■第四十八話 隣国から届いた注文
「またですか?」
沙樹は大量の注文書を見ていた。
「はい」
従業員が頷く。
「隣国からです」
「石鹸?」
「石鹸です」
「洗剤?」
「洗剤もです」
「清掃用品?」
「それもです」
沙樹は注文書をめくる。
学校。
病院。
軍。
宿。
飲食店。
市場。
工場。
一般家庭。
注文先がずらりと並んでいる。
「……隣国、ずいぶん広まったんですね」
「はい」
「最初は一部の都市だけだったのに」
「今では地方にも広がっています」
沙樹は少し驚いた。
自分が隣国へ行ったわけではない。
工場を建てたわけでもない。
販売網を作ったわけでもない。
ただ。
規格を渡した。
検査方法を渡した。
記録方法を渡した。
そして現地の人間が自分たちで作った。
「ちゃんと、自分たちのものになったんだ」
沙樹は嬉しそうに笑った。
王国では。
さらに大きな変化が起きていた。
「今年の農業生産量です」
農業分科会の報告。
「また増えました」
「どのくらい?」
「前年より一割ほど」
「理由は?」
「農地の排水改善」
「土壌調査」
「堆肥の品質安定」
「農具の改良」
「作付け計画」
「保存設備の増加」
「そして」
担当者が最後に付け加えた。
「農家同士の情報交換です」
「情報交換?」
「どの地域で、どんな作物がよく育ったか」
「どの肥料を、どれくらい使ったか」
「どの時期に植えたか」
「どれだけ収穫できたか」
「失敗した地域も、失敗理由を記録しています」
国王が頷く。
「失敗まで共有しているのか」
「はい」
以前なら。
失敗は隠した。
農家も。
商人も。
役人も。
失敗を知られるのを嫌がった。
しかし「失敗した」
という情報も。
次に成功するためには重要だった。
「去年、この地域では収穫量が減った」
「原因は?」
「水不足」
「では今年は?」
「灌漑設備を改修した」
「結果は?」
「収穫量が増えた」
そうやって。
一つずつ。
農業の精度が上がっていった。
そして食料価格も変わった。
以前は。
豊作なら暴落。
凶作なら急騰。
地域によって大きな価格差。
それが。
今では。
倉庫。
物流。
備蓄。
加工。
地域間取引。
これらによって緩和されている。
「食料が安定しましたね」
財務担当者が言った。
「はい」
「しかし」
「何でしょう?」
「最近、食料が余る地域が増えています」
「それなら輸出すればいい」
「実際、そうしています」
「では問題ないじゃないですか」
「問題はありません」
財務担当者は笑った。
「だからこそ、王国は次の段階に入ったのだと思います」
食料を確保する。
それだけではない。
余った食料を。
加工する。
輸出する。
備蓄する。
他国の商品と交換する。
その結果。
新しい産業が生まれた。
乾燥食品工場。
缶詰に似た保存食品の工房。
粉末食品工場。
油の加工所。
果物加工所。
冷暗倉庫。
大型倉庫。
運送業。
包装業。
検査業。
食料産業そのものが。
一つの大きな産業になっていた。
王都の市場。
以前とは比べものにならないほど商品が多い。
「南部の果物です」
「北部の保存肉です」
「東部の小麦です」
「西部の豆です」
さらに隣国の商品まで並んでいる。
「これ、外国の商品?」
沙樹が店主に尋ねる。
「そうですよ」
「ずいぶん増えましたね」
「王国からも輸出していますから」
「何を?」
「小麦」
「乾燥野菜」
「石鹸」
「洗剤」
「工具」
「布」
「農具」
「加工食品」
「へえ」
沙樹は店内を見回した。
昔。
王国は。
「足りないものをどうするか」
ばかり考えていた。
今は。
「何を作って、何を売るか」
を考えている。
国が。
貧困から。
成長の段階へ。
移っていた。
その夜。
沙樹は工房で一人、帳簿を見ていた。
「売上……増えたな」
内田生活工房も。
かなり大きくなった。
従業員も増えた。
製造拠点も増えた。
取引先も増えた。
隣国にも商品が出ている。
それでも。
沙樹は。
「もっといい洗剤を作りたい」
と思っていた。
売上より。
市場規模より。
国際取引より。
目の前の製品。
「この洗剤、少しだけ泡が残るな」
沙樹は試験を繰り返す。
「すすぎを一回減らせないかな」
水が少なくて済む。
洗濯時間が短くなる。
燃料も減る。
水道への負担も減る。
「……これ、結構大事だな」
沙樹は試作品に番号を付けた。
『試作洗剤・第八十二号』
翌日。
従業員に渡す。
「試してみてください」
「分かりました」
「汚れ落ちだけじゃなく、すすぎ時間も測ってください」
「はい」
「水の使用量も」
「はい」
「手荒れも確認」
「了解です」
沙樹は満足そうに頷いた。
やっぱり。
これが自分の仕事だ。
数日後。
王宮から招待状が届いた。
『王国発展への功績を称え、沙樹に国家功労者の称号を授与する』
沙樹は。
「いりません」
即答した。
「またですか?」
従業員が笑う。
「だって」
沙樹は招待状を見る。
「私は国を作ったわけじゃないですよ」
「でも、最初に仕組みを作ったのは沙樹さんです」
「最初だけ」
「十分だと思いますけど」
「私は洗う仕事が好きなんです」
「……そこは変わらないんですね」
「変わりません」
沙樹は笑った。
「国を動かすのは、国の人たち」
「商売をするのは、商人」
「農業をするのは、農家」
「道路を作るのは、職人」
「病気を診るのは、医師」
「政策を作るのは、役人」
「そして」
沙樹は洗剤の試作品を持ち上げる。
「洗剤を作るのは、私たち」
それでいい。
それが。
一番自然だった。
翌朝。
王国では。
新しい道路の建設が始まった。
南部では。
農地の拡張が進んでいる。
北部では。
鉱山と加工工場を結ぶ物流網が整備されている。
王都では。
新しい学校が建てられている。
病院では。
衛生設備がさらに改良されている。
市場では。
王国産の商品と隣国の商品が並んでいる。
そして内田生活工房では。
「沙樹さん!」
「はい?」
「試作品の結果が出ました!」
「どうでした?」
「汚れ落ちは維持したまま、すすぎ時間が平均で二割ほど短くなりました」
「本当?」
「はい!」
沙樹は嬉しそうに笑った。
「よし」
「商品化しますか?」
「もう少し試しましょう」
「まだ?」
「はい」
「何を?」
「長期使用」
「なるほど」
「一回良かっただけじゃ駄目です」
「分かりました」
沙樹はまた作業台へ戻った。
外では。
王国が成長している。
隣国も変わっている。
人々の暮らしも豊かになっている。
しかし沙樹の一日は。
昔と変わらない。
作る。
洗う。
測る。
記録する。
改良する。
そしてまた作る。
王国を変えたのは。
一つの巨大な発明ではなかった。
石鹸。
水。
衛生。
ごみ。
農業。
保存。
物流。
住宅。
教育。
医療。
それぞれをそれぞれの人間が。
少しずつ改善していった。
沙樹が作ったのは
「全部を自分でやる仕組み」ではない。
「誰でも、自分の仕事を改善できる仕組み」だった。
だから沙樹が工房に戻っても。
王国は止まらない。
むしろ沙樹が工房に戻れたことこそ
この国が本当に変わった証拠だった。




