2.王妃は飲んだくれる
「やってらんない……」
そう言ってワインを一気飲みした女性は、アーランドの王妃マリー・ド・リシャールだった。
いつもの威厳のある姿とはかけ離れ、姿勢を崩してソファに身を委ねながらグラスを傾けている。
「あの、一応人の前ですが」
「情報ギルドの頭領の前でしょ。守秘義務が鉄則なんだから、あなたの前で何やったって情報は漏れない」
「我々を信用しすぎですよ」
王妃の前であきれているのは、情報ギルド『隠者の目』の頭領ロアだ。顔にマスクをつけてはいるが、その下でため息をついている。
ロアはマリーの空いたグラスにワインを注ぎながら言った。
隠者の目は歴史ある酒場の奥にある。
複数の種類の酒を、特定の順番に頼むと奥の部屋に案内されてギルドに依頼をすることが出来るのだ。
隠者の目はアーランド最古の情報ギルド。
依頼料は法外な値段だが、集められない情報はない。実績を積み上げて、確かな信頼を手に入れたギルドだった。
そこにお忍びでやってきたのが王妃マリー・ド・リシャールだった。
頼む酒の順番だけ合っていればいいので、大抵は酒は飲まずに中へ通される。
種類も多い上に、アルコール度数の強いものも含まれていたからだ。
けれど、マリーはそのすべてを飲み干してやってきた。更に「ここは酒場でしょう?ワインを持ってきて」と追加で飲み出す始末だった。
ロアはため息をつきながら、マリーに忠告した。
「どんな情報も使いようによっては大きな価値を生みます。『アーランドの王妃はアルコール中毒』なんて、あなたを蹴落としたい貴族達にとっては有益な情報でしょうね。特にフローレンス・ド・ユリスは喉から手が出るほど欲しいでしょう」
フローレンス・ド・ユリスは、王の恋人と称される人だ。
王と幼なじみで、結ばれなかった悲劇のヒロインとして、国中の憧れとなっている。
「あの女ね。確かに、その情報を使って私のことを更に貶めるでしょうね。でも、もういいのよ。すべてが馬鹿らしくなってしまった」
「……馬鹿らしい?」
「王……ミシェルからね、『君は本当に私のことを愛しているのだな』って言われたの」
王であるミシェル・ド・リシャールと目の前のマリー・ド・リシャールは愛のない結婚をしたことで有名だった。王族の婚姻はすべからく政略結婚なので、それ自体は珍しい話では無い。
けれど、共に国をもり立てる歴代の王と王妃の二人の間は、大なり小なり信頼関係はあった。
それが、二人には一切無いのだ。
マリー・ド・リシャールはアーランド至上、最も低い爵位の王妃だった。
彼女が嫁ぐことになってしまったことが王家の恥とされ、最もそれに嫌悪していたのはミシェルだった。彼は幼なじみで恋人であるとされたフローレンス嬢との仲を公然にしており、城の公式的なパーティーでも、マリーではなくフローレンスと話す姿をよく目撃されている。
マリーの言葉をそのまま解釈すれば、ミシェルとマリーの仲が進展したということではないか。
ロアは言った。
「良かったでは無いですか。王の関心があなたに向いたということだ」
「良いわけ無い。そもそも、私は王のことを愛していない。愛に気がついた?どういうこと?彼が何をもってそんなことを言ったの?たくさん考えて、それで一つの結論が出たの」
マリーは残っていたワインをぐいっと飲み干して、テーブルにグラスをたたき付けた。
「私は、彼のテストに知らず知らずのうちに合格していたみたい。王は、私に『愛情の試し行為』をしていたのよ」
「愛情の試し行為?」
「そう。私はね、王城で彼からいろいろな試練を受けていたの。王城でのいじめを見逃され、恋人との逢瀬を見せつけられ……私はそれを受け入れなければならなかった。王妃は国のための存在。過去の歴史を見ればそういったことは珍しくない。流れ着いたこの場所で、私は自分のやるべきことをしなければならないと。……でもね、それはしなくてもいい苦労だった。ミシェルは、私が『自分にふさわしい王妃か』を試していたのよ」
マリーは一息ついて、ぼそりと呟いた。
「馬鹿らしい」
彼女のつぶやきは重く、地面に深く深く沈み込んでいくようだった。
情報ギルドの頭領、ロアにはその意味が良く分かった。彼の耳に入ってくる情報からも、マリーの状況は過酷そのもので、並の人間なら精神を病んでいるだろう。普通なら、王族に嫁ぐほどの女性には、大きな権力を持つ実家が睨みをきかせている。
大切に育てた高貴な娘が王族にないがしろにされないようにだ。
けれど、彼女の生家はそれを出来るほどの力も無かったし、する気もなかった。
過去の歴史を見ても、最も過酷な王妃と言える。
「でもね」
マリーは一言呟いて、顔を上げた。その瞳には、今まで見たことの無い輝きが見えて、ロアは息をのむ。
「それで吹っ切れた。私は追い詰められながら国の為に働いていたけれど、あの男はそんな幼稚なことをして遊んでいたのよ。……私はそんなことをされるほど小さい存在じゃない」
ロアは何かを言いかけて口をつぐんだ。マリーはそれをめざとく見つけて、小さく笑いながら指摘した。
「生家のロランス家は子爵家で、歴史の浅い貴族。空の上の王族にとっては、そんな家の娘なんておもちゃにしてもいい存在でしょうね。でも、『私』は違うわ」
グッと目線を強めて、ロアに言った。
「『マリー・ド・ロランス』は、他者の為に尽くし国の未来を思った高潔な祖父の血を継いでいる。その意志をつなげるために、私はあらゆる努力をしてきた。貴族の娘として何が出来るかを考えてね。……王妃に選ばれ、進む道が変わってしまっても、自分に出来ることをしようと努力を重ねてきた。王妃として辛い境遇にあっても、今だけだ、これは国を統治する者として、当たり前にしなければならない苦労だと思ったから。でも、違ったのよ」
ロアは王妃としてのマリーの話を思い出した。
子爵家から嫁いできた異物のマリーは四面楚歌だった。使用人達から嫌がらせをされて、王妃の仕事を間違えて教えられることもあったという。
けれど、彼女は王城の書類や資料から正解にたどり着き、寝る間も惜しんで王妃の業務を身につけていった。
あの広く豪華な城の中で、彼女は一人きりだったのだ。
「ミシェルは幼い子が好きな子を意地悪するような『自分を本当に好きか?』という試し行為をしていただけだったの」




