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第3話:剣姫の身体検査と、お腹の中の小さき魔力


意識を取り戻してから数日。ギルバートの執念じみた看病(という名の軟禁)とアリアたちの健気なお手伝いのおかげで、私の身体は見違えるほど軽くなっていた。

今日こそはと夫を説得し、ようやく寝室を出る許可をもぎ取った私は、自身の「現状」を正確に把握するため、屋敷の裏手に広がる広大な私設庭園へと足を運んでいた。

白い大理石の回廊を抜け、瑞々しい緑の芝生の上に立つ。

見上げる空は抜けるように青く、空気中に含まれる魔力の濃度は、前世の現代日本のダンジョン最深部すら生温く思えるほどに濃密だった。

「さて……まずは、この身体がどれだけ動くか、だな」

周囲に誰もいないことを確認し、エレーナの記憶にある通りに呼吸を整える。

深く息を吸い込み、意識を内へと向けた瞬間、私はあまりの衝撃に目を見開いた。

(なんだ、これは……っ!?)

体内で脈動するエネルギーの質量が、前世の和彦としての感覚とは文字通り次元が違っていた。

ただ息をしているだけで、大気中の魔力が私の皮膚を通じて勝手に吸い込まれ、全身の細胞を極上の潤滑油のように満たしていく。血液の代わりに純粋な魔力が巡っているのではないかと錯覚するほどの、圧倒的な全能感。

「ふっ――」

試しに、地面を軽く一歩だけ蹴り出してみた。

その瞬間、景色が爆発的な速度で後ろへと吹き飛んだ。

自覚としてはほんの少し体重を移動させただけなのに、気がつけば私は十メートル以上も前方に、音もなく移動していた。あまりの神速に、蹴り出した足元の芝生が、風圧だけで丸くへこんでいる。

「嘘だろ……。刀も持たず、強化魔術も使ってなくてこれかよ……」

驚愕のあまり自分の手を見つめる。

前世での私は、Cランク探索者としてそれなりに努力してきた自負があった。重い装備を身につけ、必死に汗を流し、魔物の攻撃をギリギリで躱す泥臭い毎日。

しかし、このエレーナという肉体は、ただそこに立っているだけで「世界の理」をいくつか無視しているような、絶対的な戦闘生物としての格の違いを見せつけていた。

すっと、腰の帯に手を伸ばす。そこにはいつも、エレーナがかつて数多の戦場で振るった愛刀があるはず――だったが、今は何もなかった。

『エレーナ、君が完全に安定期に入るまで、我が家の武器庫はすべて私が最高強度の結界で封印させてもらったからね』

今朝、ギルバートが笑顔で放った言葉が脳裏をよぎる。あの過保護大賢者め、本当に徹底していやがる。

仕方なく、私は地面に落ちていた手頃な長さの木の枝を一本、拾い上げた。

軽く、素振りの要領で空を切る。

シュッ、と鋭い風切り音が響く。それだけで、周囲の空気がピリリと緊張を孕んだ。

前世での私の剣は、力任せで無駄の多い、生き残るためだけの泥臭いものだった。しかし、エレーナの肉体は、肩の力の抜き方、重心の置き方、肘の角度に至るまで、すべてが「完璧な一撃」を放つための最適解をあらかじめ記憶していた。

(これなら、前世の私を殺した特級魔獣が相手でも、今の私なら一瞬でコマ切れにできる)

確信があった。現代日本のトップ探索者でも、この『剣姫』の足元に及ぶかどうか怪しい。それほどの、圧倒的な暴力の頂点。

しかし、その最強の感覚に酔いしれそうになった直後、下腹部に奇妙な「熱」を感じて、私はハッと動きを止めた。

「あ……」

私は木の枝を落とし、無意識のうちに両手で自分の下腹部をそっと包み込んでいた。

先ほどまで全身を駆け巡っていた、荒れ狂う嵐のような莫大な魔力。それが、この下腹部のほんの小さな一点に近づいた瞬間、まるで嘘のように、ひどく優しく、穏やかな波へと姿を変えていく。

意識を全神経を集中させて、お腹の奥深くを探る。

そこには、大賢者ギルバートの理知的で清らかな魔力の残滓と、私自身の強大な魔力が、まるでお互いを慈しみ合うように複雑に絡み合い、小さな小さな光の球を形成していた。

トク、トク、と、物理的な心音とは違う、魔力の「鼓動」が確かに聞こえる。

まだ、妊娠二ヶ月。人間の形すらまともに成していないはずの、大豆ほどの小さき命。

それなのに、その小さな光は、親である私たちの魔力を吸い上げながら、健気に、そして力強く生きようと輝いていた。

「……可愛い」

自然と、口元が震え、涙が出そうになるほどの愛おしさが込み上げてきた。

十四歳の少年だった松本和彦の理性が、エレーナという母親の身体の本能に、完全に、心地よく屈服していくのを感じる。

前世の私には、守るべきものなんて何もなかった。ただ自分の命を繋ぐために、ダンジョンという暗闇を這い回っていただけだ。

だけど、今は違う。

この手の中に宿る小さき命。部屋で私の帰りを待っているアリアとレオ。そして、世界一不器用で甘い、愛すべき夫のギルバート。

この最強の身体と、前世での泥臭い実戦の経験は、すべてこの幸福を守るために神様がくれたものに違いない。

「いい子ね……。お母さんが、絶対にあなたを無事に産んであげるから」

まだ平らなお腹を優しく撫でながら、私は青空を見上げた。

この新しい命のために、私はこの世界で、世界一強くて優しい「母親」になってみせる。そう深く心に誓った、麗らかな午後のひとときだった。


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