■第二十七話 石鹸の規格を国中で統一する
「王国全軍……」
沙樹は軍から届いた手紙を、もう一度読み返した。
一つの部隊から始まった。
普及石鹸。
洗濯洗剤。
足部衛生用品。
それが少しずつ広がり。
ついには。
王国全軍への供給を求められるまでになった。
「……無理じゃない?」
トーマが恐る恐る聞く。
「無理だと思う」
沙樹は即答した。
「うちだけならね」
「ですよね」
「だから」
沙樹は机の上に王国の地図を広げた。
「もっと分業する」
トーマが苦笑する。
「またですか」
「またです」
沙樹は地図を指差した。
王都。
東部。
西部。
南部。
北部。
それぞれに商会とギルドがある。
ならば。
全部を王都から運ぶ必要はない。
「各地域に製造拠点を作る」
「でも、品質は?」
「だから規格を統一する」
沙樹は新しい資料を取り出した。
そこには大きく。
『生活衛生用品・統一規格』
と書かれていた。
「石鹸の大きさ」
「重量」
「洗浄力」
「原料の基準」
「包装」
「保存方法」
「検査方法」
すべてを決める。
「同じ名前の商品なら、どこで作っても同じ品質」
トーマが資料をめくる。
「なるほど……」
「これができれば、王都で全部作る必要がなくなる」
王都では王都の工房。
東部では東部の工房。
西部では西部の工房。
それぞれが同じ規格で製造する。
完成した商品は。
各地の軍施設へ直接納品する。
「運送距離も短くなる」
「雇用も増える」
「原料も地元で調達できる」
「そう」
沙樹は頷いた。
「一つの工房に全部集中させるより、ずっと強い」
数週間後。
王都で大規模な会議が開かれた。
参加したのは。
軍。
商会。
各ギルド。
医師。
薬種商。
そして。
地方の代表者たち。
会議室の中央には、大きな箱が置かれていた。
中身は。
普及石鹸。
洗濯洗剤。
食器洗浄剤。
掃除用品。
軍用足部衛生用品。
沙樹は一つずつ説明していった。
「この商品は、誰か一人の職人の勘だけで作るものではありません」
参加者たちが耳を傾ける。
「原料の基準があります」
「製造工程があります」
「検査があります」
「そして記録があります」
一人のギルド長が質問した。
「そこまで細かく決める必要がありますか?」
「あります」
沙樹は即答した。
「大量生産するからです」
少量なら。
職人の経験で何とかなる。
しかし。
一日に一万個。
十万個。
百万個。
そんな数量を作るなら。
「今日は良かった」
では困る。
昨日と今日。
王都と地方。
ベテランと新人。
誰が作っても。
同じ品質でなければならない。
「規格というのは、職人を信用しないためのものではありません」
沙樹は言った。
「誰が作っても、一定の品質を守れるようにするためのものです」
会場が静かになった。
そして。
最初の規格が承認された。
『普及石鹸・第一規格』
続いて。
『軍用洗濯洗剤・第一規格』
『食器洗浄剤・第一規格』
『軍用足部衛生用品・第一規格』
次々と規格が決まっていく。
それぞれの商品には。
製造者。
製造日。
検査担当者。
製造場所。
などを記録することになった。
「これなら問題が起きても、どこで作ったものか分かります」
沙樹は説明する。
「逆に言えば、問題を隠すこともできません」
商会主たちの顔が少し引きつった。
沙樹は笑った。
「だからこそ信用されます」
その言葉は。
商人たちにも響いた。
品質を保証できる。
それは。
商売になる。
やがて。
認定工房になりたいという商会が増え始めた。
「うちも参加したい!」
「西部でも製造したい!」
「北部の軍施設向けに納品したい!」
「原料供給だけでも参加できますか?」
問い合わせが殺到する。
沙樹は忙しくなった。
ものすごく忙しくなった。
「……私、商品を作りたかっただけなんだけど」
「もう完全に制度を作る人ですね」
トーマが笑う。
「笑い事じゃないよ」
しかし。
そんなある日。
別の手紙が届いた。
差出人は。
王都の学校だった。
『学校でも石鹸を導入したい』
沙樹は目を丸くした。
「学校?」
続いて。
病院。
宿屋。
食堂。
市場。
共同浴場。
さまざまな場所から問い合わせが来始めた。
理由は簡単だった。
軍で衛生管理が改善されている。
その話が町に広がっていた。
「軍で使っている石鹸を学校でも使いたい」
「病院でも衛生用品を統一したい」
「宿屋でも客室清掃に使いたい」
「食堂でも食器洗浄を徹底したい」
沙樹は頭を抱えた。
「……軍だけじゃなくなった」
トーマが答える。
「市場が広がったんですよ」
「分かってる」
「良いことでは?」
「良いことだけど……」
沙樹は注文書の山を見る。
「忙しい」
トーマが笑った。
「でも、売上も増えますよ」
「……それは大事」
沙樹の目が変わった。
「よし」
「切り替えが早いですね」
「商売だからね」
そして。
内田生活工房は新しい計画を立てた。
『生活衛生普及計画』
軍だけではない。
学校。
病院。
宿屋。
飲食店。
一般家庭。
すべてを対象にする。
ただし。
軍用の特殊な製品と。
一般家庭向けの商品は。
分ける。
「軍用と家庭用を同じ扱いにしない」
沙樹は強調した。
「用途が違うから」
家庭では。
安全性。
使いやすさ。
価格。
保存のしやすさ。
軍では。
大量供給。
輸送。
耐久性。
現場での管理。
それぞれ必要な条件が違う。
「だから、商品を増やす」
「また増えるんですか?」
トーマが苦笑する。
「増える」
沙樹は笑った。
「でも、今度は私たちだけで作らない」
新しい商品を設計する。
規格を決める。
商会に製造を依頼する。
ギルドに設備を作ってもらう。
検査する。
販売する。
そして。
また新しい商品を作る。
それが。
内田生活工房の新しい仕事になった。
数か月後。
王国の町では。
小さな変化が起き始めていた。
宿屋の洗面所に。
普及石鹸。
学校の水場に。
普及石鹸。
食堂の厨房に。
食器洗浄剤。
病院の洗浄室に。
衛生用品。
軍施設には。
大量の衛生用品。
以前は「汚れたら洗う」程度だった。
それが
「毎日洗う」
「洗ったら乾かす」
「道具を清潔に保つ」
という考え方に変わっていった。
沙樹は街を歩きながら、その光景を眺めていた。
店先に。
自分が作った石鹸が並んでいる。
学校にも。
病院にも。
軍にも。
そして。
普通の家庭にも。
「……最初は一個一銅だったのに」
トーマが隣で笑う。
「今では国中ですね」
沙樹は頷いた。
だが。
まだ気づいていなかった。
衛生用品が普及したことで。
次に大きく変わろうとしているものがあることを。
それは。
「水」だった。
石鹸が普及すると。
当然。
大量の水が必要になる。
洗濯。
手洗い。
食器洗い。
清掃。
入浴。
足洗い。
そして排水。
沙樹はある日。
町の水場を見て立ち止まった。
「……」
「どうしました?」
トーマが聞く。
沙樹は水を汲む人々を見つめた。
「石鹸だけ配っても駄目だ」
「え?」
「水が汚れたら意味がない」
そして沙樹はゆっくり呟いた。
「次は、水だ」
こうして内田生活工房は
石鹸産業から水と衛生の世界へ
さらに一歩踏み込むことになった。




