ウィラルテの神話:その伍 オルサの物語
「父様、ひどい! ソンコス様は、そのような御方ではありません!」
「まあ聞け。勇ましき猫、シンキヤイミキよ。森人との間に子が産まれた例は、五指にも満たぬのだぞ?」
「で、でも。あたしは、心根からソンコス様をお慕いしているの!」
「愚かな。そなたの美貌であれば、若き角を選び放題であろうに」
簡単に許しは出ぬとは思っていた。でも、丸一年もお仕えしてきたのだ。最初は偶然だった。我が血族が星辰の貴家の護衛に赴く道すがら、供の者たちも荷物さえ失い、呆然と道端に座っていらしたソンコス様に行き合ったのだった。ああ、不安に苛まれながらも向けられた笑顔の、あの紫瞳の輝きを忘れたことは無い。
干肉が積まれた天幕に押し込まれたあたしは泣いていた。子を儲けられぬことを幸いに、おまえを娼として弄んでいるだけだ、なんて。ソンコス様ほどお優しい森人はいらっしゃらないのに。そして、ソンコス様ほどお寂しい方も。何しろ、お家の全ての方々を亡くされてしまったのだから。
泣き咽びながらも眠りに落ちてしまったらしい。天幕が切り開かれる音に気付き、あたしは飛び起きた。まさか、ソンコス様が? か、母様。どうして、ここに? 母様は黙って綱を切ってくれた。
(静かになさい。父上も、戦士たちも眠っています。夜番もね。今宵は何故か、酒精が強かったようですからね)
(まさか、母様……)
(ふふ。風向きには気を付けなさい)
飛び出そうとして、振り返った。再び母様と会うことは叶うのだろうか。
(母様。あ、あたし……あたしは……)
(わたしも、あの人を追って血族を渡りましたからね。お前の気持ちが分かります。満月の光が導いてくれましょう)
(……で、でも)
(ソンコス様も解き放たれていますよ。弟に感謝なさい)
(!! ああ、母様! 神よ!)
(さあ、急いで。神よ!)
あたしは白き月の光を頼りに天幕を抜けた。静まり返った野営地を抜け、後ろを何度も確かめつつ、待ち合わせ場と示された追分へと達した。あの影は!
(ソンコス様!)
(オルサ。某の愛しき猫。そなたは本当に良いのか?)
あたしは返事の代わりに愛しき紫の君の胸元に飛び込んだ。
(あたしの真名には猫が含まれておりますが。獣人は猫ではないのですよ?)
(許せ。我が家では珍しき猫を飼っておって、な。この可愛らしき猫が人の娘であったなら、と夢想したものだ)
(そのお話は、何度も聞きました!)
猫に猫と名付けるなんて。可愛らしいのはソンコス様ですよ?
(そなたに出会って、やはりここは夢幻の地か、と得心したものだ)
(ソンコス様。くれぐれも他の獣人の前では)
(相済まぬ。しかし、そなたの呼び名は……)
(偶然とはいえ、後で知った時は内心、困ったのですよ)
(呼び名を変えるか?)
(いえ。オルサとお呼びください)
そうなのだ。あたしは森人からオルサと呼ばれている。只の呼び名だから言われるままに受け入れた。でもオルサとは、白い花から左右に細い髭のように雌蕊と雄蕊が出ている「猫髭」という植物のことだったのだ。あたしは軽く角耳を撫でていただくと、心を引き締めて気配を探り、手を取り合って道を急いだ。
その後の旅は苦しくも楽しかった。ソンコス様は才ある方だ。独特の剣技をお持ちだし、肆の技すべてを操られるのだから。但し一族の扶けに頼ることができない。天涯孤独の身であったから。それでも牛頭鬼の群れを討伐した勲により、星辰の督役の元に仕官することができた。
そして忘れもせぬ、あの夏の日。月のものが巡らず食が喉を通らなくなったあたしを見て、病を得たかと心配したソンコス様は、引き摺るようにして神官様の元に連れていってくださったのだ。
「身籠りなさっておりますよ」
「な、なんと!」
「あ、あたしが? まさか!」
「私も信じられません。直ちに督役様に」
督役様の次は覡王様だった。ソンコス様と共に星辰の館の奥深くに住まうことになり、大神官たる巫后様が御手ずから診ていただけることになった。天にも昇る嬉しさと神様に感謝を捧げたのに、ソンコス様の面は優れなかった。
「某が……これは許されることなのか……」
「あなた? 何か障りがあるのですか?」
「軽言であった。某が父親に、などと思うと不安なのだ。許せ」
あっと言う間に月が満ち、無事に娘が生まれた。角耳を持ちながら栗色の毛色は薄く、瞳の中には確かに紫が混じっていた。何より美しい赤子だった。便りを絶っていた父様や母様も、喜んで星辰家と和解し、孫娘に会いにきてくれた。我が血族は、以前のように護衛の任も受けるようになった。
「ふふ。赤子が産まれるだけでも恒神様の御恵ですのに。ソンコス様、技の才までありそうな瞳ですよね?」
「オルサよ。言霊という謂があるのだぞ。滅多なことを言うものではない」
「ソンコス。或いはこれこそが、そなたの」
「巫后様。お戯れを。某は、そのような者では」
愛しの夫と巫后様は、何故か対照的な表情を交わし合っていた。理由を尋ねても口を濁すばかりだった。
あたしの言葉は真の花となってしまった。手を焼く程に元気に育った愛娘は、十歳の儀を済ませた直後に、火の基本陣を光らせてしまったのだ。慌てて火の魔匠士様がやってきて娘に杖を渡し、肩に触れて【火種】を発動した。ああ、娘が握り締める杖から種火が! 神よ! ト・アペイロン!
「間違いない。火の才が開きましたぞ! 直ちに覡王様と巫后様に!」
「オルサよ。そなたの手柄だ」
「何を仰いますか。ソンコス様の才が伝わったのですよ?」
「……オルサ。そなたも。そなたは……」
美しき猫と呼んでいた娘には真名が付けられることになった。父様や母様とも相談して決めたその名はカリャクティカ。「始まりの花」だ。我が娘は始原の獣魔戦士となったのだから。誰もが知る獣人となった。その活躍は無論のこと、星辰の御世継ぎのセルウァとなり、その息子もまた獣魔戦士だったから。
旅先で何度も花粉を吸った。そう。娘が無事セルウァになったあと、反対を押し切ってソンコス様と二人で旅立ったのだ。普人地域を彷徨うことが多かったけど、獣人地域にも足を運んだ。血族の長となった弟の手助けをすることもあった。そして月日は遥平原を渡る逞風の如く通り過ぎて行った。
「オルサよ。いや、シンキヤイミキ。体の具合は如何か?」
「老いた獣人女を世話する森人など、ソンコス様だけですよ?」
「そなたは、まだまだ可愛いぞ。愛しのミキよ」
「ふふ。お戯れを。もうソンコス様を護ることも適いません」
「某がそなたを護る番となったに過ぎぬ。ミキ、斯様に嬉しいことは無い。今が我が生で一番の幸せ時ぞ?」
「ああ、あなた……」
艶を失った角耳を撫でてくれるソンコス様のお手は優しかった。この数十年で森人と夫婦となった獣人も増えた。でも、獣魔戦士は二人の血筋以外には生まれなかった。そも、子を為すことが稀だったから。或いは……そう。ソンコス様とあたしだけが特別なのかもしれない。最初に出会ったときから、心のどこかで……。
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オルサの死を彼女の血族に知らせに来った後のソンコス様については知られておりません。哀しみのあまり銀髪となりしソンコス様は、「丁度良きことよ」と呟き銀人の地を目指し旅立ったとも、或いは遥平原の「闇昏の森」に消えていったとも伝えられているのでございます。ト・アペイロン!




