第82話 持ち込まれた火種
夜のギルドは静かだ。
静かだから、足音が増えた瞬間に分かる。
アルトは書類から顔を上げ、扉の方を見る。
レイナが先に顔を出した。
「下。勇者一行。全員」
「……久しぶりだな」
「その“久しぶり”が、
今夜はあんまり嬉しくない顔だよ」
レイナは笑って、でも声を落とす。
「奥、使う?」
「使う。お茶も頼む」
「はいはい。団体様ね」
レイナが引くと、廊下の気配が少し動いた。
五人分の足音がそろって入ってくる。
エリオが一歩前に出て頭を下げる。
「夜分にすみません、
アルトさん。……ご無沙汰しております」
ロイスも続けて会釈した。
「突然の訪問、失礼します」
セリスとミラも後に続く。
「ご迷惑をおかけします、アルトさん」
「お時間をいただいてしまい、申し訳ありません」
最後にティオが、
少し間を置いてから頭を下げた。
「……ご無沙汰しております。
今夜は、相談がありまして」
「座って」
五人が座る。
レイナが茶を置いて、扉の外へ出た。
扉が閉まる。
アルトが言う。
「何があった?」
エリオが頷き、できるだけ短く話し始めた。
「教会の救護輸送が、街道で止められました」
「止めたのは?」
「教会の人ではありません。
外の者です。顔を隠していました」
ロイスが続ける。
「人数は多くありません。
途中で引きました。追いませんでした」
「正しい。患者がいるなら、追うのは後だ」
エリオが一瞬だけ息を吐いた。
“責められない”と分かった息だ。
アルトは確認する。
「怪我人は」
ミラが答えた。
「馬が怯えましたが、人の死傷はありません。
……ただ、馬車の中の方に発作が出ました」
「どんな発作だ?」
セリスが整理して言う。
「召喚の後遺だと聞いています。
意識はあるのに声が出ない。
喉が勝手に“祈りの形”を作る、という感じでした」
ティオが補足する。
「胸元に薄い紋がありました。
刺青じゃなくて、焼け跡に近い痕で。
熱が——動いてました」
アルトが眉を寄せる。
「動く?」
ティオは少し言葉を探してから、淡々と答える。
「本人の意思と関係なく、
身体がどこかへ寄ろうとするように見えて。
方向を探している、というか……」
ロイスが続ける。
「鐘が引き金だったと思います。
巡察の合図の鐘が鳴った直後——急に悪化して」
アルトは一拍置く。
「今、その人はどこに」
ミラが答える。
「教会の救護所です。人が多いです。祈りも」
アルトは次へ進めた。
「物は拾ったか?」
エリオが懐から布に包んだ紙片を出す。
折り目が綺麗すぎる。均しすぎている。
「馬車の床に落ちていました。
読めませんでしたが、
捨てない方がいいと思って……持ってきました」
「よく持ってきた」
アルトは素手で触らない。
レイナが戻ってきて、白い封筒を机に置いた。
アルトは紙片を封筒の上に置き、
封筒の端だけを押さえる。
「これは今夜、写しを取らない。
持ち歩かない。ギルドで預かる」
ティオが小さく頷く。
「……分かりました。
こちらで勝手に扱わない方が良い、
ということですね」
「そう。扱うなら、扱う人間を決めてからだ」
アルトはエリオを見る。
「君らの相談は、ここで十分だ。
今日の判断は正しい。
ただ——君らが救護所へ行くと目立つ。
今夜は行かないでくれ」
エリオは迷わず頷いた。
「分かりました。俺たちは、ここで待機します」
ロイスも頭を下げる。
「必要なら、すぐ動ける位置にいます」
セリスが言う。
「私たちにできることがあれば、
言ってください。アルトさん」
ミラも続く。
「患者さんのことが心配です……
でも、足を増やすのが危ないのも分かります」
ティオが、短く纏める。
「……こちらは、待ちます。余計な動きはしません」
アルトが頷く。
「それでいい」
アルトはレイナを見る。
「ギルドの現地調査として救護所へ入る。
状況確認。祈祷の動きも見る」
レイナが頷いた。
「了解。私が行く」
セフィラはその場にいない。
アルトは立ち上がり、最後にエリオへ言う。
「助かった。久しぶりに会ったのが、
こういう夜で悪いな」
エリオが小さく笑った。
「いえ。こういう夜に頼れる人がいるのは
……ありがたいです」
「俺は頼れるふりが上手いだけだ」
「それで十分です」
エリオはそう言い切って、紙を差し出した。
——紙片ではない。救護所の位置と護衛の顔を、
簡潔に書いたメモだ。
「場所と、そこにいた人の特徴です。
……それと、遠くから見ている人影が
一つありました」
「顔は?」
ティオが答える。
「見えなかったです。近づかず、
離れず——見張りかどうか断定できない距離で」
レイナが言う。
「断定できない距離が一番やだね」
アルトはメモを受け取り、内ポケットへ入れた。
「行く。君らはここに」
エリオたちが一斉に頷いた。
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同じ夜。
魔導士協会会長室。
机の上に封が置かれている。
封蝋はない。だが、封は閉じている。
閉じ方が妹の癖だった。
セフィラは椅子に座ったまま、
封に手を伸ばさない。
伸ばす前に呼吸を整える。
(……セレナ)
折り目へ指先を近づけると、
淡い光が一度だけ脈打った。
姉妹の魔力にだけ反応する鍵。
“読むべき人間だけに届く”やり方だ。
折り目がほどけ、文字が浮く。
『姉さんへ』
『白い灯りの下で、見た』
『研究所の手順に、昔の残りがある』
『でも歪神はもういない』
そこで、セフィラの指が止まった。
「……いない」
声が低くなる。
当事者だからだ。
歪神を封じた。
封じたのは終わりではなく、
“監視が必要な終わり”にした。
終わらせ切れば、別の言い訳が生まれる。
だから、終わり方を選んだ。
(なのに、帝国は手順を捨てていない)
“歪神がいなくなった”ことを知らないのではない。
知っているはずだ。
知っていて、古い手順を残している。
残す理由は一つではない。
けれど、どれも厄介だ。
セフィラは引き出しを開けた。
奥に、古い封筒が一つある。
封蝋付き。
——受け取っていた。
だが「反応を書かなかった」手紙。
「……今夜、合わせて読む」
言い訳のためではない。
差分を見るためだ。
封を切る。
短い文。
『姉さん。こっちは揺れが無さすぎる』
『整ってるのに、整い方が変だ』
セフィラは二通を机に並べた。
片方は「整いすぎる帝都」
片方は「古い手順が残る帝都」
別の角度から同じ方向を指している。
「帝国は、整え直している」
セフィラは立ち上がった。
会長として立つ。姉として立つ。
机の呼び鈴を鳴らす。
「リディア。起きてる?」
副会長の声がすぐ返る。
『起きています。何がありましたか、会長』
「今夜分だけ、協会内の外部持ち出しを止める。
術式局は点検。記録局は閲覧権限を絞る。
理由は僕が書く」
『承知しました。……外に漏れたら困る案件ですね』
「漏れたら、“整えられる”」
セフィラは短い便箋を取り、妹へ返す文を作る。
長文にしない。捕まる形にしない。
——受け取った。
——帝都で“印”を動かさないように。
——“こちら”で対処する。
書き終えた便箋は封蝋で閉じない。
代わりに、灯の鍵を一つ置く。姉妹だけの受領。
(僕は、自分の線で動く)
アルトに渡すだけではない。
会長として協会を動かし、
姉として妹を守り、必要なら現場へ出る。
「リディア、僕は外に出る。
戻るまで、記録局を閉じて」
『承知しました。記録局は閉じます』
リディアは理由を聞かなかった。
聞けば、理由が増えると分かっている声だった。
『外部照会は、すべて副会長預かりにします。
持ち出し中の記録は戻させますか?』
「戻させて。戻らないものは番号だけ控える。
追わないで」
『追えば、形になりますね』
「そう」
『では、協会は今夜、知らない顔をします。
会長、お気をつけて』
セフィラは外套を取った。
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ギルド裏口。
アルトが外へ出ようとしたところで、
セフィラが入ってくる。
レイナが先に言った。
「来たね」
セフィラは頷く。
「セレナから。帝都で、古い手順が残ってる」
アルトが短く言う。
「歪神の“跡”だな」
「“跡”が残っているのが問題。
——帝国は、残して使う」
セフィラは続ける。
「僕も動くよ。会長として協会を締めた。
今から現場を見る」
レイナが肩を回す。
「じゃ、三人で。救護所だね」
アルトが頷く。
「行く。——今夜のうちに状況を確かめる」
三人は裏口を出た。
足音を揃えない。
揃えると目立つからだ。
夜の王都はまだ静かだ。
だが、静かなままでは終わらない匂いがしていた。




