■第三十九話 人は消えたのではなく移動していた
「……じゃあ、みんなはどこへ行ったの?」
沙樹は地図を見つめた。
机の上には、全国人口調査の最新資料が広げられている。
人口が減った町。
人口が増えた町。
空き家の数。
学校の生徒数。
農地。
工房。
鉱山。
倉庫。
街道。
港。
これまで別々に管理されていた数字を、同じ地図の上に重ねてみる。
すると「……線が見える」
「線?」
調査員が首を傾げた。
沙樹は赤い印を指差した。
「ここから、ここへ人が移っている」
北部の鉱山町。
その南にある中規模都市。
さらにその先にある王都。
人口が減っている町と、増えている町を結んでいく。
すると人の移動経路が浮かび上がった。
「北部から南へ」
「はい」
「農村から都市へ」
「はい」
「そして都市から王都へ」
「……本当ですね」
調査員は地図を覗き込んだ。
「でも、なぜ今まで分からなかったのでしょう?」
沙樹は答えた。
「人口だけを見ていたから」
「人口だけ?」
「そう」
例えば。
ある町の人口が一万人から八千人になった。
普通なら。
「二千人減った」
それで終わる。
だが。
その二千人が死んだのか。
別の町へ移ったのか。
農村へ戻ったのか。
王都へ行ったのか。
仕事を求めて移動したのか。
家族と一緒に移ったのか。
それを記録しなければ分からない。
沙樹は新しい表を作った。
『人口移動台帳』
名前を記録する必要はない。
個人情報を細かく管理するのではなく、町ごとの転入・転出人数。
移動元。
移動先。
年齢層。
世帯人数。
移動理由。
職業。
住宅の有無。
これだけでも、かなりのことが分かる。
「ただし」
沙樹は言った。
「移動理由は本人が答えたものと、役所が推測したものを分ける」
「なぜですか?」
「推測を事実として扱うと、あとで必ず間違えるから」
調査員は頷いた。
「では、本人が『仕事を求めて移った』と言った場合は?」
「本人申告」
「『仕事がないからだろう』と役所が判断した場合は?」
「推定理由」
「記録を分ける」
「そう」
沙樹は書類の上に線を引いた。
「分からないものは、分からないまま記録する」
それから半年。
全国から数字が集まった。
そして沙樹は再び地図の前に立っていた。
「……やっぱり」
人口が減っている町。
その近くには。
人口が増えている町がある。
そしてその二つを結ぶ街道の途中には。
新しい倉庫が建ち始めていた。
「人は仕事を追って移動しています」
調査員が言った。
「でも、それだけではない」
沙樹は首を振った。
「何でしょう?」
「生活費」
「生活費?」
「仕事の給料だけではなく、家賃、食料、水、燃料、教育、医療、交通」
沙樹は一枚の資料を取り出した。
そこには三つの町の比較が載っていた。
A町。
平均賃金は高い。
しかし家賃も高い。
食料も高い。
医療施設が少ない。
学校まで遠い。
B町。
平均賃金は中程度。
家賃が安い。
食料品店が多い。
学校も近い。
診療所もある。
C町。
平均賃金は低い。
しかし農地が多く、自給率が高い。
「給料だけならA町」
「でも?」
「生活費まで考えるとB町」
「なるほど」
「そして農業をするならC町」
沙樹は地図を指した。
「人は『給料が高い場所』だけに集まっているんじゃない」
「生活全体で判断している」
調査員が感心したように言った。
「では、人口を増やしたければ給料を上げればいい、というわけではない」
「そう」
沙樹は答えた。
「給料を上げるだけでは、家賃が上がるかもしれない」
「食料の需要が増えて、価格が上がるかもしれない」
「住宅不足が起きるかもしれない」
「道路が混雑するかもしれない」
「学校が足りなくなるかもしれない」
「診療所が混雑するかもしれない」
「つまり……」
調査員が呟いた。
「人口政策とは、人口だけを増やす政策ではない」
「生活全体を整える政策」
沙樹は頷いた。
「その通り」
そこで王都から派遣された役人が口を挟んだ。
「しかし、人口が増えている都市には税収が集まります」
「はい」
「ならば、人口を都市へ集めればいいのでは?」
沙樹は役人を見た。
「なぜです?」
「行政効率が良くなります」
「確かに」
「学校も病院もまとめて作れます」
「確かに」
「商業も活発になります」
「それもあります」
役人は少し得意そうな顔をした。
「では――」
「でも」
沙樹は地図を指差した。
「食料は誰が作るんです?」
役人の顔が止まった。
「……農村です」
「水は?」
「……農村や山間部です」
「鉱物資源は?」
「鉱山地域です」
「木材は?」
「森林地域です」
「港は?」
「沿岸部です」
沙樹は言った。
「全部を都市に集めればいいわけじゃない」
都市は便利だ。
しかし都市だけでは生きられない。
農村が必要。
山が必要。
港が必要。
鉱山が必要。
物流拠点が必要。
「国全体を一つの町として考えたほうがいい」
沙樹は地図を広げた。
「それぞれの地域に役割がある」
「人口を全部同じにする必要もない」
「問題は、役割を持つ地域が衰退して、機能まで失われること」
役人は黙った。
「では、どうするのです?」
「地域ごとに、何が必要なのか調べる」
沙樹は新しい計画書を取り出した。
『地域機能調査計画』
人口だけではない。
食料。
水。
住宅。
学校。
医療。
道路。
倉庫。
工場。
農地。
商店。
輸送能力。
そして『地域の主要産業』
「例えば鉱山町なら」
沙樹は言った。
「鉱山だけを見る」
「でも、それでは駄目」
「鉱山労働者が食べる食料を誰が供給するのか」
「作業服を誰が作るのか」
「工具を誰が修理するのか」
「住宅を誰が建てるのか」
「病人を誰が診るのか」
「子供を誰が教育するのか」
「そうした周辺機能まで含めて、町の産業なんです」
役人が資料をめくる。
「つまり、一つの仕事から何個の仕事が生まれるかを見る?」
「そう」
「鉱山そのものだけで二千人」
「その周辺に五百人」
「さらに食料や輸送を含めれば千人」
「そういう計算をする」
沙樹は黒板に書いた。
『直接雇用』
『関連雇用』
『生活支援雇用』
『物流雇用』
『加工雇用』
『サービス雇用』
「これを地域ごとに調べる」
そして「もう一つ重要な数字があります」
「何ですか?」
沙樹は黒板に書いた。
『地域外への支出』
役人が首を傾げる。
「支出?」
「その町で稼いだお金が、どれだけ町の外へ出ているか」
鉱山会社が王都から食料を買う。
町の住民が王都の商会から衣服を買う。
工具を別都市から買う。
燃料も外から。
修理も外から。
「これが大きいと」
沙樹は言った。
「町に仕事があるのに、町が豊かにならない」
役人は息を呑んだ。
「……北部の鉱山町」
「そう」
「鉱山があるのに人口が減った理由の一つは、これだった」
「その通り」
そしてさらに調査を進めた結果。
驚くべき事実が分かった。
北部の鉱山町では。
鉱山会社が一年間に支払う人件費は莫大だった。
しかしその金のかなりの部分が。
食料。
衣服。
工具。
燃料。
機械部品。
医薬品。
建築資材。
さまざまな形で町の外へ流れていた。
町の住民が稼ぐ。
町の外から商品を買う。
金が町の外へ出る。
そして人口が減る。
「……」
沙樹は資料を閉じた。
「仕事を増やすだけでは足りない」
「はい」
「人を呼ぶだけでも足りない」
「はい」
「人が稼いだお金が、地域でもう一度使われる仕組みが必要」
それは。
新しい言葉で表現できた。
沙樹は黒板に大きく書いた。
『地域内循環』
その言葉を見た役人が呟く。
「地域内循環……」
「全部を地域内で完結させる必要はない」
沙樹はすぐに付け加えた。
「外から買ったほうが安いものもある。技術的に作れないものもある」
「では?」
「できるものは地域で作る」
「そして、地域で作ったものを地域で使う」
「余ったものは外へ売る」
役人が頷いた。
「なるほど」
沙樹は窓の外を見る。
北部の山々。
そこには大量の鉱石が眠っている。
だが。
鉱石だけでは町は続かない。
鉱山で得た富を。
住宅へ。
学校へ。
商店へ。
工房へ。
農村へ。
物流へ。
そして次の産業へ。
循環させなければならない。
「鉱山町の次は……」
沙樹は全国地図を見た。
すると一つの地域に目が止まった。
海沿いの町だった。
人口は増えている。
港もある。
漁業も盛ん。
倉庫も増えている。
税収も増えている。
一見すると成功している。
しかし調査資料の片隅に。
奇妙な数字があった。
「……出生数が極端に少ない」
「はい」
「人口は増えているのに?」
「転入者が多いからです」
「では、転入者は?」
調査員が資料をめくった。
「二十代から三十代が中心です」
「家族は?」
「単身者が多いです」
沙樹は眉をひそめた。
「子供が少ない」
「はい」
「学校の生徒数は?」
「今は増えています」
「でも?」
調査員が答えた。
「このままでは、十年後に急減する可能性があります」
沙樹は地図を見つめた。
人口が増えている。
税収も増えている。
仕事もある。
町も栄えている。
なのに。
未来の人口が減る。
「……人口は現在だけを見ちゃ駄目なんだ」
沙樹は呟いた。
「十年後、二十年後まで見ないと」
新しい調査項目が必要になった。
人口。
仕事。
住宅。
生活費。
そして世代交代。
その瞬間。
全国人口調査は。
単なる人口調査ではなく。
国の未来を予測するための巨大な基礎資料へと変わり始めていた。




