第80話 覚えのある表情
「これなるリナリアは、星辰のアステリデの大幹より出し者。当主たる我が父の初芽にございます…」
両斜め後ろに従者二人を従えて綺麗に正座されたリナリア様は、白くて細い両の手を上向きに胸の前に交差するように当てて軽く頭を下げると、澄み切った美声で森人の「口上」を述べ始めた。
「来る晴月で漸う十八となります若芽にて、未だ春を知らぬ蕾。如何なる幹とも契りはございません。光の技に加えまして風と水を少々嗜む、恩寵有りし者。後ろに控えますはS=ホスタと同じくコルノ。ショウ様に置かれましては、その大いなる幹の御名をお明かし願えませんでしょうか」
森人の口上を聞くのは「平凡な美形」のメディオ様に続いて二度目だ。前回と違って予想はしていたし、どう答えるかは話し合ってきた。とは言っても前と同じような返しをするより他ない。
「私にはお伝えできる家名はありません。また、どちらのご家中とも一切の繋がりを持っておりません。非礼のほどは、どうか、この通り平にお許しを」
ショウが胸礼で頭を床にまで下げるのに合わせ、モモと二人で頭を垂れる。
「私の名はショウ。光の技に加え、水と風を僅かながら嗜みます。私……我らは恒神様より賜りました才を恃みとして、この世界で生を全うすることを決心した若造に過ぎません。この繁月で十八になります。そして、この世界の人々の健康と安寧のために微力を尽くすことで御恩返しとなれば、と思っております」
リナリア様たちが身動ぎするのが伝わってくる。無礼者!と怒られないといいけれど。まさか無礼討ちなんてことは。「幹討ち」なのね……。
「そして、控えますは普人のリカに獣人のモモ。二人とも十七です。彼女らは単なる従者ではございません。我らは共に生涯の伴侶として、最後まで添い遂げることを誓い合った者どもです」
ショ、ショウ…打ち合わせと違うよ? う、嬉しいけれど。
「ショウ様。お顔をお上げくださいませ」
微かに震えるリナリア様の声が聞こえた。わたしは彼の後になるように注意しながら、ゆっくりと顔を上げた。懸命に心を落ち着かせているのが分かる。やがて神官補様は静かに話し始めた。
「こちらこそ失礼を。わたくしとて、恒神様より賜りました光の技で人々の苦しみを少しでも和らげるべく、普人の世界に身を投じた神の僕でした。護人の仕来りを押し付けようとは、心得違いでございました」
その表情には戸惑いも窺えるけれど「幹討ち」は無さそうで良かった。
その後は一転して和やかな雰囲気で医学と光魔術談義が始まったところで、ホスタさんが話を遮った。
「姫様。そろそろ陽も傾いております」
「これは! ショウ様、重ね重ね失礼を。是非にでも、再度お越し願えませんでしょうか。ホスタ?」
「明後日が宜しいかと思います。また魔物狩組合に依頼を出しておきます」
「ショウ様、ご都合は如何でございましょう?」
ショウが振り返る。わたしはモモと顔を見合わせ、揃って頷き返した。
「我らは差支えございません。明後日に伺わせていただきます」
「それは嬉しゅうことでございます。お待ち申しております!」
リナリア様の顔が綻ぶ。なんて美しく、そして晴れやかな笑顔だろう……。
リナリア様は従者にお見送りを、と言いかけてわたくしがお見送りします、と言って自らお立ちになった。久々の正座で立ち上がるのが不安だったけれど、不自然にならないように立てた、と思う。
(大丈夫? 正座するとは思わなかったよね)
(うん、平気。それより)
(主人と従者らしくね)
ショウが自然に手を伸ばして気遣ってくれたものの、二人とも表情を崩さないように意識しながら小声で答えた。
さすがにリナリア様の見送りは宿舎の外までで、神殿の出口まではホスタさんが付き添ってくれるらしい。最後に念を押すようにショウと再会の約束を確かめたあと、神官補様は彼の顔を……わたしとモモは揃って溜息を吐いた。この表情には覚えが有り過ぎる。この二年間で数えきれないほど見てきたもの。
清楚な麗しさに溢れる完璧な造形が嬉しそうに微笑む。深紫の瞳には清かな星の光が煌めき、象牙のように滑らかな白頬には内心を映す赤みが射し、暫しの別れを告げる透き通ったソプラノには甘い響きが加わっている。間違いない。リナリア様は恋に落ちてしまったのだ。それも激しい恋に。
―――――
「リナリア様。驚くべき叡智と御技をお持ちの方でございましたな」
「姫様。魔力も別格でございましたか?」
「そうです。真花、素晴らしき魔力でした。それにあの御技、ご学識。ご尊敬申し上げるばかりです」
わたくしは何故か湧き上がる胸の高まりに戸惑いながら、思いを巡らせました。ご家名を明かしていただけないとは驚きですが。俊逸なる光の技使いでいらっしゃる。しかも底知れぬご叡智の数々。人体の全てを知り尽くしておられるが如きでした。どちらの学び舎であれば、斯様な識と技を得られるのでしょうか?
そして何よりも、その魔力です。お強く、お美しく、温かで。尊神官たる母上からでさえ、斯様に心が打ち震える妙なる魔力を感じたことはありませんのに。ああ、再びショウ様のお肩に触れるのが待ち遠しいばかりです!
何故、家名を秘するのでしょうか。十八の手前にして第四段階の光の技使いともなれば、ご出身がどうあれ、どの大幹であろうとも喜んで迎え入れるでしょうに。ご作法には違和感がありました。護人にも平民の方々は数多いらっしゃいますが、そのようにも見えませぬ。それにしても、わたくしとしたことが……。
「姫様。葉合わせしたばかりの殿方に、ご自身のことをお明かし過ぎです」
ホスタ、わたくしだって分かっていますのよ!
「ホスタ、良いではないか。終に姫様がその美しき花面を向けられる天華が現れたのだ。喜ばしいことだ」
「確かにあれほどの美形は、大森林を彷徨おうとも見出せぬと思うが」
「いや、ホスタ。内面の美しさこそ、だよ。見ただろう。患者には聖者の如し。そしてセルウァ妻二人を瓊葩綉葉の如く扱われていたではないか。壱妻となる護人の姫君に対しては如何ほどか。甘蜜の幸せが約されたようなものだ」
この者たちは何を言っているのでしょう。わたくしは何も!
「それにしても、普人の世界で生きることに心決めされたとは言え、家名を告げられぬとは。普人に混じり暮らす護人も多くなったとはいえ、神性さえ窺えるあのお姿からしても、そのような平民とは思えぬが」
「室内での裸足に寧ろ心を安んじられていたし、屈座のお姿も堂に入っておられた。セルウァらも同じく。屈座は護人の貴家中で育たねば無理だろう」
そうなのです。裸足にご抵抗はありませんでした。また、屈座は護人貴家のみの作法で、他種族の方には苦行とも思える練習が必要と聞いております。
「姫様に些かも物怖じされず、あれほどの従者二人を鑑みれば、子爵籍でも不思議は無いということになるが」
「その位階ならば、図抜けた光の技の才を示す若君の花粉が漂っても良いが。公に出来ぬ事情でもお有りか」
「姫様。そうなりますと、やはりあの二人の存在故、でしょう」
ホスタが向き直ります。わたくしも密かに思い至りました事情でしょうか…。
「リカ殿もモモ殿も麗し過ぎます。種族を遥かに超越しております。護人六卿の全ての庭園を渉猟しましても、彼女らを上回る美麗なる花は、果たして「美しのリナリア」様以外におりましょうや」
「ホスタ、その名では呼ばぬようにと告げた筈ですよ」
「……申し訳も」
「大方、ショウ様とご婚約の姫君が彼女らを側近から外すよう主張なさったのでしょう。それでショウ様はご婚約を解消され、二人を守るために旅に出られた。最悪、出奔されたか。嘆かわしい姫君がいらしたものです」
コルノ、わたくしを見損わぬように!
「リカ殿もモモ殿も、ショウ様とは連理の枝の如しではありませんか。彼の二人を引き離すような無体な真似は、このリナリア決していたしませんとも!」
「安堵いたしました。さすがは「聖女リナリア」様にございます」
コルノが意味ありげに笑っています。ホスタはやれやれという表情。わ、わたくしは何を言っているのでしょうか……。
「コルノ、その呼び名もいけません! わ、わたくしは、ショウ様ほどの優れた光の技の使い手がどの幹とも約定が無いとなれば、我がアステリデが枝を差し伸べるべきと言いたいのです。降爵が蓋し有りともなれば、尚更です!」
二人は深く礼を返す。目が笑っているように見えるのは、わたくしの気のせいでしょうか。それにしましても、何故、心の臓が弾むのでしょう。何故、頬が放埓に熱くなっているのでしょう?
「姫様のご提言の通り、才ある天華を逃す訳には参りません。が、ショウ様のご発言の裏付けを取らねばなりません」
「どの幹とも婚約の契りを交わされておらぬかどうか、が肝要ですな。星辰が横から蜜を攫う訳には参りませぬから」
ですからコルノ、その目は何ですか?…ホスタまで!
「ホスタ。コルノ。決してショウ様の失礼にならぬよう、お願いしますよ?」
「無論のこと、承知しております」
二人は再度、礼を返すと退出しました。従者らの声が聞こえます。
(ホスタ、どうする? やはり従者からか?)
(いや、まずは魔物狩組合だな。しかしモモ殿は大層、腕が立つと見た)
(そうだな。手合わせを願うということで、親交を温めるか)
(リカ殿は、カランサの方が良いかも知れぬ)
我が従者ならば大過ないでしょうが、くれぐれもショウ様のご機嫌を損ねぬよう願いたいものです。




