■第三十三話 国に全部やらせてはいけない
王都から来た使者は、立派な服を着ていた。
胸元には王家の紋章。
護衛も二人ついている。
内田生活工房の会議室に通されると、使者は丁寧に頭を下げた。
「沙樹殿。本日は王国政府からの正式な要請をお伝えするために参りました」
「はい」
沙樹も椅子に座った。
使者は書状を机の上に置いた。
「王国では、貴社が導入した衛生用品、水管理、廃棄物分別、農業環境、食品保存などの仕組みを高く評価しております」
「ありがとうございます」
「そこで」
使者は一度言葉を切った。
「これらを王国全土へ広げたい」
沙樹は黙った。
予想していた話だった。
だが、
「具体的には?」
「王国の統一規格として採用します」
「誰が作るんです?」
「王国が認定した工房に製造させます」
「検査は?」
「王国の役人が」
沙樹はそこで首を傾げた。
「何人います?」
「……何人?」
「全国を検査する役人です」
使者が黙った。
沙樹は続ける。
「石鹸だけではありません」
「洗剤、水道設備、排水設備、ごみ収集、堆肥、農業資材、食品保存、倉庫、加工食品……」
「全部を王都から管理するんですか?」
「それは……」
使者は言葉に詰まった。
沙樹は笑った。
「無理ですよ」
「……」
「王都だけで全部を見る仕組みにしたら、書類が王都に集まって、承認待ちの山ができるだけです」
「では、どうすれば?」
沙樹は地図を広げた。
王都。
東部。
西部。
南部。
北部。
さらにその下には、町と村がある。
「国が全部やる必要はありません」
「では?」
「国はルールを作る」
「各地域は実際に運用する」
「商会やギルドは製造や販売をする」
「検査機関は検査する」
「そして、問題があったときだけ上位へ報告する」
使者が地図を見つめる。
「分散させる、と?」
「はい」
沙樹は黒板に書いた。
『全国統一規格』
その下に、
『地域認定』
さらに、
『製造』
『検査』
『販売』
『記録』
と続ける。
「たとえば、石鹸の品質基準は全国で統一します」
「でも、石鹸そのものを王都で全部作る必要はありません」
東部では東部の工房。
西部では西部の工房。
南部では南部の工房。
北部では北部の工房。
「同じ規格を守っていれば、どこで作ってもいい」
使者が頷いた。
「なるほど」
「むしろ、そのほうが運送費が下がります」
「地域にも仕事が生まれます」
「王都だけに工場を集中させる理由がありません」
使者は少し考えてから尋ねた。
「では、王国政府には何を?」
「三つです」
沙樹は指を立てた。
「規格」
「検査制度」
「情報の集約」
「それだけです」
「それだけ?」
「重要な三つですよ」
沙樹は笑った。
しかし、使者はもう一つ書類を取り出した。
「実は……もう一つ問題があります」
「何でしょう?」
「各地で、内田生活工房の名前を使った粗悪品が出ています」
沙樹の表情が変わった。
「どんなものです?」
「『内田式石鹸』」
「『内田認定洗剤』」
「『内田工房公認堆肥』」
「……」
沙樹は頭を抱えた。
「やっぱり出ましたか」
「ご存じでしたか?」
「時間の問題だと思っていました」
評判が上がれば、名前を利用する人間が出てくる。
これは商売の世界では珍しくない。
そこで沙樹は新しい制度を提案した。
『認定番号制度』
製造者。
工場。
製造地域。
製造年月。
検査機関。
それぞれを記録する。
そして認定を受けた商品だけが、
『内田生活工房規格』
の名称を使用できる。
「つまり、名前だけでは信用できなくする」
「はい」
「番号を見る」
「番号を確認すれば、どこで作られ、誰が検査したものか分かるようにします」
使者が感心したように頷いた。
「これは商業組合にも使えそうです」
「使ってください」
沙樹は即答した。
「私の会社だけで管理する必要はありません」
その日の午後。
王都の使者と一緒に、商人ギルド、農業ギルド、職人ギルド、医療関係者、水管理担当者などが集まった。
沙樹は全員に同じ説明をした。
「これから全国へ広げます」
「ですが、内田生活工房が全部作ることはしません」
一人の商人が手を挙げる。
「では、我々も製造していいのですか?」
「規格を守れば」
「価格は?」
「自由です」
「自由?」
「はい」
会議室がざわつく。
沙樹は続けた。
「ただし、品質を落として安くするのは禁止です」
「原料を勝手に変更する」
「重量をごまかす」
「検査をごまかす」
「そういうことをすれば認定を取り消します」
一方で、
「生産効率を上げる」
「運送費を下げる」
「包装を簡略化する」
「無駄を減らす」
そういった努力で安くするのは自由。
「競争していいんです」
沙樹は言った。
「品質を守った上で、安く作れる会社が生き残る」
商人たちは顔を見合わせた。
今までの商売とは少し違う。
だが、
「悪くない」
という空気が広がっていった。
さらに沙樹は、新しい仕組みを導入した。
『相互検査』
ある工房を、その工房自身に検査させない。
別の地域の検査員が確認する。
そして検査員も定期的に別の地域から確認される。
「検査する人間が固定されると、癒着する可能性があります」
沙樹は説明した。
「だから、検査する側も検査される」
「なるほど……」
王都の役人が頷く。
「行政にも応用できそうですね」
「そういう仕組みにしてください」
沙樹は答えた。
「仕組みは、人間が悪いことをしない前提ではなく、人間が悪いことをしても発見できるように作ったほうが強いです」
会議室が静かになった。
誰も反論しなかった。
そして半年後。
王国各地に、
『生活衛生規格認定工房』
が誕生した。
東部。
石鹸工房が三十。
洗剤工房が十二。
容器工房が八。
西部。
農業資材工房。
堆肥処理業者。
倉庫業者。
南部。
食品加工業者。
乾燥食品工房。
運送業者。
北部。
木工。
金属加工。
水路建設。
それぞれの地域で得意な産業が伸び始めた。
王都が全部を作るのではない。
地域が、それぞれの仕事を担う。
そして内田生活工房は、
『何を作るか』
ではなく、
『どういう品質にするか』
を考える会社になっていった。
ある日。
沙樹は最初の小さな工房を訪れた。
かつて一個の石鹸を作っていた場所だ。
今では、そこから全国へ規格書が送られている。
机の上には新しい書類があった。
『全国生活基盤規格・第一版』
沙樹はページをめくる。
石鹸。
水。
排水。
ごみ。
堆肥。
農業。
食品保存。
物流。
倉庫。
どんどん増えている。
「……大きくなったな」
沙樹は呟いた。
そのとき、工房の若い職人が駆け込んできた。
「沙樹さん!」
「どうしたの?」
「王都から緊急の依頼です!」
「今度は何?」
若者は息を切らしながら、一枚の書類を差し出した。
沙樹が読む。
そこには、
『王国軍の兵站改革について相談したい』
と書かれていた。
「兵站?」
沙樹は眉をひそめた。
「食料保存」
「倉庫」
「物流」
「衛生」
ここまで来れば、軍が興味を持つのも当然だった。
だが。
軍が欲しがっているのは、石鹸でも洗剤でもない。
書類の最後には、こう書かれていた。
『戦時における食料・水・衛生用品の安定供給体制を構築したい』
沙樹は書類を置いた。
「……とうとう軍の物流まで来たか」
内田生活工房が作ってきたのは、生活を便利にする仕組みだった。
しかしその仕組みは、
平時だけでなく、
戦時にも使える。
沙樹は少しだけ不安そうに王国の地図を見つめた。
「これ……下手をすると、国の戦い方そのものが変わるな」
そして翌朝。
王国軍の兵站担当者が、内田生活工房の扉を叩いた。




