第86話 いるじゃない!
その翌日。わたしたちは何日か振りに「玄奥の森」に入っていた。幸い「赤い棘」を救援した時のような緊張感は森に漂っていなかった。木々の騒めきも聞こえるし、いつもの甲高い鳥の鳴き声も煩いくらい。背中側の羽毛に茶色の縞が入った薄萌黄色の小鳥だ。「絹色鳥」というらしい。
黄緑色の鳥なのに何故、絹色?と思ったけれど、この世界のシルクである弾絹が薄萌黄色の繭を作るからだろう、とショウが教えてくれた。離れに戻ったらわたしも「博物大事典」で確認してみよう。そう言えば、下着を注文するときも黄色っぽい生地の「紗」があったかな。
昨日はモモがカランサさんとの砂魔術訓練から帰ってきた後に神殿を辞した。まだ時間があったので急いで北門の外に赴いて治療仕事を熟した。この日からは北門の浅層に入った魔物狩がいたから。そして彼らの話では中層の魔物には出会わなかったそうなので、今日から森に入ることに決めたのだった。
モモは得るところが多かったらしく、わたしが目配せしたのに気付かず仕舞いだった。彼女は素直に第三段階の砂魔術士だということを告げて、第五段階であるカランサさんに触れながら高段階の砂魔術を発動してもらったり、逆にカランサさんに触れられながら第四段階【礫盾】を試みたりしたそう。
「不思議な感覚だったの。カランサさんが魔力で何をしようとしているのか分かったし。自分独りで【礫盾】を出そうと試すよりも、ずっと早く発動できるようになりそう。カランサさんにも私の肩に手を置いてもらって【石弾】を撃ったけど、お手本のようだね、って褒めてもらっちゃった」
わたしたちのスキルは恒神様に設定していただいているからね。本当にお手本のように、教科書に書いてあるように、発動できる状態にしてくれているのだろうな。それにしても魔術士が傍にいないと訓練も儘ならないのね。全員魔法を使える森人と百人にひとりの普人とでは、数字以上の質の差が開くだろう。
そうそう、やはり「杖使い」は普人が使う名称だった。全員魔法を使える森人が自らを「杖使い」と称する筈が無いからね。森人は第三段階から一人前扱いで「魔術士」と呼んで区別する。ただし恩寵持ちは第一段階でも魔術士扱い。魔術士服も、光と時空使いは第一から着用する。
そして四魔術第二段階の中でも【火矢】に限っては攻撃魔法として使えるので(他は小鬼を一発で倒せない)、火使いは第二でも魔術士服を着るし魔術士と呼ばれる。わたしたちにとってはこの辺りの事情が自明ではないので、言語対照と【魔法学】の知識の齟齬となり、首を傾げることになったのだった。
ショウがお風呂に入っている間の相談タイムで、わたしは「光匠の技」の内容をモモに告げた。モモは目に涙を浮かべつつ、その美しくも可愛い顔に決意を漲らせて「私に任せて。ショウを前線に出したりしないから」と言ってくれた。気のせいか、この時も彼女の目が妖しく光った気がした。
その晩。三人で二階の控え間のソファを担いで階下の応接スペースに降ろした。寝具なども降ろす。この世界のソファは三人掛けが基本なのか、組合の応接間のソファとも同じくらいの大きさだ。座面の長さが約2mで奥行きも約50cmあるので、応接スペースのソファと向かい合わせればベッドになった。
わたしは独り、階下のソファベッドで夜を過ごした。石壁は厚いのに音が伝わってきた。最初は耳を塞いだものの、途中からは耳を澄ましてしまった。静かになってからは二階に上がりたくて仕方が無かったけれど、それ以上に怖かったので我慢した。二階に上がって、分かってしまったら居た堪れないもの。
結局、なかなか寝付かれずに悶々とした夜を過ごすことになった。寂しかった。切なかった。怖かった。モモ、最初の頃にショウと別室で泊まろうなんて言ってしまって、ごめんね。それはそれとして。約束したからね? 信じているからね? ショウを独占して、抱き締めてもらうだけよね?
翌朝は早く目が覚めた。そっと階段を上がって扉を開けた。ショウは起きていて、まだ寝入っているモモを優しくその胸に抱いていた。心臓が飛び跳ねたけれど、彼は穏やかな深紫の瞳を真っ直ぐに向けてくれた。ほっとした。わたしには分かったから。目を覚ましたモモの表情は、複雑すぎて読み取れなかった。
さて、「玄奥の森」での狩りに集中しないとね。今のところ【探知】には何も反応が無い。モモも頑張って角耳を欹てているけれど、何も感じないみたい。今日は外れかな、と思い始めたところで、絹色鳥の鳴き声が途絶えていることに気が付いた。三人で目顔を交わす。ひょっとして……。
「反応、あるね。これは貝肌鬼ではないかな。幸い1頭だけだ」
「いるじゃない! どうする?」
「同時に跳小鬼の群れに突っ込まれなければ、大丈夫だと思う。貝肌鬼は魔石と魔角だけだから、解体にも時間を取られないし。狩ってみようよ」
「そうだね。僕は【探知】に集中して、討伐は二人に任せてもいいかな?」
「分かった。モモ、何を使って倒そうか?」
「リカの【火球】二発で上半身が弾けたよね。一発でも倒せるのかな?」
「鎧皮を一発で抜ければね。【火矢】は、まず鎧皮を飛ばして、次に急所の肉を貫けば倒せた。方向をコントロールできるわたしの【火矢】ならね」
「私の【石弾】を先に当ててみてもいい?」
「そうね。試していないものね」
方針は定まった。魔物は嗅覚にはあまり頼らないらしいけれど、ショウが【操風】で、こちらが風下になるように周りの空気を動かす。優しい風が頬を撫でてくれた。ザワザワと草を掻き分ける騒音が近付き、拗くれた木々をバキバキと押し開けるように大柄な魔物が顔を覗かせる。貝肌鬼だ!
「ボオオオ!」
雄叫びを上げた二本足の犀もどきは、ドスドスと地面を踏み鳴らすように太い脚を動かし、一直線に迫って来る。
バキャッ!
「ブオワッ!」
モモの【石弾】が貝肌鬼の顔を狙ったものの、魔物は咄嗟に腕をクロスして防ぐ。【石弾】は硬い鎧皮を打ち砕いたけれど、そのまま四散して消え失せた。
「オオオオオ!」
怒りに燃える咆哮とともに貝肌鬼が左腕を振り回した。右腕は【石弾】で傷ついたのだろう、庇うようにお腹の前に添えたまま。そして無防備に体を開いた魔物の首筋に次弾が撃ち込まれ、鎧皮の欠片と鮮血が飛び散る。
「グゲ! ゲッ……ゲフ……」
ドウッと音を立てて貝肌鬼が膝を突く。左腕で喉を抑えながら暗黒の眼でこちらを睨みつけてくるものの、もはや立ち上がれないらしい。わたしはモモに促されて【火球】を撃ち込んだ。左腕が吹き飛んだけれど、止めは刺せなかった。それでも魔物は暫くすると轟音を立てて俯せに崩れ落ちた。
「これは魔法が使えないと厳しいね。魔法だってブロックしてくるものね」
「杖無しの【火球】【石弾】の通り具合も、確かめた方がいいかも」
「そうだね。僕の投剣は、眼に「移動」させれば或いは、かな?」
わたしが貝肌鬼の後頭部から(大後頭孔のあたりは鎧皮がないので、抉じ開けることができる)直系2cmの中型魔石を取り出している間に、モモは剣で鎧皮の上から切りつけてみたのだ。【剣術:第五段階】の腕前と獣人の【剛力:第一段階】の膂力をもってしても、一撃では鎧皮を何とか突破できるだけだった。
「魔角が10本もあるから魔力の動きに敏感で、魔法をブロックされるのかな」
「そうだと思う。魔物にしてみれば、魔角は魔力感知器官だろうからね」
「龍鬼も、魔角がたくさんあるのよね?」
「顎の周りの鰓みたいな突起に魔角が並んでいるらしいから。それが龍っぽいから「龍鬼」と翻訳されたのだろうね」
「四魔術がほぼ通らない、最凶の魔物なのよね」
その後、跳小鬼の叫び声が聞こえてきたので無理をせずに引き上げることにした。帰りには牛頭鬼に遭遇した。貝肌鬼に一掃された訳ではないらしい。魔石は貝肌鬼の方が大きいけれど、お肉があるぶん、トータルでは牛肌鬼の方が稼げる。今日の成果は貝肌鬼と牛頭鬼が1頭ずつに小鬼が数匹。銀貨50枚ほどだった。
組合の出張所で貝肌鬼に出会ったことを報告すると、ガタイの良いウールさんは驚いていた。わたしたちだけだったらしい。この日は朝夕と軽く治療仕事を熟したし、本町の支部で二度目の神殿報酬(今回は銀貨50枚)もいただけたので、金貨1枚分以上は稼げた。そして明日もリナリア様からの依頼が入っていた。
その晩。わたしとショウが二人で過ごす番。わたしは……わたしの所為。「光匠の技」の件があって尚、わたしは踏み出せなかった。モモも、そしてショウも、わたしが決心するのを待ち望んでいるのに。でも、怖いの。怖くて堪らないの。明日はモモと、話さなければ……。




