第79話 白い灯りの下で
帝国/帝都・帝都魔導士協会
本部 会長執務室(午前)
会長執務机の端に、研究所の封が置かれていた。
封蝋が美しい。美しすぎる。
美しすぎる封は、拒否の余白を消す。
セレナは、封を切らずに笑った。
二つ名〈星灯〉の、明るい笑い。
「うんうん。今日も帝都は“上手”だね。
上手に人を動かす」
封の縁を指でなぞる。
指先が拾うのは紙の厚みじゃない。
(これ、協力じゃない。貸与だ)
机に置かない。
置けば“受領”になる。帝都はそういう都市だ。
扉が叩かれた。
軽い。速い。迷いがない。
「どうぞ」
入ってきたのはアルカだった。
礼は最小、目は真っ直ぐ。
「セレナ、今いい?」
「いいよ。……見て、これ」
セレナが封を指先で示すと、アルカは頷いた。
「研究所だね。こっちにも来てる」
アルカが一枚の委任状を差し出す。
皇帝侍医長の印。
加えて、枢密院の補助印——政治の重し。
「姉上は動けない。
枢密院に縫い付けられてる。
……だから権限だけ預かった」
「メディカが“印だけ出した”ってことか」
「そう。印を切るってことは、もう中身は掴んでる」
セレナは笑いを崩さない。崩せば負けるからだ。
「今回は何の名目?」
「健康確認。転移直後の症状と、魔力適応の診断。
——私が入る理由としては十分」
セレナが封を軽く揺らす。
「私は照合ね。協会規定と観測手順の照らし合わせ」
「うん。ただ——所長とは会わない方がいい」
アルカの声が少し硬くなる。
「顔を合わせたら“会談”になる。
今日は調査。拾って、帰る」
「分かる。順番を奪う」
セレナは封を切った。中身は短い。
——観測手順照合の要請。
——照合担当:帝都魔導士協会会長
セレナ・アークライト。随行一名。
短いほど強い。
強いほど、断る余地が消える。
セレナは笑って立つ。
「行こ。奪わない、喧嘩しない。
——でも、記録に刺す」
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帝国/帝都・帝国魔術研究所 第一門(午後)
門は高くない。
その代わり、通ったことが残る。
門衛が二人を見る。視線が印に落ちる。
皇帝侍医長印の瞬間、背筋が勝手に折れた。
「……侍医長代理権限、確認。
協会会長セレナ様。ご案内します」
案内役が現れる。制服は研究所、姿勢は軍。
混ざる場所ほど危ない。
「所長が上階でお待ち——」
アルカが、柔らかく遮る。
「待たせて大丈夫。健康確認が先。
転移直後の不調は時間が勝負でしょう」
セレナが笑って添える。
「照合も同じ。実物を見てからじゃないと、
紙に印は押せない」
案内役が息を吐き、頷く。
「……医療棟下階へ」
所長の名を、わざと遠ざける。
顔を合わせない。今日の目的は“会話”じゃない。
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帝国/帝都・研究所 医療棟下階 保全区画
冷気が濃い。
白い灯りの下では、音まで薄くなる。
ガラス越しに寝台が並ぶ。
眠っている者も、起きている者もいる。
皆、共通して“番号”を持たされている。
札。
——反応分類:召喚(S)
——処置:回復/訓練待機/観測
——反応分類:転生(T)
——処置:回復/適応検査/配属保留
——例外処理:送致(回廊)
セレナの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「……例外処理って、便利だね」
アルカは寝台の脈を目で追う。
“医療”の目だ。観察は丁寧で、余計な感情がない。
「転移熱。神経過敏。適応障害。
——ここまでは普通」
次の札。
同じ分類、同じ処置欄。だが端に、別の印。
薄い、けれど確実な刻印。
監察総監府。
アルカの指が止まる。
「……こっちは監察が噛んでる」
案内役の喉が鳴った。
鳴った時点で当たりだ。
セレナは笑って、軽く言う。
「監察が医療棟に来るの、珍しいね。」
アルカが案内役へ向けて言う。
「この“送致(回廊)”って何?
医療の指示系統じゃない。誰の承認で動いてるの」
案内役が言葉を探す。
「……安全保障上の——」
「言葉はいらない。台帳を見せて」
アルカは強く言わない。
強いのは“手順”と“印”だ。
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帝国/帝都・研究所 医療棟記録室
台帳は厚い。厚いほど、薄い嘘が挟める。
アルカがめくる。丁寧すぎない。
セレナは覗き込まない。
覗き込めば探し物がバレる。
セレナは協会の照合票を広げた。
照合票は持ち出さない。
——“結果として研究所側に残る紙”だ。
アルカの声が低くなる。
「……送致票、あった」
送致票の項目。
——対象:異界由来者(召喚/転生)
——理由:規格外/情報リスク/政治案件
——引受:監察総監府(押印)
——処理先:回廊(神域委託)
神域委託。
それは医療用語じゃない。研究用語でもない。
——帝国の“隠し言葉”だ。
セレナの笑みが戻る。
戻って、刃を隠す。
「魔神に“委ねる”ってことか」
アルカが目だけで頷く。
「研究所は資産として使う。育てる。
でも都合が悪くなった瞬間だけ、
監察に渡して——歪神に投げていた」
「研究所は手を汚さない。監察が運び、歪神が消す」
「でも歪神はもういない」
「……なのに、送致票は生きてる」
「投げ先が消えたのに、“投げたこと”だけが残る」
「戻らない。責任も、戻らない」
セレナは照合票に書く。綺麗に書かない。
読ませすぎない。
——観測手順は「例外処理(回廊送致)」を内包。
——送致承認が監察総監府印に依存。
医療監督の立会いなし。
——回廊(神域委託)の定義が不明。
協会規定では照合不能。
——協会印:保留。
“拒否”じゃない。“保留”。
帝都では保留が刺さる。手続きの中に棘が残る。
案内役が顔色を変える。
「会長、それは——」
セレナは笑ったまま言う。
「照合結果だよ。
協会は、分からない神域に“安全”の印を貸さない」
アルカが、静かに置く。
「台帳は持ち出さない。
けど、この照合票は研究所の記録になる。
消すなら消して。消したら、“消したこと”が残る」
案内役の目が泳ぐ。
泳いだ分だけ、ここが核心だ。
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帝国/帝都・研究所 退構(夕刻)
門を出た瞬間、帝都の空気が少し柔らかくなる。
柔らかいのに、胸の中は硬い。
アルカが小さく息を吐く。
「……拾えた」
セレナが笑う。
「うん。拾った。
帝国は召喚者も転生者も“使う”。即廃棄はしない。
でも——消す時だけ、歪神に投げていた」
「監察の役目が、運搬と隠蔽になってる」
「手順が綺麗なほど、一番汚い」
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二人の足音が遠ざかる。
門の影に、所属のない影が残る。
盲目の剣士、セラフィナ。
徽章はない。礼もない。
ただ、そこにいるだけ。
誰にも話しかけない。
話しかけないまま、独り言だけ落とす。
「……順番が動いた」
彼女は耳で聞く。
足音の増え方。金具の鳴り方。
言葉にしない命令の重さ。
「強い者ほど、使われる。——そして捨てられる」
剣の柄に指を添える。握らない。
握れば、どこかに属してしまう
セラフィナは背を向けて去った。
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帝国/帝都・宮城 医局長室(夜)
医局長室は明るい。
明るいほど、影が濃い。
宮城の灯りはいつもそうだ。
メディカは机から視線を上げない。
枢密院の印、皇帝の印、軍の印。
印が多いほど、人は自由を失う。
扉が開く。
「姉上。戻りました。」
メディカは頷いた。
「お帰りなさい」
「聞く前に言っておきます。私は知っていました。」
アルカの呼吸が一つ止まる。
メディカはペン先を置き、ようやく妹を見る。
「研究所が“資産”として異界由来者を回すこと。
使えない時だけ、
監察総監府経由で回廊へ送ること。
そして——歪神に委ねれば、
帝国の手は汚れないことも」
アルカが、拳を握りかけ、ほどく。
「……でしたら、なぜ止められないのですか。姉上」
メディカの表情が少しだけ動く。
笑いではない。諦めでもない。
“口にすると刃になる”種類の動き。
「止めるには刃がいる。でも私の刃は、
皇帝と帝国の“正しさ”に紐づいています」
メディカは窓を見ない。
窓の外の暗さを見れば、心が動く。
「公にすれば研究所は止まるかもしれない。
代わりに止まるものがある。
——医局、枢密院、そして貴方……」
アルカは姉の立場ゆえの覚悟に、
言葉を飲み込んだ
ペンが再び動く。
動く文字は世界を変えない。
けれど、変えないために書かれる文字がある。
「私は“知らないふり”をするしかない。
知っていると知られた瞬間、
私は政治に処理される」
「セレナには?」
「伝えていいですよ。ただし、
『私が知っている』とは言わないでください。
星灯に照らされたものは——まだ、表に出せない」
メディカは息を吐く。
吐いた息だけが少し人間だった。
「アルカ。医療の人間は、正しさで死ぬことは
許されません。生きて、次の順番まで耐えなさい」
机上の灯りが白い。白いほど影が濃い。
メディカは影の中で、独り言みたいに落とした。
「……魔神に委ねる帝国は、静かに壊れる。
だから私は、壊れる前に“耐える”しかない」
星灯が照らした火種は、まだ消せないまま——
宮城の白い灯りの下で、次の順番を待っていた。




