■第二十四話 大量注文の正体は、まさかの軍隊だった
「……この注文書、間違ってませんか?」
沙樹は、机の上に置かれた紙を見つめていた。
向かいに座っているのは、王都から来たアルベルトだった。
いつものように商談用の書類を並べている。
ただし、今日は一枚だけ様子がおかしい。
注文数が、明らかにおかしいのだ。
「間違っていません」
アルベルトは苦笑した。
「普及石鹸、三万個です」
「……三万?」
「はい」
「一か月で?」
「一か月で」
沙樹は椅子の背もたれに体を預けた。
これまでにも一万個、二万個という注文はあった。
しかし、三万個となると話が違う。
しかも注文主は一般の商人ではない。
「どこが買うんですか?」
アルベルトは少し声を落とした。
「王国軍です」
「……軍?」
「はい」
沙樹は注文書をもう一度見た。
商品名。
普及石鹸。
数量。
三万個。
納入先。
王国軍補給局。
「軍隊って、石鹸をそんなに使うんですか?」
「むしろ、今まで十分に使えていなかったようです」
「なるほど……」
沙樹は腕を組んだ。
兵士が何千人もいるなら、石鹸を使う量も当然多くなる。
しかも軍隊は、戦うだけが仕事ではない。
長期間の訓練、野営、行軍、宿営。
汗をかき、泥にまみれ、服や靴も汚れる。
衛生状態が悪くなれば、部隊全体の問題になる。
「つまり、生活用品として必要なんですね」
「そういうことです」
アルベルトは頷いた。
「特に最近、野外訓練が増えている部隊から、衛生用品をもっと充実させてほしいという要望が出ているようです」
「だったら、石鹸だけじゃ足りませんね」
沙樹は呟いた。
「洗濯洗剤も必要でしょうし、食器洗剤も……」
「実は」
アルベルトが別の紙を出した。
「こちらも注文候補です」
洗濯洗剤。
一万袋。
食器洗剤。
五千袋。
清掃用洗剤。
三千本。
沙樹は目を丸くした。
「……軍隊って、思った以上に生活用品を使うんですね」
「兵士も人間ですからね」
「それはそうなんですけど」
沙樹は苦笑した。
「なんだか、私の工房が軍隊の生活用品係みたいになってきました」
「実際、そうなるかもしれません」
「やめてください」
即答だった。
アルベルトが笑う。
「冗談です」
「本当にお願いしますよ」
沙樹は注文書を机に置いた。
「三万個なら作れます。ただ、一気に納めるのは難しいです」
「分割納入で構いません」
「何回くらいに?」
「一万個ずつ、三回」
沙樹は少し考えた。
「それなら大丈夫です」
現在、普及石鹸の製造ラインはかなり整っている。
原料の受け入れ。
洗浄。
乾燥。
計量。
混合。
成形。
乾燥。
検品。
包装。
出荷。
以前のように沙樹が一つ一つ確認しなくても、一定品質の製品を作れるようになっている。
「ただし」
沙樹は指を一本立てた。
「軍向けだからといって、特別仕様にはしません」
「ほう?」
「普及石鹸は普及石鹸です。安くて、使いやすくて、品質が安定している。それが一番です」
「なるほど」
「軍隊だから高級品を作る必要はないでしょう」
アルベルトは頷いた。
「確かに、そのほうが大量供給には向いています」
「むしろ問題は包装ですね」
「包装?」
「三万個ですよ」
沙樹は工場の帳簿を開いた。
「一個ずつ包装して、箱詰めして、倉庫に運んで、そこから軍の補給所まで運ぶ」
指で順番を追う。
「製造能力だけじゃなくて、包装能力と倉庫能力と輸送能力が必要です」
「……なるほど」
アルベルトが感心したように頷く。
「もう完全に工場経営者ですね」
「嫌な言い方をしないでください」
沙樹はため息をついた。
昔は、石鹸を作って売れればそれでよかった。
今では違う。
一つの商品を大量に作るだけでも、
原料。
人員。
設備。
包装。
倉庫。
輸送。
販売。
在庫。
全部を考えなければならない。
「トーマとガルドを呼んできます」
「何かありますか?」
「工場をもう一段階、分けます」
「またですか?」
トーマが会議室に入ってくるなり、苦笑した。
「またです」
沙樹は答えた。
「軍から三万個の注文が入りました」
「……三万?」
トーマが固まった。
後ろから入ってきたガルドも目を見開く。
「三万個って、あの石鹸を?」
「そう」
「誰がそんなに使うんだ?」
「王国軍」
「軍隊……」
ガルドは頭を抱えた。
「俺たち、いつの間に軍隊にまで石鹸を納めるようになったんだ?」
「私も知りません」
沙樹は真顔で答えた。
「でも、やることは変わりません」
沙樹は工場の見取り図を広げた。
「普及石鹸専用の製造区画を作ります」
「専用?」
「はい」
これまで複数の商品を同じ工場内で作っていた。
しかし注文量が増えると、切り替え作業が負担になる。
そこで普及石鹸だけを大量に作る区画を別にする。
「原料を入れる場所」
「混ぜる場所」
「成形する場所」
「乾燥させる場所」
「包装する場所」
「完成品を置く場所」
沙樹は順番に指差した。
「流れを一方向にします」
トーマが図面を見る。
「原料が入って、戻らないようにするのか」
「そうです」
「それなら作業員も動きやすい」
「その通りです」
ガルドも頷いた。
「これなら運搬も楽になるな」
「それと、もう一つ」
沙樹は倉庫の横を指した。
「軍向けの商品は、専用の出荷倉庫を作ります」
「そこまで?」
「三万個ですよ」
沙樹は笑った。
「作ったら、すぐ出荷できるとは限りませんから」
三人は顔を見合わせた。
そして翌日。
工場の隣では、早くも新しい建物の工事が始まった。
資材を運ぶ荷車。
石を積む職人。
木材を加工するトーマ。
排水設備を確認するガルド。
作業員たちが忙しく動き回っている。
その様子を見ながら、沙樹は腕を組んだ。
「……道路を直したら、注文が増えて」
「そうですね」
「注文が増えたから、工場を増やして」
「はい」
「工場を増やしたら、倉庫が必要になって」
「そうですね」
「倉庫を作ったら、また道路が必要になりそう」
トーマが笑った。
「そのうち町そのものを作ることになるんじゃないですか?」
「それだけは嫌です」
沙樹は即答した。
「私は静かに暮らしたいんです」
しかし。
その日の夕方。
さらに一台の馬車が工房の前に止まった。
降りてきたのは、見慣れない制服姿の男だった。
男は工房の看板を確認すると、受付で告げた。
「内田生活工房の責任者に会いたい」
「どちら様でしょうか?」
「王国軍補給局の者です」
沙樹が出ていくと、男は一礼した。
「先ほどの三万個の件ですが」
「はい」
「実は、もう一つ相談があります」
沙樹は嫌な予感がした。
「……何でしょう?」
男は真剣な顔で答えた。
「兵士たちから、衛生用品について別の要望が出ています」
沙樹は黙った。
そして小さく呟いた。
「……石鹸だけでは終わらないと思ってました」
軍隊からの注文は、まだ始まったばかりだった。




