震える息を吐き出した。

「今までと違いましたね」

 素直な感想を口にした。そのまま、自分の首筋に手を当て思案を始める。

「工藤。あのクイズは、一体?」

 相模の問いに、工藤は何も答えない。

 ただ顔をしかめ、自らの内側へ意識を閉ざした。問題文から裏の意図を読み解こうとする。

「……爆発を前提としない……ただのメッセージ?」

 時おり、工藤の口から推理の切れ端が漏れた。

 幹線道路の上で、周囲の雑音すら忘れた。広い道の上でブツブツと言葉を紡ぎ続ける。

「政権の犯罪……。違法行為の隠蔽……。内部告発……」

 ハッ、とした顔で相模を見た。

 顔が青白い。見てはいけないものを目撃したように、刑事へ救いを求める眼差しを向ける。

「相模さん……」

 声は震えていた。自分では、どうしようもできない。

「風向きが、変わりました」

「……どういうことだ?」

 相模は工藤の肩をつかみ、彼が導き出した答えを問いただす。

「毛色が、違うんです」

 怯えた目を必死にかばいつつ、積み上げた論理を語り始めた。

「過去7問は、答えにメッセージが含まれていました。

 ですが、今回は違う。単純に場所を示しています」

「場所……」

 相模の眉が、険しく中央に寄った。

「そこは、どこだ?」

「……地下駐車場、です」

 絞り出すような工藤の言葉。彼の頭の中には、答えのさらに先へと進んでいるのだろう。

「そこに何かがある、ということか」

 無言で頷く相手に、更なる質問を投げかける。

「だが、どこの駐車場だ?都内にはたくさんあるぞ」

「そんなの、ひとつしか思い浮かびませんよ」

 頭を雑に掻きながら、向かおうとしていたマンションを口にする。

「……やはり、そうだよな」

 相模も同じ言葉を口にした。

 彼の脳裏にも、工藤と同じ場所が浮かんだ。これは、偶然の一致ではない。

「相模さん、急ぎましょう」

 工藤が助手席側のドアに手をかけた。

「多分ですけど、秋月さんに何かあったんだと思います」

 ドアを開け放ち、シートに滑り込みながら根拠を続ける。

「クイズの作りが、いたってシンプルでした。

 まるで、今までと別に用意したように」

「何だって?」

「勝手な思い込みですけど、秋月さんなりに保険をかけていたのかも」

 相模は思わずつばを飲み込む。

「だとしたら、今のは彼自身からのメッセージ、というのか?」

 自然と手が口元へと寄った。脳裏には、最悪の推論が思い描かれる。

「まさか……ダイイングメッセージ?」

 工藤は悲しそうな目で、相模の視線を受け止めた。

「そうじゃないとイイんですけど」

 それ以上は、言葉にするのを憚られた。どちらがともなく、黙り込んでしまう。

 今の会話が何を意味するのか、痛いほど分かっていたから。

「……分かった。行こう」

 工藤の肩を叩き、相模は運転席に乗り込んだ。

「グズグズしてはいられない。飛ばすぞ」

 工藤も頷く。

 二人を乗せたパトカーが、勢いよく発進した。




15:46 首相官邸

 

 執務中にも関わらず、佐伯は前触れもなく応接室へと姿を現した。一切の遠慮もなく、岡崎のデスクへと歩み寄る。

 岡崎は閉口した。

 確かに、自分が彼に与えた特権ではあった。が、こう頻繁だと仕事のペースが乱されてしまう。

「なんだね?」

 いら立ちを隠そうともせず、岡崎は万年筆を置いて鋭く睨みつけた。

「中緑との、会談の約束を取り付けました」

 いつも通りの、佐伯の事務的な声。

「17時からです。東都国際ホテルの貴賓室を押さえております」

「ずいぶんと急だな」

 岡崎は驚き、ちらと時計の針を確認した。

「東都国際だと、もう出発しないといけないじゃないか」

 空港近くのホテルだと記憶していた。首相官邸から車で1時間圏内であるが、今から出発しても準備の時間がない。

「もう少し、遅くできないのかね?」

「当初、外相は帰国前に会談を入れるのを嫌がっていました。

 これ以上の譲歩を引き出すのは、さすがに難しいかと」

 あくまで交渉の結果。佐伯は眉ひとつ動かさず、事実だけを並べる。

「むう……」

 岡崎は腕を組み、眉を寄せて考え込む。

 それがポーズなのは、執務室にいる誰もが知っていた。何しろ、彼が下せる決断はひとつしかないのだから。

「いたし方ない」

 結論を出すのは、そこまで遅くなかった。重いため息と共に、渋々と頷く。

 大局のために折れてやった、といった素振りで、ソファから重い腰を上げる。

「癪に障るが、こちらが望んだことだ。会談の準備は、移動中に行おう」

 さっそうと執務室を出ると、佐伯が横に付き添った。

 そのまま玄関へとまわり、横付けされた一台の高級車へ乗り込む。

「前後に護衛をつけますが、念のため、Bルートでの移動を手配しております」

「Bルート?」

 初めて聞く単語に、岡崎は戸惑う。

「なんだね。それは?」

「安全を優先したルートです。

 通常よりも時間がかかりますが、その分、人目を避けることができます」

「爆破テロの対策か?」

「はい」

「……状況はどうなっている?」

 岡崎の不機嫌な問いに、佐伯は淡々と答えた。

「テロ自体は食い止めることができました。現在、実行犯を捜索中です」

「本当に、大丈夫だろうな?」

 怪訝そうに首相は念押しする。

「最近、キミに対する良くない噂を耳にするが」

「……どんな噂でしょうか?」

 佐伯の声には、何の感情も籠っていなかった。

「キミが、良からぬ連中と頻繁に会っている……とか、だな」

 佐伯は、少しだけ表情を崩した。ふっと息を吐き出し、一笑に付す。

「バカな話です。デマでしょう」

 小さく首を横に振り、改めて自らが使える人物へ視線を投げ掛ける。

「どこから、そんな噂が?」

 声には、微かに冷たい響きが混じっていた。

「匿名のタレコミだよ」

 岡崎は鼻を鳴らすと、革張りのシートに座り直した。

「つい先ほど、メールが送られてきた。差出人不明でな」

 余裕を装ってはいるが、岡崎の口ぶりからは隠しきれない疑念が滲む。

 防弾ガラスに囲まれた狭い車内から、重苦しい空気が沈殿した。

「私個人のアドレスなど、極秘中の極秘のはずなのだがね。

 どこから漏れたのやら」

 そうボヤき、腕を組み直す。

「……首相は」

 佐伯は岡崎を見た。

 冷たい、視線だった。

「そんな、誰が言ったかも分からない与太話を、お信じに?」

 岡崎もまた、値踏みするように佐伯を見返す。

 彼は長年、岡崎の下で動いてきた。その間、この男が嘘をついたことはない。

 ならばメールと佐伯、どちらを信じるか?

 問うまでもなかった。

「……いや」

 それ以上は言及しなかった。

 車列が出発した。

 右手に曲がり、首都高の入口をゆるやかに駆け上る。

 通行する一般車両は見当たらない。隣を走る対向車線も同じ。

 三台の高級車が列をなし、無人と化した高架線を進む。

 佐伯の携帯端末が、短く震えた。懐から取り出し、画面を一瞥する。

 少しだけ目を細めると、いくつかの操作を無言でこなした。指の動きに、迷いはない。

 ただ、何を指示しているかは誰にも分からなかった。

「どうした?」

「実行犯の居場所が分かったようです。解決は時間の問題かと」

 携帯を元の場所へ戻しつつ、佐伯は報告する。

「それは良かった」

 岡崎はいくぶん、安堵したかに見えた。

「ならば、会談の時間を長く取れるかもしれないな」

 おもむろに脇に置いたカバンから書類を取り出し、目を通し始める。

「中緑との会談前に、想定し得る主張への対応を準備しよう」

 毅然とした調子で言った。

「我が国の主権に関わる正念場だ。キミも手伝いたまえ」

 佐伯と目も合わせず、要件だけを伝える。

 部下からの返事はなかった。する必要もない。

 命令を発した者の意識は、来たるべき会談へと向いていた。へんに受け答えするのは、注意を削ぐ結果となる。

 それほどの集中力。

 無理もない。日本の舵取りに関する交渉が、すぐこの後に行われるのだから。

 佐伯は何も語らず、岡崎の横で書類を整理し始める。

 その表情が一瞬だけ、揺れた。


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