■第三十四話 兵士より先に食料を届ける
翌朝。
内田生活工房の扉を叩いたのは、四人の男だった。
先頭に立っているのは、王国軍の兵站担当官。
その後ろには、補給部隊の責任者と、軍医。
そして、なぜか商人が一人。
「お待ちしていました」
沙樹が会議室へ案内する。
席につくと、兵站担当官が頭を下げた。
「昨日の書状にも書きましたが、本日は軍の補給について相談したく参りました」
「具体的には?」
担当官は一枚の地図を広げた。
そこには王都から国境までの街道が描かれている。
「現在、王国軍の補給には大きな問題があります」
「どんな問題ですか?」
「食料が届くのが遅い」
「水が足りない」
「衣類や靴が不足する」
「倉庫によって在庫管理の方法が違う」
「さらに……」
担当官は少し苦笑した。
「何がどこにあるのか、分からなくなることがあります」
沙樹は地図ではなく、持ってきた書類を見た。
「在庫表は?」
「あります」
「統一されていますか?」
「部隊ごとに違います」
「入庫と出庫の記録は?」
「記録する部隊もあります」
「しない部隊も?」
「……あります」
沙樹は目を閉じた。
「それでは、補給が遅れて当然ですね」
担当官が苦笑する。
「やはり、そう思われますか」
「はい」
沙樹は黒板に書いた。
『必要な物を』
『必要な場所へ』
『必要な時に』
その下に、
『必要な量だけ』
と書き加える。
「兵站って、結局これですよね」
担当官が頷いた。
「その通りです」
「だったら、まず戦争の話をする必要はありません」
沙樹は言った。
「在庫管理から始めましょう」
最初に決めたのは、物品の名前だった。
これまで軍では、
「小麦袋」
「食料袋」
「大型袋」
など、部隊ごとに呼び方が違っていた。
沙樹は統一した。
『品目番号』
『品名』
『単位』
『容量』
『重量』
『保管条件』
『入庫日』
『出庫日』
『数量』
これだけでいい。
「例えば小麦なら?」
「小麦です」
「袋によって量が違う場合は?」
「それでは在庫管理ができません」
沙樹は答えた。
「袋を単位にするのではなく、重量で管理します」
「なるほど」
「容器が違っても、中身の量は比較できます」
さらに、
『先に入ったものから順番に使う』
という原則も決めた。
倉庫の奥に古い食料を放置し、新しいものだけ使う。
そんな無駄をなくす。
「これだけでも廃棄量は減ると思います」
軍医が言った。
「腐敗した食料を減らせれば、衛生面でも助かります」
沙樹は頷いた。
「ただし、保存期間は食品ごとに違います」
「一律の期限にはしません」
「状態を確認しながら管理します」
次に問題になったのは、倉庫だった。
軍の倉庫を見に行くと、
「……これは」
沙樹は絶句した。
食料。
衣類。
靴。
石鹸。
木材。
金属製品。
工具。
全部が同じ建物に入っている。
しかも、棚番号がない。
「よく今まで回っていましたね」
「私もそう思います」
兵站担当官が苦笑した。
沙樹はすぐに分類を始めた。
食料。
衛生用品。
衣類。
工具。
建築資材。
燃料。
それぞれ保管場所を分ける。
さらに、
『入庫』
『検査』
『保管』
『出庫』
という流れを一本化する。
「倉庫を大きくする必要はありません」
沙樹は言った。
「まず、倉庫の中を分かりやすくします」
棚に番号を振る。
通路を確保する。
品目ごとに区画する。
記録と現物を一致させる。
これだけで、倉庫の作業時間が大幅に変わった。
「昨日まで半日かかっていた在庫確認が……」
担当者が時計を見る。
「一時間もかかっていません」
沙樹は笑った。
「物を探す時間が減っただけです」
そして、さらに大きな問題が見つかった。
『空の荷車』
軍の輸送部隊は、目的地まで物資を運んだあと、空のまま戻ってきていた。
「帰りに何か積めないんですか?」
沙樹が聞く。
「帰りに?」
「はい」
「何を?」
「王都へ戻す必要のある物です」
使い終わった容器。
修理が必要な道具。
空になった袋。
書類。
不要になった資材。
「全部が戻せるわけではありませんが、空荷で帰るよりいいでしょう」
商人が口を挟んだ。
「商人の荷馬車でも同じことができます」
「そうですね」
沙樹は地図を見る。
王都から東部へ行く荷車。
帰りは空。
東部から王都へ向かう商隊。
こちらも空いている荷台がある。
「……だったら」
沙樹は新しい表を書いた。
『共同輸送』
軍だけで全部を運ばない。
商人だけで全部を運ばない。
空いている荷台を共有する。
もちろん軍事上の機密や危険物などは別管理。
しかし一般物資なら、
「行きの荷物」
「帰りの荷物」
を組み合わせられる。
商人の顔が明るくなった。
「これは商売になります」
「ええ」
沙樹も頷いた。
「軍のためだけではありません」
軍の物流を効率化する。
そのために作った仕組みが、
商人の物流にも使える。
農家から町へ。
町から王都へ。
王都から地方へ。
帰りの荷台には別の商品を積む。
物流の効率が上がれば、商品の価格にも影響する。
数か月後。
最初の試験運用が始まった。
王都から北部の軍施設へ食料を送る。
以前なら、
荷車を集める。
物資を積む。
出発する。
到着する。
足りない。
追加輸送。
そんなことを繰り返していた。
今回は違った。
出発前に在庫を確認。
必要量を計算。
積荷を一覧化。
途中の倉庫にも到着予定を共有。
到着したら検品。
必要な物だけを次の地点へ送る。
そして帰りの荷車には、
修理品。
空容器。
不要資材。
地域から王都へ送る商品。
それらを積んだ。
帰ってきた荷車は空ではなかった。
兵站担当官は報告書を見ながら呟いた。
「……同じ荷車なのに」
「何ですか?」
「運んでいる量が違う」
沙樹は笑った。
「荷車が変わったわけじゃありません」
「使い方を変えただけです」
ところが。
この仕組みを始めて半年。
思わぬ問題が発生した。
商人たちが、
「軍の輸送が優先されると、民間の商品が遅れる」
と不満を言い始めたのだ。
沙樹はすぐに会議を開いた。
「軍を優先すればいい」
兵士の一人が言う。
しかし商人は反発した。
「それでは市場が止まります」
農家も言う。
「収穫したものを運べなくなれば、腐ります」
沙樹は黙って話を聞いた。
そして黒板に書いた。
『優先順位』
第一。
緊急物資。
第二。
腐敗しやすい商品。
第三。
期限のある商品。
第四。
通常物資。
「軍だから最優先、とはしません」
兵站担当官が顔を上げた。
「では?」
「物の性質で決めます」
同じ食料でも、
保存できる穀物と、
すぐ傷む野菜では扱いが違う。
同じ荷車でも、
緊急医療用品と、
数週間後でもいい建築資材では違う。
「誰が強いかではなく、何を先に運ぶべきかで決める」
沙樹はそう言った。
軍人も商人も農家も、しばらく黙っていた。
やがて兵站担当官が頷いた。
「……それなら公平です」
その夜。
沙樹は帳簿を整理していた。
石鹸。
水。
排水。
ごみ。
堆肥。
農業。
食品保存。
倉庫。
物流。
最初は全部、別々の問題だった。
だが今では一本の線になっている。
「作る」
「保存する」
「運ぶ」
「売る」
「使う」
「回収する」
「再利用する」
社会というものは、
一つの商品だけでは動かない。
無数の仕組みがつながって、初めて動く。
沙樹はそう考えていた。
しかし翌日。
王都から、また使者が来た。
今度の書状は、これまでとは違っていた。
『王国政府より、全国生活基盤網の設立について協議したい』
沙樹は書状を読み、
「全国生活基盤網……?」
と呟いた。
その言葉の下には、さらに項目が並んでいた。
水。
衛生。
農業。
食品。
倉庫。
物流。
廃棄物。
そして最後に、
『災害時の緊急供給』
沙樹は顔を上げた。
「……災害?」
王国には、
洪水。
干ばつ。
大雪。
火災。
疫病。
さまざまな災害が起きる。
これまで作ってきた仕組みは、平時だけでなく、そんな非常時にも使える。
しかしそのためには、
「普段から余裕を持っておかないといけない」
倉庫。
食料。
水。
医療用品。
石鹸。
衣類。
輸送手段。
そして人。
沙樹は新しい紙を一枚取り出した。
そこに大きく書く。
『第五次・生活基盤計画』
その下に、
『災害備蓄』
と書いた。
だが沙樹は、まだ知らなかった。
この備蓄計画が始まったことで、
王国の商人たちが初めて、
「物を売るだけではなく、国全体の在庫を考える」
ようになることを。
そしてそれはやがて、
「市場で物が足りなくなる前に、足りなくなる場所を予測する」
という、新しい商売を生み出していくことになる。




