■第三十六話 余っている町と足りない町
「全国物資流通台帳……」
王都から来た役人は、その名前を何度も口にした。
「本当に、これを作るのですか?」
「作ります」
沙樹は迷わなかった。
「ただし、最初から全部の商品を対象にするのは無理です」
「では?」
「まず重要なものからです」
小麦。
豆。
塩。
衣類。
石鹸。
燃料。
農業資材。
そして水。
「生活に必要なものを優先します」
沙樹は黒板に書いた。
『生産』
『在庫』
『消費』
『輸送』
『価格』
「この五つを毎月記録します」
最初は大混乱だった。
ある町から届いた報告。
『小麦、在庫五百』
別の町。
『小麦、在庫三百』
王都。
『小麦、在庫八百』
ところが実際に倉庫を調べると、
「数字が違います」
担当者が青ざめた。
「どうして?」
「記録している倉庫が違います」
一部の倉庫だけが報告している。
市場の商人の在庫が入っていない。
農家が自宅に保管している分も入っていない。
さらに、
「今月売れた分」
と
「今月生産した分」
を混同している。
沙樹は頭を抱えた。
「……最初から完璧な数字を期待するのはやめましょう」
「では?」
「まず、どこまでの数字なのかを明確にします」
『登録倉庫在庫』
『登録商会在庫』
『推定農家在庫』
と区分する。
「分からないものを、分かったことにしない」
沙樹は強調した。
「推定なら推定と書く」
「この原則だけは守ってください」
半年後。
ようやく全国の数字が少しずつ集まってきた。
沙樹は王都の会議室で、巨大な地図を見ていた。
各地域の数字が書かれている。
北部。
小麦の在庫、多い。
西部。
豆が多い。
南部。
果物が多い。
東部。
木材が多い。
そして王都。
加工食品と工業製品が多い。
沙樹は地図を見ながら言った。
「……面白い」
「何がです?」
役人が尋ねる。
「この国、物が足りないんじゃありません」
「え?」
「場所が違うだけです」
王都では保存食品が不足している。
しかし南部には果物が余っている。
北部では豆が余っている。
西部では小麦が余っている。
「輸送できれば、余っているものを足りないところへ持っていける」
「なるほど……」
これまで各地域は、
「自分の町に何があるか」
しか見ていなかった。
全国を一つの表にすると、
『余剰』
と
『不足』
が見える。
最初の試験が始まった。
南部。
果物が豊作になった。
市場に大量の商品が流れた。
当然、価格が下がった。
農家は困った。
「またか……」
農業ギルドが沙樹に相談する。
「倉庫は?」
「空きがあります」
「加工工房は?」
「あります」
「王都の需要は?」
「高いです」
沙樹は即座に判断した。
「生果のまま全部送らない」
「一部は保存」
「一部は加工」
「一部は王都へ」
「一部は近隣地域へ」
農家。
加工業者。
倉庫。
運送業者。
商人。
それぞれに仕事を分ける。
結果。
市場に一気に商品が集中することを避けられた。
農家は全量を安値で売らずに済む。
消費地には商品が届く。
腐って捨てられる量も減る。
「……こんなに変わるのか」
農業ギルドの代表が驚いていた。
だが、今度は別の問題が起きた。
「商人が買い占めている!」
そんな噂が流れた。
王都で小麦の価格が上昇したのだ。
市場では、
「誰かが大量に買っている」
という話が広がった。
役人は慌てた。
「どうしますか?」
沙樹はすぐに結論を出さなかった。
「まず数字を見ましょう」
全国物資流通台帳を見る。
小麦の生産量。
在庫。
輸送量。
輸出量。
消費量。
そして倉庫在庫。
すると意外なことが分かった。
「買い占めではありません」
「では?」
「輸送が止まっています」
北部から王都へ向かう街道が、大雨で一部通行不能になっていた。
小麦そのものはある。
しかし、
「運べない」
そのため王都だけで不足している。
「物がないんじゃない」
「届いていないだけ……」
役人が呟いた。
沙樹は頷いた。
「だから在庫だけ見てはいけないんです」
『どこにあるか』
だけでは足りない。
『どこへ向かっているか』
まで見る必要がある。
そこで新しい項目が追加された。
『輸送中在庫』
どこから。
どこへ。
何を。
何トン。
いつ出発。
到着予定。
輸送手段。
「これなら、王都の倉庫にないからといって、全国的に不足していると誤解しなくて済みます」
さらに、
『街道状況』
も記録することになった。
通行可能。
注意。
一部通行止め。
完全通行止め。
「物流の情報まで必要になるとは……」
兵站担当官が苦笑する。
「最初からそうでしたよ」
沙樹も笑った。
「物は、運ばなければ物資になりません」
そして全国物資流通台帳が動き始めて一年。
王都で大きな会議が開かれた。
各地域の代表が集まっている。
農家。
商人。
職人。
運送業者。
倉庫業者。
役人。
沙樹は壇上に立った。
「この一年で分かったことがあります」
会場が静かになる。
「この国には、物が足りない場所があります」
「そして、物が余っている場所もあります」
「でも」
沙樹は地図を指差した。
「その間に、情報がありませんでした」
誰が何を作っているのか。
どこに余っているのか。
どこで必要なのか。
どの道が使えるのか。
誰が運べるのか。
それが分からなかった。
「だから、物が余っているのに飢える町ができる」
「物が余っているのに農家が儲からない」
「必要なのに商品が届かない」
「そして、必要以上に高くなる」
会場から声が上がった。
「では、これからはどうするのです?」
沙樹は答えた。
「情報を先に動かします」
新しい仕組みが作られた。
『全国物資交換所』
不足している地域が、
『何が必要か』
を登録する。
余っている地域が、
『何を出せるか』
を登録する。
商人はそれを見る。
運送業者も見る。
倉庫業者も見る。
そして、
「この荷物なら、この帰り便で運べる」
と判断する。
王都の役人が全部を指示する必要はない。
市場の参加者が情報を見て、自分で取引する。
沙樹はこれを、
「市場を止める仕組みではなく、市場を動かすための情報」
と説明した。
最初の交換が成立した。
北部。
余っている豆、二十樽。
南部。
余っている保存果物、十五樽。
王都。
余っている石鹸、五百個。
東部。
必要な石鹸、五百個。
さらに帰りの荷車には、
南部から北部へ果物。
北部から王都へ豆。
王都から東部へ石鹸。
一台の荷車が複数の町をつないだ。
商人は帳簿を見て呟いた。
「以前なら、全部別々に探していた」
「今は?」
「一覧を見るだけでいい」
沙樹はその言葉を聞いて、少し嬉しくなった。
仕組みが、人の頭の中だけに存在しなくなった。
誰か一人の経験ではなく、
「誰でも使える情報」
になった。
しかし、その頃。
王都の財務官が一つの数字を見つけた。
「……妙ですね」
「何が?」
「税収です」
全国の物資流通が改善したことで、
商取引の件数が増えている。
倉庫業が増えた。
運送業が増えた。
加工業が増えた。
市場での商品回転も増えている。
その結果、
「税を上げていないのに、税収が増えている」
財務官は驚いた。
「商売が増えれば、自然に取引も増える」
沙樹は言った。
「だから税率だけを見るのではなく、経済全体を見る必要があります」
財務官は頷いた。
「なるほど……」
そして、もう一枚の資料を取り出した。
「実は王都から、もう一つ相談があります」
「今度は何ですか?」
「全国の人口を、もっと正確に把握したいそうです」
沙樹の手が止まった。
人口。
生産。
消費。
在庫。
物流。
税収。
これらがつながれば、
「国がどこに、どれだけ人が住んでいるのか」
まで見えてくる。
沙樹は地図を見た。
そして気づいた。
「……待って」
「どうしました?」
「今まで、物の流れを追っていましたけど」
沙樹はゆっくり言った。
「次は、人の流れが見えてくる」
農村から町へ。
町から王都へ。
仕事を求めて移動する人。
新しく開拓される土地。
人が減っていく村。
人が増える都市。
それを把握できれば、
学校。
病院。
水道。
道路。
住宅。
食料。
仕事。
必要なものを、必要な場所に先回りして用意できる。
沙樹は新しい紙を取り出した。
そして、そこに書いた。
『第七次・生活基盤計画』
その名前は、
『人口・地域需要調査』
だった。
だが、その計画を始めた直後。
一つの村から、奇妙な報告が届く。
『人口が増えているのに、税収が減っている』
沙樹はその報告書を見つめた。
「……どういうこと?」
そして、その村へ向かうことになる。
そこで沙樹は、
これまで誰も気づかなかった、
『人が増えているのに町が貧しくなる理由』
を知ることになる。




