第二十六話 私は八尺様にたまを会わせてみる。
「たま」
「にゃっん」
何が起こるかな、と期待に胸を膨らませながら、私が名を呼ぶと、たまは一際に強い鳴き声を発して、どっしりとした見た目からは想像できない身軽さで椅子に跳び乗ると、そこから私の右肩に飛び移ってきた。
三食+おやつをしっかりと食べ、睡眠もしっかりと取っているだけでなく、何だかんだで、外出時に運動もしてきているたまは肥満体と言う訳ではなく、地味に筋肉質である。
その為、たまに右肩に乗られると、かなり重い。
普段から、たまより重い荷物を運んでいるとは言え、スピードが乗った状態で飛び移られると、着地の時、相当な痛みがあるのだが、何とか、「ぐっ」と呻き声を漏らすだけで堪えられた。
「にゃあぁぁぁん」
重い事、と言うより、ちょっと痛みを与えてしまった点に対して謝るように鳴くたまの頭を、私は緩く撫でた。
「問題なイよ」
「ふにゃぁ」
「じゃア、八尺様の所に戻るか」
「にゃぁん」
(今更だが、たまは、何なんだろうな)
たまを右肩に乗せたまま、店の方に歩きながら、私は疑問を抱く。
よく食べ、よく寝て、よく動いているから、たまは大きい。
ただ、もしかすると、生活パターン以前に、たまは、元々、大きくなる猫種なのではないか。
私はこの時まで、あまり気にしていなかったので、たまを病院に連れて行った際、そこを調べて貰わなかったのである。
あまり、私も猫について詳しくない。
大きくなるタイプの猫で知っている種類は、メインクーンとラグドールくらいだ。
恐らく、他にも大きくなる猫種はいるだろうから、たまが、その猫種である可能性はある。
もちろん、たまの猫種であろうと、私にとって、彼女は、もう、大切な家族だから、猫種は何でもいいのだ。
しかし、今後、たまが何らかの病気に罹った際、猫種が何か、ハッキリしていないと困るかも知れない。
二度と家族を喪いたくないのだ、私は。
病院で猫種を確認していなかった事を反省し、私は近い内に明らかにせねば、と決意する。
(・・・・・・まぁ、たまの場合、普通の猫じゃないかもしれねぇが)
涼子ちゃんに、真宵お兄ちゃん、親ばかならぬ飼い主バカになっちゃったね、と呆れ気味に言われそうではあるが、正直、たまの頭の良さは凄い。
基本的には、自由気ままに過ごしているが、私の言葉をしっかりと理解できている節があるし、餌を食べ終わった後は、使った皿を台所のシンクまで咥えて運んでくれる。
開けた扉や襖も、ちゃんと閉めているし、テレビの電源を入れるだけでなく、気に入った番組を見る為に、リモコンのボタンを前足で押し、チャンネルを変えていた。
私が見ていない時に、たまの尻尾が根元から二本に割れていたとしても、全く驚かない。
繰り返しになるが、仮に、たまが化け猫であったとしても、可愛い事には変わらないのだから。
むしろ、永く生きている事で、意思の疎通が図れるようになっているのなら、それはそれでありがたい話である。
改めて、この紅檎寺村に引っ越してきて良かった、と思いながら、私はたまを右肩から落とさないように気を付け、店の方に戻った。
「オ待たせしました」
「ぽう・・・ポッ!?」
私の方を振り返った八尺様は、右肩に乗っているたまを見て、動きが止まった。
「にゃおおおおん」
私の右肩の上で低く鳴くと、たまは跳び、身軽な体捌きで床に着地した。
そうして、動かないままでいる八尺様に悠然とした足取りで近づいていき、彼女にじゃれつき始める。
「ぽおおぽぽ」
たまに体を擦りつけられ、八尺様は狼狽を露わにしてしまっていた。
「私が飼ってイる猫で、名前は、たまです」
「ぽぉぅ」
頷き返した八尺様はおもむろにしゃがみ込むと、床にゴロリと寝転んだたまへ手を伸ばそうとするが、またしても、ピタッと止まってしまう。
「ポッ?」
たまの無防備な腹部に手を伸ばしたまま、八尺様は私に何かを訊ねてきた。
この場の空気から察するに、八尺様は私に許可を取らずに、たまを撫でるのは良くないのではないか、と心配になったようである。
俺なんかに気を遣わなくていいのに、そんな事を考えつつも、私はゴロゴロと喉を鳴らしながら、ヘソ天状態でいるたまに手の先を向ける。
「たまは、八尺様に撫でて貰イたイよウなので、気にしなイでくださイ」
私が撫でる事を促すと、八尺様は躊躇いを滲ませながらも、たまを撫でたい欲望は抑えきれなかったようで、空中で止まったままでいた右手を、ゆっくりと、たまの腹部に伸ばしていき、ついに触れた。
想像していたよりも、たまの毛がフワフワで、腹の肉も、人をダメにしてしまう寝具レベルで軟らかいので、八尺様は一瞬で骨抜きにされてしまう。
「ぽぁぁぁぁ」
(気持ち良いですよね)
およそ、どこから出してんだ、とツッコミたくなるような八尺様の奇声に、私は苦笑いを浮かべながらも、同意の頷きを返した。
たまの方も、男である私と、さほど変わらぬサイズだが、女性らしい八尺様の手に撫でられ、いつもとは違う気持ち良さを感じているのか、満更でもなさそうな面持ちだ。
「うにゃぁん」
お腹を撫でて貰ったくらいで満足しないのが、たまである。
尻尾で床をパタパタと打ったかと思ったら、たまはうつ伏せとなった。
どうやら、八尺様に背中を撫でさせるつもり満々のようである。
八尺様に「いいの?」と目で問われた私は、たまの我儘っぷりに呆れ返るも、何を言ったところで、たまは気にしないだろうから、私は再び、手で促し、小さく頷き返した。
一応は、たまの飼い主である私が許可を出したからか、八尺様は堂々と、たまの背中を撫で始める。
軟らかな腹部のそれとは違う、背中の感触、撫で心地に八尺様は表情を蕩けさせる。
実際には、顔の上半分は艶やかな黒の前髪に隠されてしまっているから、目元は見えないが、口元は確かに緩み切っていた、八尺様は。
「なぁん」
「ぽ?」
たまが鳴くと、八尺様は撫でる位置を変えた。
首の近くを八尺様に撫でられ、たまは「ゴロゴロ」と気持ち良さげに喉を鳴らし、八尺様は、その音を聞いて嬉しそうにし、撫でる手に、より気合を入れていた。
「にゃおん」
「ぽぽ」
また、たまが鳴くと、八尺様は撫でる位置を、尻尾の近くに変える。
「・・・・・・ぬぁん」
しかし、どうやら、そこは、たま的に気持ち良くなかったらしい。
鳴き声には、不快感とまでは言わないが、若干の抵抗感が滲んでいた。
それを聞き、八尺様は焦りながら、撫でる手の位置を微妙に動かしてみる。
すると、たまは、またしても、「ゴロゴロ」と喉を軽やかに鳴らし始めた。
「ぽぅ」
たまの機嫌が直ったので、八尺様は安堵の息を漏らした。
その際、八尺様の高身長に見合った、豊かなサイズの胸部が「たぷんっ」と揺れ、すぐさま、私はおっぱいを見ぬよう、視線を逸らす。
女性の乳房を見てしまうのは男の性だ、と良綱さんは堂々としていられるだろうが、生憎、私は彼とは違い、小心者だ。
人間の女性だって、気の強い者であれば、不埒な男が自分のおっぱいに、下品な視線を注いでいる事に気付いたら、容赦ない平手打ちを繰り出してくる。
人間の女性じゃないどころか、男性の格闘家よりも遥かにパワーがありそうな八尺様に平手打ちなどされたら、私の奥歯は砕けかねない。
ただでさえ、私は頬肉が抉れ、歯が剥き出しの状態になっているのだ。
頬肉、と言う天然の防具がない部分にビンタされたら、それを想像しただけで、私は身震いしてしまう。
(あー、そう言えば、涼子ちゃんは、俺が胸の谷間を見ないようにしてると、逆ギレしてきたな)
走るのに邪魔で仕方ない、とボヤきながらも、どういう訳か、私の前でだけ、大きい胸をアピールするかのような服装を好み、見せつけてくるような体勢を取ったり、ぐにゃりと潰れるほど、おっぱいを私の腕や背中に押し付けてきた涼子ちゃん。
私は、おっぱいの大小で、女性の価値が決まる、なんて思っちゃいないし、涼子ちゃんのような健康的に日焼けし、天真爛漫な美少女に懐かれる事にも悪い気はしない。
(本音を言う事が許されるなら、あのおっぱいの感触は最高だったぜ)
だがしかし、涼子ちゃんは、暮林家の三女であり、一般家庭の生まれで平社員でしかない私とは、立場に大きな隔たりがある。
今は、お兄ちゃん、と慕ってくれているが、いずれは、暮林の格に匹敵する名家の令息とお見合いをするか、スポーツ界で確かな結果を出しているエースと、涼子ちゃんは、結婚を前提にした交際するようになるだろう。
そうなった時、ド平民である私と、あまり仲良くしていては醜聞になりかねないので、私は涼子ちゃんに密着されても、表情は変えず、さりげなく、距離を離すように努めていた。
私が物理的にも立場的にも距離を作ろうとしているのを察せば、涼子ちゃんも自重してくれるか、と期待していたのだが、甘かった。
どういう訳か、涼子ちゃんは肌の露出を増やし、ますます、くっついてくるようになってしまった。
この怪我を負ってからは、更に密着してくる回数が増えたくらいだ。
(さすがに、あの頃はまだ、俺が体の傷を他人に見られるのに抵抗があったから、風呂に入っている時に特攻んでくる事はなかったけど、ベッドの中に下着姿でいるのに気付いた時は、思わず、「ひゅぇっ」って人生で初めて、変な音が喉から出たもんな)
いくら何でも、女子高校生がしていいスキンシップの範疇を超えているので、私は真由子さんに直談判し、涼子ちゃんを諫めて貰う事にした。
普段は、良綱さんの方が頼りになるのだが、涼子ちゃんの事になると、途端に、覇気が鳴りを潜めてしまうのは解りきっていたので、私は真由子さんへ頭を下げる事を選んだ。
ただ、真由子さんは、いつものように柔和な笑顔で、「涼子がごめんなさいねぇ」と、心から謝ってはくれたのだが、その表情のままで、彼女が「ヤッても良かったのに」と、左手の親指と人差し指で作った輪っかに、右の人差し指を幾度も出し入れするのを見せられた時は、言葉が出なかった。
血の繋がった似た者母娘だ、どう考えても、この二人は、と呆れ返った時の苦々しさを思い出し、つい、私は「ふゥ」と溜息を漏らしてしまった。
八尺様は、それを聞き逃さなかったようで、半ば、その巨乳の上に、たまを乗せるように抱っこして、私の元にやってきた。
「ポ?」
「アァ、すイません、少し、苦イ思イ出がフラッシュバックしまして」
「ぽぉ」
大丈夫だよ、と私を安心させるように、八尺様は私の頭を優しく撫でてくれる。
何らかの恩恵によって重傷が回復したからか、私の背丈は随分と伸びてしまったし、それ以前も、誰か、しかも、女性に、立った状態で頭を撫でられる経験など皆無に等しかったから、私は面食らい、ビキッと硬直してしまったほどだ。
「っぽ!?」
八尺様も、自分が無意識に私の頭を撫でている事に気付き、バッと勢いよく、私の頭を撫でていた手を振り上げ、瞬く間に見えている部分を真っ赤に染めた。
思わず、お互いに恥ずかしくて、モジモジとしてしまう。
それでも、このままでいる訳にもいかないから、私は八尺様へ、素直な感想を告げた。
「イイものですね、誰かに頭を撫でて貰エる、とイウのは」
「ぽっぽっぽぅ?」
何となく、八尺様が言わんとしている事が察せたので、私は苦笑いを漏らす。
「さすがに、この年になると、もウ、誰かに頭を撫でられる事はアりませんから」
(涼子ちゃんに、風呂上がりで濡れた髪をガシガシ拭かれるのはノーカン扱いでいいよな)
この大怪我を負う前、与えられた部屋に備え付けられているシャワーで汗を流し合え、上に何も着ない状態で私が戻ってくると、そこには、大きいタオルを用意して、涼子ちゃんが待ち構えていた。
シャワーを浴びている時に突入するのは間に合わなかったので、私の髪をタオルで拭くスキンシップで心を満たしたかったらしい。
理容室でも、シャンプーの後に頭をタオルで拭かれるから抵抗感が湧きはしないにしろ、やはり、相手が雇い主の愛娘となると、躊躇はしてしまった。
まぁ、断っても、涼子ちゃんが諦めないのは火を見るよりも明らかだったし、次、シャワー室の中に真っ裸で待ち構えられていても困るから、私は彼女に頭を拭いて貰う事を選択するしかなかったのだが。
私が椅子に腰かけると、涼子ちゃんは「えへへ」と嬉しさを噛み締めるような笑い声を漏らしながら、私の後ろに立って、頭に被せたタオルを乱暴な手つきで動かしていった。
さほど、髪へのダメージは気にしない私でも、抜けやしないか、と不安になるほど、涼子ちゃんの髪の拭き方は乱暴、と表現したくなるものだった。
繊細な部分が皆無、と言う訳でもないが、やはり、涼子ちゃんはガサツな部分が目立つ。
私が部屋で髪を乾かされた際に文句を言ったり、注意をしなかったのも悪かったのだろうが、変に自信を持ってしまったらしい涼子ちゃんは、風呂から上がり、自室に戻らず、髪が少し湿った状態のまま、リビングで涼んでいた私の背後に回り込み、以前のように、私の髪をタオルでガシガシと拭き始めた。
この時も、私は、涼子ちゃんに悪気がないため、されるがままでいたのだが、これに対し、苦言を呈したのが、私に冷えた麦茶と羊羹を持ってきてくれた苺さんだったのである。
やはり、涼子ちゃんは、真由子さんだけでなく、苺さんも怖いらしく、彼女に注意されると、素直に私の髪を乱暴に拭くのを止めてくれた。
自分の部屋で反省してなさい、とリビングを涼子ちゃんが追い出された後に私が、それとなく、感謝の言葉を伝えると、苺さんは「リョウがごめんなさい」と頭を下げてくれた上で、「真宵さんも、あの子に、ハッキリ、イヤって言って良いのよ」と窘められてしまった。
(悪ふざけ感覚で、あの強さで髪を拭かれたなら、俺も注意は出来るんだがなぁ)
涼子ちゃんは、妹から兄へのスキンシップを意識して、私の髪を拭いてくれていた。
それが解かるだけに、どうにも、私は涼子ちゃんに強く出れない。
苺さんも、そこが解かるのか、恐縮する私に肩を竦めるだけで、それ以上は、何も言わないでくれた。
それから、涼子ちゃんは、私に力加減を確かめながら、髪を拭いてくれるようになった。
私の髪を拭くのを止めるって選択肢はないのか、と思いはしたが、涼子ちゃんから、楽しみを一つ奪うのも罪悪感が湧いてしまうので、私は「それくらいでお願い」と告げ、やはり、大人しく、髪を拭かれ続けた。
良綱さん達の前で、現役女子高校生に、くたびれ気味なサラリーマンが頭を乾かされる様を晒すのは気恥ずかしかったが、良綱さん達は、私と涼子ちゃんを微笑ましいものを見るような表情で見守っていたので、やはり、私は余計な事を言えなかったのである。
八尺様に頭を撫でられながら、私は、つい、涼子ちゃんとのスキンシップを思い出していた。
幸い、爆炎に顔を嬲られ、髪も焼けはしたが、不可思議な力のおかげで、髪は生え直してくれた。
しかし、涼子ちゃんは、雪乃の所為で私が死にかけた事を気にしてなのか、それ以来、髪を拭くのを止めてしまったのだ。
涼子ちゃんが気にする必要はない、と思った私は、その旨は伝えたが、近所の子供にオッサンと呼ばれても否定できない年齢になった男が、女子高校生に、髪を拭いて、とリクエストするのもヤバいな、と判断し、それ以上は何も言わずにいた。
もし、あの時、涼子ちゃんに、「お願い」をしていたら、彼女の不安を少しは軽く出来ていたのだろうか、と悩みはするが、やはり、気恥ずかしさの方が勝ってしまう私は、つくづく、ヘタレだ。
「ぽ?」
「アァ、すイません」
私がつい、思考に耽ってしまったからだろう、八尺様は不安そうな表情を見せた。
「気分が悪くなった訳ではなイので、安心してくださイ」
笑顔で、と言っても、私の素顔はマスクで隠されてしまっている、告げたが、やはり、八尺様の目は誤魔化せないらしい。
八尺様は再び、私の頭を優しい手つきで撫で始めた。
年頃の子供を誘拐い、時には、その命を奪う事もある、恐れるべき人外の手に撫でられる。
それは、多くの人にとって、恐怖が生じ、顔が青褪めるものだろうが、雪乃に幾度も命を狙われ、実際に死にかけた所為なのか、私はとっくに、その辺りの感覚がバグってしまっているようで、八尺様に頭を撫でられても、やはり、照れ臭さで頬が赤くなってしまう。
「ぽっぽぅ?」
「悩み事って言うと、少し大袈裟になっちゃいますかね」
ほんの一瞬、私は八尺様へ、メリーさんについて、相談してみようか、それを悩んだ。
八尺様とメリーさん。
その知名度は、どちらも高い。
だが、八尺様がメリーさんを知っているか、そこは微妙な気がした。
召威巫之山、または、紅檎寺村の「空気」が影響しているのか、そこは判断が付かないにしろ、今、私の頭を撫でている八尺様は、八尺様らしくない。
(やっぱり、彼女は、オリジナルの八尺様じゃないんだろうな)
オリジナルの八尺様、自分でも正しい表現なのか、悩んでしまうが、目の前の八尺様に禍々しい雰囲気が無い事を考えると、少なくとも、子供に酷い事をするタイプの怪人とは思えなかった。
だが、人間でないのも確かである。
人並外れた背丈もそうだが、私の頭を撫でる手からは、その気になったら、人間の頭など簡単に握り砕け、頸骨もヘシ折れてしまう、桁違いの力を感じ取れる。
それほどのパワーを見事に制御できるのだから、やはり、八尺様は怪人なのだ、と心から理解できた私は、さすがに、羞恥心が限界だったので、私の頭を撫でる八尺様の手から逃れてしまった。
「ぽぅ」
残念、と言わんばかりに、八尺様は桜貝色の唇をキュッと尖らせた。
しかし、これ以上は私の機嫌を損ねてしまう、としっかり線引きをしてくれたようで、八尺様はもう、私に手を伸ばしてこなかった。
「オ買イになるモノは、もウ、決まりましたか?」
「ぽっぽぽっぽ」
ホッとしつつ、八尺様の足元に置かれている籠を見れば、ぬいぐるみ作りに必要な素材がどっさりと入れられていた。
「・・・・・・アと、540円ですね、八尺様」
私が商品の値段を暗算し、残金を伝えると、八尺様は高い位置にある頭の上に「!?」を出現させた。
この店の経営を、良綱さんから任されているのだ。
仕入れた商品の値段くらいは全て、頭の中にきちんと叩き込んでいるし、暗算も苦手ではない。
「ぽぅぅ」
残金が540円だ、と解り、八尺様は大きなおっぱいの前で腕を組み、あと、何を買うか、悩み始めた。
私は、特に何もアドバイスはせず、ゆったりと近づいてきて、脛に頭を擦りつけてくるたまを抱き上げ、彼女が購入商品を決めるのを待つ事にする。
とは言え、私が待っているのを察し、八尺様もやや焦りを感じたようだ。
八尺様に、無自覚でプレッシャーを与えてしまった事を、私は反省する。
「ぽ」
しばし、大真面目に厳選していた八尺様が、おもむろに手に取ったのは、大学ノートと12色入りの色鉛筆だった。
どうやら、ぬいぐるみのデザインを描く際に使うようである。
「ぽぽ?」
「残りは110円です」
私がたまの背中を撫でながら伝えた残金に頷いた八尺様は、店内をぐるりと見回し、ぬいぐるみ作りに必要なものは何だろうか、と考え始めた。
八尺様が向かったのは、意外にも、駄菓子のコーナーだった。
あくまで、私の勝手な印象に過ぎないが、やはり、文房具屋は駄菓子を売っているべきだ。
この店に入荷しているのは、大半の人なら知っているメジャーどころの駄菓子ばかりである。
あまりマニアックすぎる駄菓子や珍味を陳列しても、買って貰わねば意味が無いのだから。
店に来るたび、私におやつをねだってくる大介くんだが、家で食べる用の駄菓子も頻繁に買っていく。
少ない小遣いをやりくりし、今、自分が買える駄菓子は何か、を考えるのは、子供には必要な経験じゃなかろうか。
(まぁ、大介くんの場合は、お小遣いを貰ってすぐに、おもちゃや駄菓子を買うのに使い切っちゃってるから、俺におやつを作らせてるんだろうがな)
私としては、大介くんのそんな処世術に感心している訳だが、雅世子ちゃんからすると、どうも許せないらしい。
(かと言って、雅世子ちゃんに、もうちょい、ソフトな言い方をしないと嫌われちゃうよってアドバイスするのも、野暮が過ぎるしなぁ)
雅世子ちゃんが大介くんを恋愛的な意味で「好き」で、それゆえに、ついつい、強く当たってしまうのは、二人を見ていれば、容易に察せた。
そんな子供たちの微笑ましい恋愛模様に、心が温かくなるのは、私が年を取った証拠だろうか。
情けない話だが、私もまだ、見ず知らずの子供に「オジさん」はともかくとして、「オッサン」と言われたら傷付き、出来れば、「お兄さん」と呼ばれたいお年頃だ。
それはさておき、雅世子ちゃんが大介くんに自分を好きになって貰いたい、せめて、自分の「好き」に気付いてほしい、と思っているのは明白だ。
その感情表現が上手く出来なくて、大介くんにキツい物言いをしてしまう自分に、雅世子ちゃんは悩んでいるようだが、やはり、アドバイスはしづらい。
私自身の恋愛経験が乏しいのもあるが、雅世子ちゃん自身は、自分の「好き」が、私たちにバレバレである、と一切、気付いていないのだ。
下手に助言してしまうと、雅世子ちゃんは、自分が大介くんを好きなのを周りが知っている、と気付き、心にダメージを負いかねなかった。
その為、私も含め、周りの大人たちは、この二人の恋物語を見守る、と決めていた。
上手くいくと良いけどな、と願いながら、私は真剣に、何味のうめぇ棒を買うか、悩んでいる八尺様をたまと一緒に眺める。
別に、大人が駄菓子を買ってもいい訳だが、そこらの大人よりも遥かにデカい八尺様が真剣に駄菓子を選んでいる様は、シュールさと可愛さが混ざり合っていた。




