4.死の匂いから抜け出そう
マリーは意外そうな顔をする。
「あっさりマスクを取ってくれたわね」
ジョセフは肩をすくめた。
「匂い、と言われてはね。それに、正解を見つけたのだから、後は根拠を補強していくだけ。王妃であるあなたなら時間はかかるでしょうが答えにたどり着くでしょう。我が家にも掘り返されたくない情報はありますから。手の内を晒す方が傷は少ないのですよ」
「ありがとう。手間が省けるわ」
話しながら、マリーは改めてジョセフを見た。
使用人達や、周りの貴族令嬢達が彼の美しさを見て騒いでいたが、なるほどと思った。
漆黒の髪の合間に、赤い瞳がきらめく美しい外見。恵まれた体躯で騎士としても活躍し、王家の盾として長くアーランドの上層に君臨していた。
彼が社交の場に出れば、令嬢達の視線が集まり、我先にとダンスの申し込みが絶えない。
けれど、彼は一度もダンスを踊ること無く挨拶だけをして会場を後にすることばかりで、高値の花のような存在だった。
ジョセフが訊ねる。
「マリー様とはあまり話したことは無かったはずですが?」
「初めに謁見したときがあったでしょう。そのときに」
マリーは過去を振り返る。
彼女は社交の場に出るのが遅かった。祖父に連れられて家業の薬が使われている病院へ行って慈善活動をすることが多く、貴族の子息令嬢達とふれあうことが少なかった。
だから、王妃として城に一歩踏み入れた時は驚いた。
死の匂いが漂っていたのだ。
医療に携わる者ならば、幾度となく感じたことのある匂いがある。
死に行く人の肉体が停止し始める独特の匂い。
それは、病院よりもひどかったかもしれない。少なくとも、病院では清潔さと消毒液の匂いで多少は中和されていた。
けれど、王城では見た目の華やかさを重視して、着飾ったドレスや匂いをごまかす香水であふれかえっていた。
ロランス家は医療品を取り扱う家。薬の知識と同時に、病気に対する知識もあった。祖父に連れられて病院に何度も訪問する内に、マリーは病人が持つ独特の体臭が分かるようになっていた。
それがゴテゴテと着飾った者達から香ってくることに頭が追いつかず、何度吐き気を催したかわからない。
病院では皆が病気と向き合っていた。けれど、目の前の貴族達は自分達の状況から必死に目を背けているようだった。
高貴な自分達はそんなものには無縁だとばかりに、酒を飲んでその場限りの遊びにふけっている。
マリーから見れば、醜悪な空間だった。
そんな中で、挨拶に訪れたジョセフだけは違った。香水の奥から死の匂いがしない。
狂った匂いのする城の中で、唯一生きた人間に会えた気分になったのだ。
そこまで聞いて、ジョセフは一息つく。そして、観念したように笑った。
「……なるほど。我々も詰めが甘かったようです」
「もちろん、他にも匂いはしない者はいたわ。けれど、他の権力者におもねるような者達ばかり。まとわりついて、彼らからも死の匂いが漂っていた。あなたくらいよ。清廉だったのは」
ジョセフは目を開いた後、小さく笑う。
「清廉、と言われるなんて思いもしませんでした」
「……安心して。あなたの秘密は誰にも言わないわ。私はあの大きな城の中でひとりぼっち。誰も私の言うことは聞かないし」
なんでもないことのようにマリーは言ったが、孤独に押しつぶされる辛い毎日が言葉からにじみ出ている。
けれど、マリーは正気を保って、自分の進むべき道を選んだ。
ジョセフは、彼女に興味を惹かれていく。
王妃として城で謁見したときは、彼女が何を考えているのかわからなかった。
流行から遅れた古びたドレスを着て、無表情で立つ一人の女性。
けれど、今、目の前にいるマリーは快活で感情豊かな人だった。
万華鏡のように、くるくると表情が変わっていく。
そんな彼女が選んだのは、歴代王妃が誰も選ばなかった離婚という新しい道。
見てみたい……と素直に思った。彼女が歩く新しい道は、どんな景色が見えるのだろうか。ジョセフ自身、この国が袋小路に入って停滞しているのを感じていた。
責任ある公爵家としてやるべきことはやるが、やはり頂点が変わらなければ大きな変化は起こらない。
世界が変わり続ける中で、停滞は国の弱体化を意味する。
王族の離婚をきっかけに何かが変わるなら。それが、良い方にか悪い方にかは分からないが、純粋にどう変わるのかを見てみたいと思った。
ジョセフの感情の変化を感じ取ったのだろう。
マリーは改めて居住まいを正して、穏やかにジョセフに言った。
「この依頼、受けてくれるかしら?」
ジョセフは降参した。
「分かりました。ただし、報酬はきちんと払ってもらいますよ。王族の離婚の手助けなんて前代未聞の仕事、いくら要求していいのかわからないですが」
「勿論!分割でね!」
その答えに、ジョセフは思わずフッと笑った。




