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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第80話 棘を折る者

 

「——馬を止めろ!」


 声は教会の護送兵のものだった。


 王都近郊の街道。

 救護馬車は二台。布で覆った紋。

 覆うのは隠すためじゃない。

 狙われる理由を薄くするためだ。


 それでも、狙われる。


 草の陰が割れた。

 影が出る。顔は布。動きは揃っている。

 揃っているのに旗がない。


「散れ!」


 ロイスが踏み込む。剣は抜かない。柄で叩く。

 倒すためじゃない。倒した後を増やさないためだ。


 セリスが馬車の側へ回り、

 火種になりそうな荷を蹴り寄せる。

 救護は燃えやすい。燃えたら、救えなくなる。


 エリオは剣を抜いた。

 抜けば、身体は答えを選びやすい。

 目の前に敵がいるなら、尚更。


 《観測適応(オブザーブアジャスト)


 視界の端が澄む。呼吸の乱れが輪郭になる。

 踏み込みの角度。手首の硬さ。合図の癖。


 一人目の肘を落とし、二人目の足を止める。

 血は出さない。出せば、

 その場の正しさが“殺し”に変わる。


「退け!」


 怒りじゃない。守るための声。

 守る声は、怒鳴り方が違う。


 影は一拍だけ迷い、次の瞬間、撤いた。

 撤き方が揃っている。

 揃っている撤き方も、仕事だ。


 残ったのは、馬車の中の音だった。


「中に……人が……!」


 教会の者が布をめくる。


 寝台。

 

 寝台の上に、若い男がいる——

 いや、“いるように見える”。


 白いのではない。白さが薄い。

 存在の縁が、紙みたいに頼りない。


「呼吸が浅い」


 ロイスが言う。

 セリスが指先で脈を拾った。


「生きてる。……でも、境目が変」


 境目、という言葉で、

 エリオの胸の奥がざわついた。

 この前の巡察で嗅いだ、あの冷えに似ている。

 戦いの匂いではない。世界の継ぎ目がずれる匂い。


 男の胸元に、薄い紋が浮いていた。

 刺青ではない。

 魔力が焼き付いた痕だ。


 教会の者が震える声で言う。


「召喚の……後遺です。発作が……」


 発作という言葉が遅い。

 遅い言葉ほど、現場を置いていく。


 男の唇が動いた。

 声が出ない。

 

 声が出ないのに、喉が祈りの形をなぞっている。


「……やめろ」


 掠れた音。何を、とは言わない。

 言えない。


 遠くで鐘が鳴った。

 巡察の合図。戦後は鐘で人を動かす。


 その音に反応するように、男の指が跳ねた。

 跳ね方が、人間の跳ね方ではない。

 紋が熱を持ち、皮膚の下で“何か”が方向を探す。


「来る……!」


 セリスが息を詰める。


 男の口から、祈りの文言がこぼれた。

 本人の意思じゃない。喉が覚えている言葉。

 覚えた言葉が、勝手に戻る。


 エリオの身体が一歩、前に出る。

 剣の切っ先が揺れる。

 斬る相手がいない。

 相手がいないのに危機だけがある。


 《観測適応(オブザーブアジャスト)》は目の前の敵には強い。

 だがこれは——敵ではなく、仕組みだ。


 エリオは剣を納め、膝をついた。

 肩を押さえない。押さえれば“抑えた事実”が残る。

 代わりに、声を落とす。


「大丈夫だ。……ここにいる。守る」


 守る、という言葉は戦いの言葉じゃない。

 でも今は、戦いより強い。


 男の目が、一瞬だけエリオを捉えた。

 同じ匂いを嗅いだ者の目。

 同じ場所から来た、と断定できないのに、

 似ている。


 男が喉の奥で、笑うように息を吐いた。


「……勇者……?」


 エリオは頷いた。

 頷いた瞬間、自分の中で何かが決まる音がした。


(これは現場で燃やしていい話じゃない)

(燃やせば、誰かの正義になる)

(正義は便利だ。便利な正義は、人を運ぶ)


 ロイスが馬車の床を蹴って、何かを拾った。

 

 紙片。

 

 折り方が妙に整っている。整いすぎている。


 整いすぎた紙は、だいたい誰かの都合だ。


 端に、薄い印の跡。

 読めない。だが“形”だけは覚えられる。


 エリオは紙片を受け取り、懐へ入れた。


「王都へ戻る。……戻る前に、会いに行く」


 ロイスが眉を動かす。


「誰に」


 エリオは即答しない。

 短く、確定だけ置いた。


「——アルトさんだ」


 斬るためじゃない。

 守る順番を、間違えないために。


 --------


 帝国/帝都・帝国魔術研究所 所長室


 机の中央に、白い紙が一枚だけ置かれている。

 封も飾りもない。

 “置いたこと”そのものが刃になる紙。


 協会の照合票。


 オクタヴィアは文字を追わない。

 先に見るのは、印と欄の空白だ。

 空白は、後から何でも書ける。だから一番危ない。


 彼女の目が止まったのは、結論の一行だった。


 ——協会印:保留。


「保留、か」


 拒むより上手い。

 拒めば相手は敵になる。

 保留は敵にしないまま、相手の手続きに棘を残す。


 紙の端に、走り書きのような注記がある。

 医療の立会い。監察の印。例外処理。

 そして、回廊の語。


(見つかったのではない)


(刺されたのだ)


 刺したのは、軽い笑いの灯り。

 灯りのまま、最短で異物を照らす女。


 オクタヴィアは指で紙束の端を揃えた。

 癖だ。整える癖は、思考を整える癖でもある。


(でも歪神はもういない)


 投げ先がない。

 なのに、投げるための票が残っている。

 変化が追いつかないのは現場だ。

 現場ほど、露見しやすい。


 扉が鳴った。鳴り方が薄い。権限の音だ。


「入れ」


 入ってきた男は、礼を作らない。

 礼を作らないのに、部屋の空気が一段締まる。


 監察総監——カッシウス。


「協会がやったな」


 最初の一言が、それだった。

 受領も挨拶もない。

 彼は仕事の言葉しか使わない。


 オクタヴィアは視線だけで返す。


「灯りが照らした。……面倒よ」


「面倒だ。だから来た」


 カッシウスは机上の紙を見ない。

 見なくても分かる。分かるから来た。


「皇帝の意向だ。転生者も召喚者も、

 今後は“こっち”で預かる」


「監察が?」


 オクタヴィアの声が冷える。

 不満は感情ではない。合理の欠損だ。


「観測の材料を、研究所以外が抱えるの?」


「材料じゃない。案件だ」


 案件。

 法と権限の言葉。研究所の言葉ではない。


 オクタヴィアは指先で机を一度だけ叩いた。

 小さな音が、部屋の温度を下げる。


「……私の線が削られる」


「俺の線も増える」


 カッシウスの声は平坦だった。

 平坦なまま、本音だけ落とす。


「本意じゃない。管理も書類も人も増える。

 だが皇帝の意向だ。——好みで動かす話じゃない」


「皇帝は優しい顔で刃を動かす。……いつも通りね」


「いつも通りのうちは、まだ安全だ」


 安全。

 この国の安全は、心の温度では測れない。


 オクタヴィアは笑わないまま言う。


「好きにしなさい。

 ただし、研究所の“失敗”だけは

 私の所へ落とさないで」


 カッシウスは肩をすくめるでもなく、踵を返す。


「失敗は落ちてくる。

 落ちてきたら、拾って捨てる。それが俺の仕事だ」


 扉の前で一瞬だけ止まる。


「協会の灯りは放っておけない」


 扉が閉まる。


 廊下を歩きながら、カッシウスは顔を変えない。

 変えないまま、胸の奥だけが重くなる。


(また増える)


(預かるものが増える)

(管理が増える。責任が増える。消す順番が増える)


 長年、皇帝に付き従ってきた。

 忠誠だけではない。生存の計算でもある。


 限界なのか。

 限界だとして、何ができる。


 皇帝の力は絶大だ。

 逆らう意思が“分かった”だけで、処理される。


 処理は紙より速い。

 処理は噂にもならない。


(……まだ、生きている)

(生きている限り、従うしかない)


 --------


 帝国/帝都・帝都魔導士協会 本部(夜)


 セレナは机に向かい、羽根ペンを回した。

 笑っていない。

 笑いは、相手がいる時の体温だ。


(姉さんに、先に渡す)


 セレナは便箋を一枚だけ出し、書き始めた。

 綺麗に書かない。

 綺麗だと読ませる相手が増える。


************************

 

 姉さんへ


 白い灯りの下で、見た。


 研究所の手順に「例外処理」があった。

 例外は、都合の悪いものを

 都合の良い言葉で包む箱。


 ・送致(回廊)の語が残っていた

 ・承認に監察総監府の印が噛んでいた

 ・医療の立会いが要らない形になっていた

 ・定義が曖昧で、協会の印は付けられない

 (保留にした)


 でも歪神はもういない。

 なのに、送致票は生きてる。投げた形だけが残る。


 今は公にできない。

 公にした瞬間、正義の衣を着た誰かが拾って、

 別の形にされる。


 それと、教会の救護輸送が襲われた。

 被害者に「召喚の後遺」みたいな発作が

 出たらしい。

 偶然じゃない匂いがする。


 ——セレナより


************************


 セレナは封を閉じ、

 封蝋の代わりに指先で「灯」を置いた。


 紙の縁に、ごく淡い光が走る。

 光は飾りではない。——読む手を選ぶ結界だ。


 姉さんの魔力波形にだけ反応し、

 それ以外の手が触れれば、文は“白い余白”に戻る。


 窓の外は静かだ。

 静かだから、遠くの鐘の音がよく聞こえる。


 鐘は、誰かを守るために鳴っている。

 同時に、誰かを運ぶためにも鳴っている。


 セレナは笑わずに息を吐き、手紙を送り出した。


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