第85話 匠の技(たくみのわざ)の書
お昼を済ませた三人は神殿宿舎を訪ねた。コルノさんとカランサさんが出迎えてくれて、カランサさんは同じ砂魔術士として訓練しようか、と言ってモモを西門の外へと連れ出した。わたしとショウは宿舎の応接間で、念願の「火匠の技」と「光匠の技」を読ませていただくことに。両書は作りが違っていた。
「火匠」の方は書店に並んでいた製本の豪華版だった。植物繊維の紙に活版印刷されているのは同じだけれど、革表紙には金箔でアステリデ家の紋章が掘られている。それに対して「光匠」は更に贅沢に紋様が施された重厚な装幀で、中身も羊皮紙。しかも全て手書きの金文字だったのだ。
(光と時空の専門書は、書店で売っているものでは無いことは確定だね)
(うん。書店に在庫があるかどうか聞かなくて正解ね。ショウ、有難う)
二人で顔を寄せ合って声を潜めた。それこそ神殿に特別注文するような書物なのだろう。それもお金さえ出せば書写してくれるようなものでは無くて、様々な条件が要りそうな気がする。
さて、わたしは「火匠の技」を読んでいる。最も知りたかったこと……ショウが見出した「魔法は目標地点に向けて飛ばしているのではなく、目標地点に移動させているから、段階が上がれば、ある程度は方向を変えることができる」という知見については触れられていなかった。
それよりも、わたしは火魔術の働き方について少し誤解していたらしい。というか【魔法学:第二段階】、恐らくは「魔法概論」「魔法全集」を読んでいるという知識水準には含まれていなかったから、仕方が無かったと思うけれど。火魔術は、他の三種類の属性魔術とは少し趣が異なる魔法だった。
資料室の「神の御業」でも触れられていたけれど、火魔術こそが魔法の原点だった。何しろ森人の言葉で魔術は「アルス」すなわち「技」で、古くは火魔術だけが「プリマルス」すなわち「始原の技」だったのだ。現在では四魔術を「プリマルス」と呼ぶようになったため、火魔術は「イグニサルス」だ。
上古には魔術の段階も第五までだったという「神の御業」の記述は真の実である、と書いてあった。そして他の属性魔術は、既存の水や砂や空気の位置や性質を変えたり、魔素を水や砂や空気に変換したりすることが多いけれど、火魔術は魔素そのものを弄ることで魔法を発現させるのが基本なのだ。
例えば魔素を集めて熱すると「燃素」を刺激して【火種】になり、【火種】に力を与えて動かすと【火矢】になり、【火球】は更に圧力を加えるから元に戻ろうとして爆発力が生じる、と明記していた。「魔法概論」は「祈祷せよ」「思い浮かべよ」だったのに。火魔術は、魔素に熱や運動エネルギーを与えるということよね? 無論のこと火魔術も、既存の火を変化させること自体は可能だ。
そして火魔術は、砂魔術とだけ昇華魔術を作れる。両方とも第三段階だと溶岩魔術を発動し得る。最初は【熱砂】を出せるだけ。第四だと【溶岩魔矢】、第五だと【溶岩魔弾】。でも普人だと八割が、森人でも半数が第二止まりの上に、複数魔法素質持ちも少ない。難しい昇華魔術を発動できる者は更に限られる。
わたしたちが転生したときのキャラメイクで実現しようと思ったら……森人だと種族に20ポイント、素質に5ポイント、レベル3に20ポイントずつで計65ポイント。普人だと素質に25ポイントだから同じく65ポイントか。昇華魔術の取得条件は別にあるかもしれないけれど、同級生にいるかもね。
幸いコルノさんは「二階に居りますので御用の際はお声掛けください」と席を外してくれたので、わたしは興奮気味にショウに内容を説明した。紫の瞳を興味深そうに輝かせて「言葉の変遷まで記されているということは、水や風や砂が恩寵として授けられたのは歴史時代ということかも」と推測していた。
でもわたしの目は誤魔化されない。転生前から、あなたのことはよく見てきたもの。あとほんの一歩の仲になっているけれど、そういう関係でなくともと……言うべきかどうか迷っているのことくらい、分かるもの。「光匠の技」に、わたしとモモを不安にさせることが書いてあったに違いない。
「ね、ショウ。「光匠の技」はどうだった?」
「医学的な内容は乏しかった。医学面は、初級の「観臓図誌」と中級の「傷病集解上下」の次は各論の書物を読むべし、ということらしい。尤もこの世界の医学水準では、各論と言っても固有名詞とか風土病とかを知ることができれば足りるだろうから、後回しでもいいかな。それよりも……」
「高段階に達する条件が重要かも。「恩寵深き者」だけが第六以上の大神官に達することができて、大神官は「尊厳なる者」であることが多い。光と時空の両素質持ちがグラティオススで、アスグストゥスはその中でも有能な者かな」
紫の瞳が、いつもの思索に染まりつつ言葉が続く。
「そして尊神官は『殊に恒神様の寵愛を受けし類花なき僕』で具体的な記述がないけど。更に有能な者なのか、宗教上の何らかの条件でもあるのか……」
「これはリナリア様に確認する訳にはいかないよね。それから?」
「初日にね、光魔術の真面な情報は第七段階まで、時空は第五段階までだったのを疑問に思ったよね。これは、それぞれ普人がその段階までしか到達できないという理由が大きいらしい。それ以上の高位魔術の詳細な情報は、森人が…帝国上層部も…独占しているのだろうね」
「それで「光匠の技」が手書きの写本なのね。「時空匠」も同じよね。あとは?」
「大昔は、四魔術は第五段階までというのは「火匠」にも書いてあった?」
「うん。理由には触れられていなかったけれど」
「同じか。光魔術を恩寵として授けられたときに、四魔術も第七段階まで使えるようになった。時空魔術を授けられたときに第十段階。その理由は恐らく「神の御業」の通りなのだろうね」
「蛟鬼や龍鬼を確実に倒せる魔法の解禁ということね。それから?」
「……戦闘用の魔法の解説。「英傑の勲功」で触れられていた通り、光の上位段階には【聖武器】や【聖珠】等があるからね。そうそう、火の第六段階【魔素弾】は【火球】の上位互換だってリカに聞いていたけど」
「第六は、自分の魔力だけでなく空気中の魔素も併せて利用するって。しかも魔素を燃やさずにね。「邪な念を捨て純と成し火なる魔素を纏めつつその道を啓き導くべし」。これって、純心に恒神様を敬いなさいってこと?」
「光魔術は魔素を「聖精素」に変換して操る技だ、と明記されていたけど、【聖珠】も「火なる魔素」が「聖なる魔素」になるだけで殆ど同じ記述だよ。但し「神職として徳を積み恒神様の恩寵を心から願うべし」が付いてくる。本当に宗教心が必須だとすると、僕たちには不利かもね」
「恒神様への感謝を忘れたことは無いつもりだけれど」
「僕も同じだ。恒神様の匙加減次第なのだろうな。でも魔法の光は、光そのものというよりは質量を持つ粒子ではと感じていたけど、それこそが「聖精素」だとすると、強ち間違いでは無かったのかもしれない」
「火魔素と聖精素の違いが、【魔素弾】と【聖珠】の威力の違いになるの?」
「……「英傑の勲功」の通りにね。蛟鬼には前者も何とか通るけど、龍鬼には後者が必要だ。つまり優秀な光魔術士は、前線に出て戦うものらしい」
いやよ! あなたを蛟龍退治になんて! だって「英傑の勲功」は……わたしは衝撃に打ちのめされた。この世界、歴史と物語にはどれほどの違いがあるのだろうか。事実と創作にはどれほどの違いが。「英傑」たちは、その殆ど全員が身を投げ出して……いやよ! 絶対に、いや!
そして、わたしは更なる恐怖に襲われる。時空魔術は? 時空魔術士は? 光魔術と同じだ。いえ、それどころか、文字通り人類の切り札なのだ。あなたはどちらも使える。使えてしまう!
「いやよ! あなたを蛟龍退治になんて、絶対に行かせないから!」
わたしは気が付くとショウの胸に飛び込んでいた。ああ、それなのに優しく抱き締めてくれる深紫の瞳が微かに泳いでいる。これ以外にもあるのね?
「ショウ。他には? 他には何があるの? 教えて!」
「…………光の技はね。失神できるのが特徴だった」
「え? なに? どういうこと?」
「リカも、モモも、魔力が減ってくると魔法を使えなくなるよね」
そうだ。疑問に思っていた。体感で七割くらい使ったかな、という時点で、もう魔法を使えなくなる。いえ、使いたくなくなる。気力が尽きてしまうから。それなのにあなたは、二度も昏倒するまで魔術を操れた。あなたの精神力の強さかと思っていたけれど。違うのね? そもそもそれが恩寵魔術の特徴?
「気を付ければいいことだから、大した問題ではないよ」
嘘よ。ナナさんは何故、あなたが気絶することをあれほど恐れたの? 昏倒したあなたを葬儀の翌日まで気にかけてくれたの?
「ショウ。教えて。わたし、あなたの……あなたの……」
ああ、そんな。まだ、わたしはあなたの妻だから、と言えない! こ、こんなことなら……でも、少なくとも恋人だから……。
「……恩寵魔術は四魔術よりも魔力を多く消費する。恒神様からするとね。新たに恩寵魔術を人類に授けるために、その強力な技を使えるようにするために「リミッターを外した」ということなのだろうね」
ショウが極めて平静に言う。平静だ。わたしは紫の瞳を見詰める。嘘も迷いもない。ない、と思う。思うけれど……ああ、もしも、もっと深い関係になっていたら、あなたの心の奥底まで見通せたのだろうか?
「大丈夫。気絶するまで使わないようにすればいいだけだからね」
そうよね。そうと決まっている。あなたはいつも間違えないもの!
「僕もね。蛟龍退治に出るような柄ではないから。大丈夫。能力を隠して静かに生きていこう。地球の医学知識で人々を治療するだけでも、この世界に貢献できて、恒神様に御恩返しができると思う」
「うん。絶対だからね。モモもいるからね。いざと言う時には、モモに縛ってもらうから。覚悟してよ?」
「う~ん、本当に簀巻きにでもされそうで怖いな……」
「うふふ、そうね」
ショウの美しい笑顔に引き込まれて、わたしも顔を綻ばせた。時空魔術を使えることは、今までにも増して隠さないと。モモともよく話し合っておこう。
※次回の更新は5/31(土)を予定しています




