■第三十八話 仕事があるのに人が集まらない町
「……鉱山があるのに、人が減っている?」
沙樹は人口調査の地図を見つめた。
北部地方。
山間にある小さな町。
町の人口は十年前には一万二千人。
それが現在では七千八百人。
ところが。
その町には、この地方でも有数の大きな鉱山がある。
鉄鉱石。
銅。
少量ながら銀も採れる。
鉱山では現在でも二千人以上が働いている。
しかも給料は、周辺の農村より高い。
「それなのに、人口が減っている」
「はい」
調査員が答えた。
「鉱山側も人手不足を訴えています。給金を上げても、人が集まらないそうです」
「給料を上げても?」
「はい」
沙樹は地図を見た。
鉱山。
町。
街道。
川。
倉庫。
そして住宅。
「鉱山で働く人は、どこから来ているの?」
「周辺の村から通っています」
「町に住まない?」
「住みたがらない者が多いようです」
「……なるほど」
沙樹は椅子から立ち上がった。
「実際に見に行こう」
「鉱山へですか?」
「いや」
沙樹は地図の町を指差した。
「まず町を見る」
鉱山の問題だと思っていた。
だが。
人口が減っている理由は、鉱山そのものとは限らない。
仕事があっても、人が住みたいと思わなければ町は増えない。
沙樹はそう考えていた。
数日後。
一行は北部の鉱山町へ向かった。
山道を越えると、町が見えてきた。
「……寒い」
最初に感じたのは、それだった。
北部だけあって気温が低い。
しかし、問題は寒さだけではない。
街道沿いには古い家が並んでいる。
屋根は傷み、壁にはひびが入っている。
商店も少ない。
昼間だというのに、通りには人影が少なかった。
「これだけ人がいるはずなのに……」
沙樹が呟く。
「登録人口は七千八百人です」
「でも、町の中心にいるのはもっと少なく見える」
「鉱山に働きに出ていますから」
「違う」
沙樹は首を振った。
「それだけじゃない」
宿に入り、主人に聞いた。
「この町では、鉱山で働く人は多いんですか?」
「ええ。多いですよ」
「では、なぜ町に人が増えないのでしょう?」
宿の主人は苦笑した。
「簡単ですよ」
「簡単?」
「ここで働いて、ここで暮らす理由がないからです」
沙樹は黙った。
「鉱山は給料がいい。だから働きに来る人はいる。でも、家族まで連れてくる人は少ない」
「なぜ?」
「学校が少ない」
「学校……」
「病院も遠い」
「医療施設は?」
「診療所が一つ。ただし大きな怪我や病気なら、山を越えて別の町まで行かないといけない」
沙樹はメモを取った。
「水は?」
主人の顔が曇った。
「井戸はあります」
「あります、ではなく?」
「冬になると凍ります」
「……」
「鉱山の排水が混じることもあります。もちろん飲み水用の井戸は分けていますが、昔から水の問題はあります」
沙樹はさらに書き込んだ。
「食料は?」
「高いですよ」
「高い?」
「山の町ですからね。野菜は南から運んできます。魚も保存品が中心です。燃料も高い」
「つまり……」
沙樹は手を止めた。
「給料は高いけど、生活費も高い」
「その通りです」
宿の主人は肩をすくめた。
「鉱山の給金だけ見れば、いい町です。でも家賃、食料、燃料、衣服。全部合わせると、それほど余裕はありません」
沙樹は窓の外を見た。
鉱山で働く。
金は稼げる。
だが、その金を町で使う環境が整っていない。
「もう一つ聞きたい」
「何でしょう?」
「鉱山は、この町から何を買っています?」
主人は少し考えた。
「……あまり買ってないですね」
「ほとんど?」
「鉱山会社が王都や大都市の商会から直接仕入れています」
「食料も?」
「大量の保存食は外から来ます」
「衣服は?」
「外から」
「石鹸は?」
「外から」
「道具は?」
「外から」
沙樹はペンを置いた。
「それだ」
「え?」
「人が集まらない理由の一つは、それだ」
鉱山には二千人が働いている。
彼らは給料をもらう。
だが、その給料の多くが町の外へ出ていく。
食料を外から買う。
衣服も外から買う。
道具も外から買う。
修理も外の業者。
燃料も外から。
鉱山が巨大な産業なのに、町には金が残らない。
沙樹は翌日、鉱山会社を訪れた。
「ずいぶん立派ですね」
巨大な建物だった。
倉庫も大きい。
事務所も整っている。
鉱石を運ぶ荷車も大量に並んでいた。
責任者の男が言った。
「我々はこの町に二千人以上の雇用を生み出しています」
「はい」
「給料も周辺地域より高い」
「はい」
「それなのに人口が減ると?」
「そうです」
男は不満そうだった。
「理由が分からないのです。給料を上げても来ない。募集を出しても応募が少ない」
沙樹は聞いた。
「従業員用の住宅は?」
「あります」
「何戸?」
「三百戸ほど」
「二千人いるのに?」
「家族持ちは一部ですから」
「学校は?」
「町の学校を利用しています」
「病院は?」
「診療所があります」
「食堂は?」
「あります」
「食料の仕入れ先は?」
男は答えた。
「王都の商会です」
「衣服は?」
「王都」
「石鹸は?」
「王都」
「工具は?」
「大都市の商会」
沙樹は笑った。
「では、この町の商店は何を売っているんですか?」
男は答えられなかった。
沙樹は倉庫を見せてもらった。
大量の食料。
大量の衣服。
大量の工具。
大量の燃料。
それらには、町の外にある商会の印が付いていた。
「……これだけ買っているのに」
沙樹は呟いた。
「町の中では買わない」
「品質と価格の問題があります」
「分かります」
沙樹は頷いた。
「だから全部を地元で作れ、とは言いません」
「では?」
「できるものだけ、地元に回すんです」
男が眉をひそめた。
「具体的には?」
「まず食料です」
「食料?」
「周辺の農村から直接買えばいい」
「しかし、大量供給には……」
「だから倉庫を作る」
沙樹は机の上に町の地図を広げた。
「この町には物流拠点があります。ここに共同倉庫を作る」
「……」
「周辺の農家が野菜、穀物、豆、肉、保存食を持ってくる。鉱山会社はそこから買う」
「でも価格が」
「市場価格を基準にする」
「それでは今の商会と変わらないのでは?」
「違います」
沙樹は指を一本立てた。
「お金が町の中を通る」
鉱山会社が農家から買う。
農家が町の商店で買う。
商店が運送業者に支払う。
運送業者が燃料や修理に金を使う。
修理工が工具を買う。
工具商が別の商品を買う。
「一回で全部が変わるわけじゃない」
沙樹は言った。
「でも、今はその循環がほとんど起きていない」
男は黙り込んだ。
「そして、もう一つ」
沙樹は住宅地を指差した。
「家族が住める町にする」
「住宅ですか?」
「はい」
「鉱山労働者向けの?」
「それだけではありません」
沙樹は地図に線を引いた。
「学校」
「診療所」
「共同浴場」
「洗濯場」
「水道」
「ごみ収集」
「食料品店」
「保育施設」
男が目を丸くする。
「そんなものまで?」
「人は給料だけで暮らしているわけじゃありません」
沙樹は静かに言った。
「仕事がある町ではなく」
「暮らせる町を作るんです」
その言葉に、責任者は黙った。
翌日。
沙樹は町の住民を集めた。
「この町に必要なものは何ですか?」
最初は誰も答えなかった。
やがて、一人の鉱山労働者が手を上げた。
「冬でも使える水場が欲しい」
別の女性が言った。
「子供を安心して学校へ通わせたい」
老人が言った。
「医者がもう一人欲しい」
商店主が言った。
「仕入れが高すぎる」
農家の男が言った。
「鉱山に売りたいが、直接契約できない」
若い男が言った。
「鉱山の仕事以外が少ない」
沙樹は全部を書き留めた。
そして気づいた。
この町には仕事がないのではない。
仕事が一つに偏りすぎている。
鉱山。
それ以外が弱い。
だから鉱山が少しでも不安定になると、町全体が沈む。
「鉱山を大きくするだけでは駄目だ」
沙樹は言った。
「鉱山を中心にしながら、鉱山以外の仕事も増やす」
その日から計画が始まった。
第一段階。
鉱山向けの食料を周辺農村から調達する。
第二段階。
作業服、手袋、靴、石鹸、洗剤などを地域の工房で生産する。
第三段階。
荷車の修理工房を作る。
第四段階。
鉱山機械の簡単な部品を作る金属工房を育てる。
第五段階。
労働者向け住宅を整備する。
第六段階。
学校と診療所を拡張する。
第七段階。
鉱山以外の産業を誘致する。
「でも」
調査員が言った。
「これだけやって、本当に人が戻ってくるでしょうか?」
沙樹は答えた。
「分からない」
「え?」
「だから調べる」
「……」
「人口が増えるかもしれない。増えないかもしれない」
沙樹は笑った。
「でも、原因を調べずに『人が来ない』と言っているだけでは何も変わらない」
そして三か月後。
最初の変化が起きた。
鉱山会社が、町の農家から食料を買い始めた。
次に。
町の工房が鉱山労働者の作業服を作り始めた。
さらに荷車修理工房ができた。
石鹸工房もできた。
食料品店が増えた。
そして空き家だった建物が、一つ、また一つと修繕されていった。
「沙樹さん!」
町の商人が駆け込んできた。
「注文が増えています!」
「何の?」
「全部です!」
「全部?」
「食料も、服も、石鹸も、工具も!」
商人は興奮していた。
「鉱山で働く人が、町で買うようになったんです!」
沙樹は窓の外を見る。
以前は閑散としていた通りを、鉱山労働者たちが歩いている。
店に入る。
食料を買う。
服を買う。
家族と食事をする。
少しずつ。
町に金が残り始めていた。
だが。
沙樹は喜びすぎなかった。
「まだ始まったばかり」
「はい」
「鉱山があるから町が栄える、では駄目」
「……」
「鉱山がなくても生きていける町にする」
調査員が驚いた顔をした。
「鉱山がなくても?」
「いつか鉱石が減るかもしれない」
沙樹は山を見た。
「資源には終わりがある」
だからこそ。
鉱山で稼いでいる間に。
次の産業を育てなければならない。
数年後。
この町がどうなっているか。
沙樹にはまだ分からない。
ただ一つだけ分かっていることがあった。
人口統計は、人の数だけを見るものではない。
人が、なぜそこに住み、なぜそこから去るのか。
そこまで見なければ。
数字はただの数字で終わる。
その日の夕方。
王都から一通の書状が届いた。
「……また?」
沙樹は封を開けた。
そこには、全国人口調査の追加報告が書かれていた。
北部だけではない。
全国各地で、同じような現象が起きている。
人口が減っているのに、学校は余っている。
人口が増えているのに、住宅が足りない。
仕事はあるのに人がいない。
人はいるのに仕事がない。
そして一番奇妙だったのは――
人口が減っている町ほど、空き家が増えているとは限らないことだった。
沙樹は眉をひそめた。
「……じゃあ、みんなはどこへ行ったの?」
全国人口調査の地図には。
今まで見えていなかった、人の流れが浮かび始めていた。




