第83話 受け取り
北門で治療してから組合へ向かい、神殿報酬を受け取った。金貨1枚。予想より多い。クンディ様からは昨日の偵察隊の様子も聞けた。丸一日掛けて「玄奥の森」の浅層を探索した結果、中層の魔物は跳小鬼の群れを殲滅しただけで貝肌鬼には出会わなかったらしい。本格的な討伐は行わない方針とのこと。良かった……。
ホスタさんからは「昼刻前ならば何時」と言われていたけれど、さすがにまだ早いと思う。この世界は夜明けとともに活動開始だから昼前が長い。それなのに昼食は軽めなのよね。食べない人も多い。そこでモモの強い要望もあって、先に「登仙楼」で注文した下着を受け取ってから神殿に向かうことになった。
「リカ様、モモ様、出来上がっていますよ!」
スイヤさんに笑顔で迎えられ、奥へ通されて着替える。ショウは表でブロストマ姐さまのお相手。製作途中でも試着はしているから、サイズは合っている。そして弾絹の透ける生地である「紗」を使っていることは重々、承知しているものの……これを着るの? この恰好で、か、彼の前に?
「「……………」」
「素晴らしい! お二人以外にはとても着熟せません! これならショウ様も何度でも……失礼しました」
スイヤさんが専門用語を口走りかけた。この下着を発案したモモも、角耳まで真っ赤になっている。わたしも体温を測りたいくらいだ。
「ショウ様をお呼びしますね?」
「いえ、結構です!!」
わたしは慌ててスイヤさんに食い気味に被せた。
(モ、モモ。ショウに披露するのは、後々のお楽しみよね? 着替えよう?)
(リカ。披露するのは今晩で。い、い、よ、ね?)
わたしは明白に狼狽した。だってモモの「いい」という意味は……。
(モ、モモ。今晩は、まだ。お願い! 恥ずかしいの)
(………そう。私も実は、あなたに見られるのが恥ずかしかったの。だから今晩はショウと私だけで過ごさせて?)
心臓が跳ねる。まさかモモは。いえ、モモは兎も角ショウは……。
(あら、リカ。抱き締めてもらうだけよ? ショウを信頼しているでしょ。もちろん明晩は、リカがショウと二人でゆっくり過ごしてね)
(そ、それは、その。でも……)
(ああ、控え間のソファを一階の応接間に降ろして二つ繋げれば、ベッドになると思うから。マットレスも下に)
月止薬を飲み始めてから二週を超えた。効果が完全に発揮される六日を過ぎてから日々、強くなるモモのプレッシャーを下着が仕上がるまで、と延ばしてきたのだ。またひとつ、引き延ばす理由が無くなった。でも、わたしは怖いの。心からショウを愛していて、そして愛されているからこそ、怖いの!
「リカ。ショウを信じて。ご挨拶しながら抱き締めてもらうだけだからね?」
「……うん……」
引け目を感じているわたしは、モモがショウと二人で過ごしたいという要求を呑むしかなかった。彼女の目が妖しく光った気がする。わたしは判断を間違ってしまったのだろうか。でも、断ることはできなかったもの。
「ああ「匠の技」でございますか。神殿の蔵書はお見せできませんが、わたくしの私物があります。宿舎内でお読みいただけるのであれば構いません。カランサ?」
「はい、姫様。後ほど宿舎の応接室に用意しておきます」
三人目の従者であるカランサさんが元気よく答える。
悶々とした気分を抱えつつ神殿を訪れると、予想通りホスタさんとコルノさんがモモに「手合わせを願いたい」と申し出て、三人で西門の外に向かった。わたしとショウは笑顔で見送った後、リナリア様に専門書を読ませていただけないか頼んだのだ。「光匠の技」の他、四魔術の同書も全てお持ちとのこと。
カランサさんは陽気な魔術士だった。年の頃は三十代半ば? 豊かな赤毛を後ろで纏めた、文字通りの美魔女だ。特に隠すでもなく砂の魔匠士で魔具も扱えると教えてくれた。魔術は第五か第六段階ということね。わたしの能力についても気軽な感じで聞いてくる。困った。教えて貰った手前、隠すのも……。
「……火魔術はそれなりに得意です。魔具術と薬術も勉強しております」
「いや、すまないね。探ろうって訳じゃない。その若さで副官を任せられるとは、吃驚ものだと思ってね」
「カランサ。不躾な質問は控えるよう、お願いしますよ?」
リナリア様がショウに軽く頭を下げ、わたしには優しい笑顔を向けてくれる。
「ショウ様、申し訳も立ちません」
カランサさんが彼に頭を下げて交差した手を胸に当てる森人礼をする。
「いえ、お気になさらぬよう」
ショウがリナリア様に軽く頭を下げる。わたしは魔具術については正直にカランサさんに告げながら(彼女は「復調」魔具まで扱えるそうだから第四段階だ)やはり貴族は従者には、つまり平民にはそう簡単に頭を下げたりしないのね、ショウが驚かれる筈よね、などと考えを巡らせていた。
今日も神官であるボンデ師はご不在だった。先日と同じく「玄奥の森」の魔物増加の件で、代官屋敷に出向いて協議しているらしい。ショウはリナリア様と共に医学談義を交わしながら患者さんを診ていった。
「……見えざる魔物でございますか」
「はい。流り病の原因は、見えぬ程の小さな無数の魔物どもの仕業なのです。そして我らの体内には無数の「見えざる使徒」が御座し「見えざる魔物」と闘っているのです。その戦の結果として病が生じます」
リナリア様に微生物感染説を説明しようとしているものの、難航している。
「癘素は臭気を放ったり濁ったりしている空気や水や土に含まれ、青光で消えるとされていますが。悪疫の際には、いくら体表面に青光を当てようとも、また清浄な空気や水や土のみに触れていても、人の中で病の元が増えたかのように、人を起点として速やかに周囲に病を拡げてしまうのではございませんか?」
「左様でございますね。しかし空気や水や土に全て青光を当てることは適いませぬから。隠れた場所に癘素が潜み、それに触れまして病を引き起こすのでは」
「逆に青光の魔具に頼らずとも、人との交わりのない孤立した村に流り病が至らぬこともあるのでは?」
「その村に、たまさか癘素が無かったものと考えては……」
「病の原因を生き物としますと、偶然に頼らずに説明できます。「見えざる使徒」が劣勢になり「見えざる魔物」が増えますと、体に溢れます。咳、呼気、吐瀉物などに無数に含まれるのです。それらを介しまして病が他人に渡るのです」
「信心が足りぬと、癘素が体内の魔素を癘素に変じるとされておりますが」
「癘素が悪い魔素としますと、人の正邪に関わらず病を発することと、矛盾するのではございませんか」
「……確かに。神職の者でも病に倒れたり、逆に山野に隠れ潜む賊どもが難を逃れたりすることには、わたくしも疑問に感じておりました。体内で病の元が増えるように見えますことは、信心に関わらず、生き物である魔物が増えし故、とした方が首肯できるかもしれません」
「生き物とすれば、青光以外でも病を防ぎうることも説明できます。水は沸騰させることで清潔になりますが、これは熱で生き物である魔物が減しますが故です」
「つまり、熱以外にも空気や餌を断つなどで、生き物である「見えざる魔物」を減らす手立てが肝要である、と」
「その通りでございます。何よりもまず手洗いです。水で洗い流すだけでも魔物が減ります。無論、青光を当てねば魔物を全て滅すことは適いませんが、手洗いにより青の技の魔力を節約することができます」
「魔力の節約は肝要でございますからね」
「魔物と使徒の戦の趨勢が明らかになるには時間が掛かります。その間に動き回ることで病を拡げてしまうのです。また流り病の際、同じように癘素に触れている筈なのに全員が病に倒れる訳ではありませんし、病の重軽があります。各人で異なる体内の戦の結果と考える方が、うまく説明できるのではないでしょうか」
「なるほど。流行り病を防ぐという観点からしますと対処が大きく変わりますね」
「はい。まずは生き物が原因である、という点に留意するだけでも……」
確か地球でも、医者が手術前に手を洗うことさえ19世紀まで行われていなかったのよね。この世界も病原体そのものは未発見だし、青光さえ当てれば意外と事足りてしまうから。でも普通の人は青光の魔具に囲まれて暮らす訳にはいかないし、手洗いの習慣を普及させることは大変に重要だろう。
それにしてもリナリア様は強敵だった。でもそれは神官補様の聡明さの裏返しだということもよく理解できた。微生物感染説には必ずしも納得された訳ではなさそう? いえ、寧ろ理解された上で、敢えて疑問点をぶつけることで、お考えを整理して、心から受け入れようとされていると感じられた。
わたしたちは午前中でひと先ず神殿を辞した。魔力回復の時間も必要だしね。リナリア様は「昼刻後は神官様と協議の要があります故、ご一緒できませんが、宿舎にて「匠の技」をご自由にお読みください」と言ってくださった。有難く申し出を受け、離れに戻ってお昼をいただいてから再訪することになった。
そうすることにした一番の理由は、手合わせから戻ってきたモモが何か話したくて疼々していたからだ。
「ねえ、ショウ、リカ。良いニュースと悪いニュース、どちらから聞きたい?」
モモは離れの扉を潜るや否や情熱的な「おかえり」のご挨拶をしたあと、満面の笑みで尋ねてきた。こ、これはいわゆる「一生のうちで言ってみたいセリフ」よね? わたしはショウと顔を見合わせて笑顔で返した。
「「悪いニュースからで」」




