第72話 血海
季節が改まって第四月の「繁月」。わたしたちは北門の外に赴いた。この二日は狩りに出る魔狩隊はいなかった筈だから治療の用は期待していなかったけれど、続々と出立する商人さん達から【清浄】や魔法水などの依頼があった。お客さんが引けた後、慎重を期して南側の草原を探索することに。
「牛頭鬼2頭の反応! それに小鬼5匹は……どちらなのか分からないな」
早々にショウが【探知】の結果を報告してくれる。
「南側の草原には、いない魔物よね?」
「…森から出てきたということね。二日ほど誰も狩りをしていない影響?」
モモが推測しながらも抜剣する。討伐自体は問題なし。牛頭鬼は2頭ともわたしの【火矢】で沈んだ。藪小鬼は(元々、この草原に出る沢小鬼ではなかった)、モモの【石弾】や彼の【加速】棒投剣、そして【火矢】の追撃により5匹とも斃れた。素材の回収と解体に入りながら、わたしは二人に話し掛ける。
「こうなると、森がどうなっているのか気になるよね」
「今朝は、ヴェイザの魔物狩はどのくらい「玄奥の森」に入ったのかな。「赤い棘」には挨拶できたけど」
「今日のところは様子見が正しいと思う。でも「硬化石の守り」の件もあるし……少し覗いてみてもいい気もするな」
「うん。マクアナさんたちなら、とは思うけど。リカ、森に入ってみない?」
ショウが迷いつつも偵察を提案して、モモも同意する。わたしも頷いた。
「玄奥の森」浅層に中層の魔物、貝肌鬼や跳小鬼が進出して、牛頭鬼などが南の草原に押し出された可能性がある。「博物大事典」によると、貝肌鬼は牛頭鬼を少し上回る身長で横幅が広くて、皮膚が厚く硬いのが特徴。大きい魔石とたくさんの魔角が採れる。剛皮は加工が難しく、稀に革盾にすることがあるくらい。
跳小鬼は毛むくじゃらで類人猿っぽい小鬼。木々の間を伝って上から飛び降りて襲ってくる。身長1mくらいで魔石と魔角で銀貨2枚と大銅貨1枚なのは、他の小鬼と同じ。10匹以上の群れで行動することが多いので、少人数の魔狩隊だと怖い。飛び道具の豊富なわたしたちなら大丈夫?
結局、三人とも胸騒ぎを覚えてしまったので、素材を組合に卸すのも後回しにして「玄奥の森」へと向かうことになった。森に入っても直ぐに魔物に遭遇したりはしなかった。寧ろ、森全体が緊張感を孕み、息を潜めて静まり返っているように感じる。そう言えば、いつもの甲高い鳥の鳴き声も聞こえない。
と、ザワザワと乱暴に草を掻き分け、怒声と共に息せき切って近付いてくる音が耳に入ってきた。魔物狩だろう。ショウが呟く。
「ええと。一応、人間が4名だね」
言い終わるのと同時に、羊歯が絡まった藪の陰から会いたくもない人たちが次々と飛び出してきた。「怒龍団」だ。
「な、なんだ! 脅かしやがって!」
リーダーの普人男性が声を荒げる。胸甲だけは立派な革鎧に太くて長い剣を担いでいる。この大男はしかし、一瞬だけ後ろを確かめたと思ったら、立ち止まりもせずにわたしたちの横を走り抜けた。
「おい、スレイグ、いいのか?」「せっかくの極上……」
他のメンバーも、何やら言い合いながらも後を追って駆け抜けていく。そう言えば「怒龍団」は6人では…?
彼らが飛び出してきた方向をじっと見据えていたショウが、指を口に当てながらモモを振り返る。わたしも耳を澄ませた。「怒龍団」の騒々しい逃げ足が消え失せて不気味な静寂が戻ってきたころ……微かに金属が硬い物に当たるような音が聞こえてきた。音域の高い叫び声も。
「いこう!」「うん!」「モモ、僕の杖を1本!」
女性の声なら「赤い棘」しかいない。わたしたちは一斉に駆け出した。
ガツッ! バリッ!
鈍い金属音とともに複数の怒声が耳を貫く。間違いない!
「ブオオオオオ!」「ギャ!」「ギャア!」
「鬼どもめ!」「死ねえっ!」「おらああっ!」
突如として視界が開ける。覆い被さるように枝を拡げる高い木々に囲まれた、広場みたいな空間に彼女たちはいた。小山のような死体がある。類人猿のような骸も。立ち上がった犀のような2つの巨体は貝肌鬼? 鎧じみた剛皮は一部が剝がれて鮮血を迸らせながらも、風音を響かせて丸太のような太腕を振り回している。
「ボオオッ!」
「ぐううッ!」
突風のような貝肌鬼の一撃をマクアナさんのコルチャクラが受け止めたものの、そのまま姿勢を崩して膝を突いてしまう。フロッカさんが剣で切りつけるも、魔物の薙ぎ払いに吹き飛ばされてしまった。タングニーザさんが座り込んだ姿勢で、弦の切れた弓を振り回して跳小鬼と格闘している。
「姉さん!」
ナナさんの叫び声が聞こえる。血塗れの右手をだらりと下げたまま、左手に握る短剣だけで飛び降りてくる跳小鬼を捌いたものの、2匹目に伸し掛かられる。必死で蹴り上げた魔物をフリスタさんの槍が貫く。
更に木の上から飛び降りてきた跳小鬼を【石弾】が貫き、力を失った手長猿はナナさんのすぐ傍に落下した。モモの奥の手だ。目顔を確かめて頷き合う。そうよね。能力を隠している場合じゃない!
「撃ちます!」
わたしは一声叫ぶと、コルチャクラで懸命に貝肌鬼の暴腕をブロックするマクアナさんに被害が及ばぬよう祈りつつ、威力を上げた【火矢】を放った。
バシュッ!
くん、と軌道を曲げたように見えた【火矢】は、鎧のような皮が剥がれて肉色を晒す部分を正確に貫く。
「ブ、ブオ……」
貝肌鬼は立ち上がったものの、赤い血が溢れる傷を抑えて苦しそうにドシンと尻餅を付いた。空かさずマクアナさんが体を回転させて魔物の傍を離れる。次の瞬間、彼女が居た場所にもう1頭の貝肌鬼の豪腕が振り下ろされ、土くれが派手に飛び散った。まさに危機一髪ね!
バシュン!
二射目の【火矢】が座り込んでいる貝肌鬼の露出した肉に吸い込まれ、魔物は声も上げずに仰向けにズシャリと斃れた。
「ボオオオ!」
雄叫びを上げた2頭目の貝肌鬼が、マクアナさんを無視してこちらに向き直る。わたしは【火矢】を放ったけれど、咄嗟に腕をクロスした魔物に防がれてしまい、鎧のような皮膚を吹き飛ばせただけだった。
「オオオッ!」
怒りに燃える暗黒の眼をぎらつかせ、ズンズンと太い下肢を繰り出してくる。
「全力で【火球】を!」
ナナさんの声が聞こえる。わたしは予備の杖を左手に持ち、両杖を構えて同時発動して直ぐに身を伏せる。
ドゴオオン!
双の杖から飛び出した赤く燃える火の球が合体し、踏み込んで来た貝肌鬼に吸い込まれるように突き刺さって爆発した。
ズシャアアア……
貝肌鬼は上半身の名残から噴水のように赤い血糊などをまき散らし、轟音を上げて崩れると地面に減り込んだ。
「ギャッ!」「ギャア!」「ゲアア!」
相変わらずの耳障りな叫び声で木々の間を飛び回っていた跳小鬼どもが、こちらに襲い掛かってくる。
「ゲ!」「ギ!」「アア?」
次々とわたしの両杖からの【火矢】とモモの【石弾】に貫かれ、自由落下する魔物たち。弾幕を潜り抜けて飛び込んできた跳小鬼も、モモの鮮やかな剣捌きの前に、敢え無く鮮血を撒き散らして果てる。
【火矢】に貫かれながら運悪く衝突軌道で落下してきた個体も、ショウがわたしを庇って立ち塞かってくれた。時空魔術の目に見えぬ壁に弾かれた小鬼は、捻じ曲がった姿を晒して地面に転がる。やがて魔物は全滅した。
ナナさんが崩れ落ちる。マクアナさんは転がったまま肩で息をしている。フロッカさんが串刺しにした跳小鬼から剣を抜き、仰向けに伸びる。フリスタさんは槍に縋って、がっくりと両膝を突いた。タングニーザさんは這い摺りながら、最初から斃れていた貝肌鬼の方に向かっている。
「た、助かった、のか……」
「駄目かと……し、信じられねえ……」
フリスタさんとフロッカさんの呻くような声が聞こえた。
「両杖使いに……こ、獣魔戦士っ!!」
ナナさんが絞り出すように呟く。マクアナさんは無言だ。二人とも蒼白な顔で震えながら倒れ伏している。【獣化】も使ってしまったのだろう。
梢を貫いて斑模様を作る陽光に照らされた空間には、血の海が広がっていた。犀か熊かのような3頭の貝肌鬼の他に、牛頭鬼も4頭。跳小鬼は何匹いたのだろう? 30以上は転がっている。それに、原型を留めないほどに拉げた人間の遺体も…男性だと思うけれど……そう言えば、ブレーザさんは?
「ぶ、ブレーザ!」
タングニーザさんの悲痛な叫び声が響く。ああ、そんな! 彼女の腕の中には、生気が失せたブレーザさんの顔があった。その体は貝肌鬼の死体の傍らで、ひと目で手遅れと分かる大きさの赤い池の中に横たわっていた。
「ブレエエエザアアアアア~!!」
自身も血だらけになったタングニーザさんの慟哭が広場を覆い尽くした。ざわざわと梢が蠢いて、鼓膜を震わせるその振動を吸い込んでいく。まるで意地の悪い魔女が嘲笑っているようだった。




