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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第81話 久しぶり——ヴァレリウス

 

「——教皇猊下。帝国より、通達です」


 侍祭の声は震えていなかった。

 震えないように仕込まれた声だった。


 差し出された封は、聖印ではない。

 帝国の印。赤ではなく、深い黒。

 蝋の光沢が、祈りの光より先に目に刺さる。


 教皇ヴァレリウス・カルディナールは

 受け取らない。受け取れば“受領”になる。

 受領になった瞬間、祈りは手続きになる。


「内容は」


「戦時協力条項の——発動準備です」


 条文。

 神の名より先に、人の国の言葉が来る。

 それが、この大聖堂の現実だった。


 ヴァレリウスは、壇上から一段下りた。

 民衆の目が届かない場所へ。

 教皇は、祈りの場で政治をする。

 政治の場で祈りをする。


「読み上げよ」


 侍祭が封を切った。

 折り目が開く。開き方まで正しい。

 正しすぎて、拒否の余白がない。


「……『聖光正典教会は、帝国の秩序維持行為に協力する義務を負う。必要に応じ、保護・隔離・移送の導線を提供せよ』」


 “提供せよ”

 それはお願いではない。

 祈りではなく、命令だ。


 ヴァレリウスは微笑みを作る。

 教皇の微笑みは、信徒の心臓を守るための仮面だ。


「……準備を」


 口にした瞬間、喉の奥が冷えた。

 神に誓う言葉ではなく、

 帝国に従う言葉だったから。


 侍祭が一礼し、去る。

 扉が閉じると、聖堂は静かになった。

 静かすぎる静けさは、誰かの監視を呼ぶ。


 ヴァレリウスは祭壇を見上げる。

 ステンドグラスの光が落ちる。

 光はきれいだ。きれいすぎて、影が濃い。


(聖教会は——異端審問のために作られた)


 人が魔法を得て間もない頃。

 魔法を扱う者は異端として追われ、

 恐れられ、排除された。

 異端を見つけ、裁くための場。

 それが、聖教会の始まりだ。


 だが、魔族を尊び、

 魔法へ憧憬を抱く者たちは、それを許さなかった。

 

 邪教会。


 “許されざる行為”として聖教会を断じ、

 戦争を起こし、停戦を挟みながら

 今も対立が続いている。


(帝国に逆らえば、教会は潰れる)

(だが帝国に従えば、今度は邪教会が火を起こす)


 二つの鎖。

 鎖を避けた先にも鎖がある。


 答えを探す前に、気配が割り込んだ。

 許可のない足音。

 しかし足音が無礼に聞こえない。

 ——この場に、無礼を許される存在の歩き方だ。


 幼い少女が、中央通路を歩いてくる。

 長い黒髪を揺らした幼い少女。

 笑みが軽い。軽いのに、空気が重くなる。


「久しぶりだね、ヴァレリウス」


 名で呼ぶ。

 教皇ではなく、人間の名で。


 ヴァレリウスは微笑みを崩さず、

 ため息だけを飲み込んだ。


「……また貴方ですか」


「うん。また」


 少女は楽しそうに歩き、

 机上の封へ視線を投げた。

 黒い蝋。帝国の印。


「それ、綺麗だね。黒い鎖みたい」


 ヴァレリウスは視線を逸らさない。

 逸らせば、封の重さが自分の弱さになる。


「鎖ではありません。秩序です」


「秩序も鎖も、首に掛けたら同じだよ」


 少女は笑って、指先で空をなぞる。

 なぞっただけで、光の粒が一瞬だけ揺れた。


「……相変わらず、礼儀を守るんだ」


「礼儀は、民の前で崩せません。——私の仕事です」


「仕事、か。教皇の仕事って、紙が多いんだね」


 少女は封を見て、首を傾ける。


「受け取らないの? 置いてあるのに」


「受領に見える形は、避けます」


「ふふ。君らしい」


 その一言が、なぜか刺さった。

 “君らしい”は、理解されている言葉だ。


 ヴァレリウスは声を整える。


「……貴女は、魔帝国の者です」


 少女はあっさり頷いた。


「うん。魔皇帝」


 空気が一瞬、止まる。

 聖堂が静かになるのではない。

 ヴァレリウスの思考が止まる。


「……リリス殿。名乗ることを、恐れないのですね」


「恐れる必要がないからね」


 リリスは笑ったまま続ける。


「今日は魔族の話じゃない。ヴァレリウスの話」


 ヴァレリウスの指先が僅かに硬くなる。

 硬さを袖の陰へ隠す。


「聖教会は、帝国と結んだ条文に従います。

 条文は、民を守るための——」


「うん。便利な言い方」


 リリスが軽く遮った。


「民を守るためなら、誰でも運べる。

 誰でも隔離できる。

 君の口から出ると、

 それが“祈り”に聞こえるのが怖い」


 ヴァレリウスは微笑みを維持したまま言う。


「怖がる必要はありません。私は、線を踏みません」


「踏まない、じゃなくて——踏めないんでしょ?」


 言葉が軽い。軽いのに、深い。


 リリスは祭壇の光を見上げた。


「ねえ。君、邪教会のことを心配してる?」


 ヴァレリウスは一拍だけ黙る。

 答えない、という答えだ。


 リリスはそれを肯定として受け取り、

 わざと軽く息を吐いた。


「……やっぱりね。

 異端審問の教会と、魔族を慕う邪教会。

 戦って、停戦して、

 また憎み合って——そうやって今まで来た」


 ヴァレリウスの胸の奥が薄く軋む。

 言い当てられるのは、痛い。


「帝国に従えば邪教会が動く。

 邪教会を恐れて帝国に縋る。——上手い鎖だよね」


 リリスは笑ったまま、さらりと言った。


「でも、それは心配しなくていい」


「……何を言って」


「邪教会は、私の支配下だから」


 世界が一拍、遅れた。

 遅れたのは足音ではない。ヴァレリウスの判断だ。


「邪教会は、魔族を尊ぶ。魔法に憧れる。

 その根は、私たちに繋がってる。最初からね」


 リリスは子どもの顔のまま、続ける。


「対立も停戦も、火の大きさも。

 “続いている”って形も。——私が握ってる」


 握っている。

 それは脅しではない。事実の提示だ。

 事実は、祈りより強い。


 ヴァレリウスの喉が乾いた。

 乾いたまま、言葉を探す。


「……ならば、なぜ黙っていた」


「黙ってたんじゃないよ。必要な形を保ってただけ」


 リリスは目を細めた。


「敵がいるから、君たちは一つにまとまれる。

 敵がいるから、帝国は君たちを鎖で繋げる。

 ——便利でしょ?」


 ヴァレリウスは一拍、黙った。

 黙った時間に、罪が生まれそうになる。


 リリスは押さない。

 押せば“反乱”になる。反乱は燃える。

 燃えれば帝国が喜ぶ。


「今すぐ反乱しろ、なんて言わない。

 くだらないから」


 幼い仕草で肩をすくめる。


「ただ、覚えておいて。

 邪教会を理由に帝国へ従う必要は、もうない」


 ヴァレリウスは息を吐いた。

 吐いた息が、祈りにならない。


「……私は、何のために」


「君のため」


 リリスは軽く言う。軽いのに、刃だ。


「帝国の言葉じゃなく、君の言葉で選ぶために」


 光が一度、瞬いた。

 瞬いた後、リリスの気配は薄くなった。

 最初からいなかったように——ではない。

 いたことだけが、重く残る消え方だった。


 ヴァレリウスは祭壇の前に戻り、膝をつく。

 祈る姿勢。

 だが、祈りの言葉が出ない。


(邪教会は、私の敵ではない)

(では、私は——何と戦ってきた)


 その瞬間、扉が叩かれた。

 現実は祈りより速い。


「教皇猊下。王都より。

 救護輸送が襲撃を受けました。

 被害者に……召喚の後遺と思われる

 発作が出ています」


 点が、線になり始めている。


「……王城へ向かう」

「移送の話になる前に、保護の線を置く」


 祈りでは止まらない。

 止まるなら、順番で止めるしかない。


 --------


 フェリオス王国 王城 応接の間


 国王アルベルトは、立っていた。

 座って待つのは礼儀だ。

 だが礼儀を守っている余裕が、今夜はない。


「教皇猊下」


 アルベルトは頭を下げない。

 下げれば、王国が教会に従属した形になる。

 だが敵に回さない。

 その線を身体で引いている。


 ヴァレリウスは微笑む。

 教皇の微笑みは、

 相手の線を踏まないための手段だ。


「陛下。救護輸送の件、承りました。

 教会として——」


「教会として、何ができる」


 アルベルトの声は低い。怒りではない。確認だ。


 ヴァレリウスは答えを選ぶ。

 帝国の通達が頭をよぎる。

 “協力義務”。“導線提供”。“保護・隔離・移送”。


 教皇の口が、帝国の条文を言いそうになる。


 ——君の言葉で選べ。


 その声が、喉を止めた。


「保護を。まず保護を優先します。

 治療と祈祷の導線は、教会が持つ」


 アルベルトの目が僅かに細くなる。

 教会の口から“移送”が出ないことに、

 何かを感じ取る。


「……帝国は」


 アルベルトは言い切らない。

 言い切れば戦争の言葉になる。


 ヴァレリウスが先に置いた。


「帝国は、“監督”という言葉を好みます」


 監督。

 正義の顔をしながら支配の形になれる言葉。


 アルベルトが短く息を吐く。


「……いよいよか」


 それは諦めではない。準備の合図だ。


 ヴァレリウスは微笑みを保ったまま、

 視線を落とす。


「陛下。私は教会の長です。

 同時に——帝国と結んだ条文の鎖を、

 足首に巻いている者でもあります」


 アルベルトの沈黙が重くなる。


「猊下。鎖があるのは分かった。

 だが鎖を理由に、王国の民が運ばれるのは困る」


 ヴァレリウスは頷いた。


「……私も困ります」


 危険な言葉だ。

 だが今夜は、少し混ぜないと王が動けない。


 アルベルトが言う。


「王国は、転生者と召喚者を

 “国家の所有物”にはしない。

 だが帝国にも渡さない」


 宣言は強い。

 強い宣言は、帝国にとって分岐だ。


 分岐は、帝国が嫌う。


 ヴァレリウスは祈りの形で言う。


「陛下。祈りは盾にも刃にもなります。

 教会は……刃になりやすい」


 アルベルトは視線を外さない。


「だから猊下。刃になる前に、盾でいてほしい」


 盾。

 その言葉が、ヴァレリウスの胸の奥に残った。


 --------


 帝国/皇城 非公開の執務室


 皇帝セヴェルス・レオニス・ヴァル=カイゼン

 執務室の中央にいる彼は笑っていなかった。

 この部屋に民はいない。仮面もいらない。


 机上には一枚の紙。

 協会の照合票。結論は短い。


 ——協会印:保留


 監察総監カッシウスが言う。


「協会が棘を残しました。

 拒否ではありません。保留です。

 手続きの中に残ります」


 オクタヴィアが淡く息を吐く。

 合理の欠損が、目に見える形で残っている。


「旧運用が露見する速度が上がりました。

 歪神の穴が塞がった今、票だけが動き続ける」


 皇帝は紙を見ない。

 紙が意味を持つのは、使う者がいる時だけだ。


「預かりはどうした」


 カッシウスが答える。


「命令通り、監察総監府で預かる導線を敷きました。研究所は観測だけに戻ります」


 皇帝は頷いた。


「よい。——それで十分だ」


 短い。冷たい。

 だが迷いがない。


 オクタヴィアが言う。


「王国が“渡さない”と言い始めれば、

 監督の口実が——」


 皇帝が遮る。


「口実は既にある。

 必要なのは速度だ」


 カッシウスの呼吸が一つ浅くなる。

 “速度”は、戦争の合図だ。


 皇帝は淡々と言った。


「露呈した。

 ならば隠すのではない。——先に奪う」


 オクタヴィアの瞳が僅かに細くなる。

 カッシウスは何も言わない。


 皇帝は続ける。


「王国を監督下に置く準備は、元から進めていた。

 今夜から前倒しする」


 決断が速いのではない。

 決断は既に終わっていた。

 今は実行の順番を早めるだけだ。


「教会には正義の顔をさせろ。

 王国には保護の形を押し付けろ。

 ——拒む意思が見えた者は、処理する」


 処理。

 言葉が軽い。軽いほど重い。


 カッシウスが短く答える。


「承知しました」


 皇帝は視線を上げないまま言った。


「戦争は“始める”ものではない。

 相手が気づいた時には、

 もう終わっている形にしろ」


 冷徹な言葉が、静かに部屋を満たす。


「行け。帝国の管理から外れるものを、残すな」


 カッシウスが踵を返す。

 オクタヴィアも同じく従う。従うしかない。


 扉が閉まる。

 皇帝は一人になっても、何も変わらない。


 紙の上の“保留”は、まだそこにある。

 だが皇帝の中では、既に“決裁済み”だった。


 帝国の順番が、音もなく進む。

 鐘が鳴るのは、少し先だ。


 守るための鐘と、運ぶための鐘が。


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