第99話 遥か遠くに去りし日々
楠銘花蓮。ある意味、学年一番の有名人だったかもしれない。華やかながら気品ある美貌。160cm代半ばの身長で完璧なスタイル。それこそ転生後のモモにも負けないくらいだったろう。古い家柄だとかで、でも本人はそれが窮屈だと公言していて、有数の進学校である臺高の中では派手な印象を振りまいていた。
とは言っても、本人が紛うことなき旧家の御令嬢であることもあり、せいぜいスカートが少し短いとか(膝上15cmくらいかな)ブラウスの第一ボタンはいつも外してリボンが緩んでいる程度。メイクもしていない。そう、世間一般の女子高生のイメージからすれば、寧ろ大人しい部類だろう。
でも、わたしもモモも、スカートは膝上丈でボタンはきっちり締めていたし、そういう子は珍しくなかったので目立っていた。それでいて決して漫画やアニメで必ず存在する「派手で無防備な美人」ではないのだ。逆に凛とした雰囲気で如何にも「高嶺の花」という感じだったから、男子の視線も遠慮がちだった。
モモは図書室でショウを見かけた瞬間に一目惚れで。会うたびに恋焦がれていき、高二で同じクラスになるずっと前から虜だった。わたしも同じだったのだけれど。気が付くと「結界が張られている」と噂されるようになり、他の女子が近付けなくなった。結界と言っても、モモが本当に睨みを利かせていた訳ではない。
寧ろ、他の女子がショウに話し掛けてきたりしようものなら、下を向いて唇を固く引き結んで黙ってしまうのだ。すると空かさずショウがモモの様子を気に掛ける。それは話し掛け難くなるだろう。そして、そこを堂々と突破してくるのが楠銘花蓮なのだった。彼女ただ一人だけだった。
今日も花蓮が近付いてくる。親指ほどの小さな男の子と女の子の人形が、色白で綺麗な手首からぶら下がっている。手芸が得意な彼女のお手製だそうで、鞄に付けるだけでなく常に持ち歩いていて、目立つ外観とは少々ミスマッチなそれは、彼女のトレードマークとなっていた。
「橘花くん、いま、いいかしら。この問題が分からなくて」
彼女は声まで美しい。声楽を習っているそうで、よく通るソプラノだ。
「ええと、僕に教えられるかどうか分かりませんが」
「ううん、あなたの説明、とっても分かりやすいから! それでね……」
自然な態度でショウの隣に座る。モモがぐっと下を向く。
モモに挑戦的な瞳でも向けるとかするならば対処の仕様もあるのに。飽く迄もクラスメイトという体で、少し離れて座るのよね。そして用事を済ませた後は「ごめんなさいね、お邪魔して。わたし、あなたたちの間に割って入るつもりは全くないの。本当よ?」と深々と頭を下げて、ほんのりと芳香を残して去っていくのだ。
そう、彼女は不思議な香りを身に纏っていた。使っているシャンプーとかを聞いたこともあるけれど、真似をしてみてもわたしは同じ香りにならなかった、と思う。モモも果物のような甘酸っぱい香りを感じることがあるし……ほら、男の子は女の子の香りに弱いって言うじゃない?
彼女はショウに気があったのかどうか。人目を惹く外見とは裏腹に、男子と一緒にいるところは見たことが無かったし噂も聞かなかった。女子とつるんでいる姿も記憶にない。今から思えば、彼女の方から機会を捉えては接触していたのは、ショウと、わたしとモモだけだったような気もする。
そして年が明けて修学旅行の班分けの日。担任の先生は「男女比は問わないから四人の班を作るように」と言って、席を外してしまった。わたしたちは自然と三人になったところに、彼女が近付いてきた。
「わたし、入れてくれるところが見つからなくて。橘花くんたちとご一緒させてもらえないかしら」
周囲の男子だけのグループがブンブンと首を振り、物欲しそうにしている。でも「楠銘さん、ウチに来なよ!」という声は上がらない。断られるのが怖いのだろう。皆プライドだけは高いから。
「ええと、御酒花さんと真榊さんさえ良ければ。僕たちと一緒に、と言っていただけるのは光栄です」
ショウにこう言われてしまっては、モモに返す言葉はない。
「まあ、嬉しい! よろしくお願いね!」
ショウの真正面に立っていた彼女は深々と頭を下げる。転生後のモモにも引けを取らない深い渓谷が、彼の目の前に! その瞬間、ショウはわたしと目を合わせたから見ていないと思うけれど……モモが愕然とショウに大きな瞳を向けたあと、じっと下を向いて自分の胸に視線を動かす。
今でも不可抗力の事故だったと思う。ショウは悪くない。それでもこれ以上の惨劇を防ぐべく、今日に限って第二ボタンまで外れている彼女に囁きかけた。
(楠銘さん、胸元緩んでいるよ)
(えっ、やだ! 最近、キツくって気が付くと外れちゃっているの!)
ええと、喧嘩を売っているのかな? でも、彼女は本当に耳まで真っ赤になって、慌ててボタンを窮屈そうに締めてリボンもきっちり結び直す。モモが震えて再び自分の胸を見る。ショウは空気になっていた。えらい。
あとはもう本当にお嬢様然として、恥ずかしそうな表情を湛えたまま「わたしは押しかけだから、班行動の予定はお任せするわね。あ、でも、ひとつだけ。下の名前で呼んでもいい? わたしのことも花蓮と呼んでくれると嬉しいのだけど」と大人しくしていた。そして、彼女は決して外面だけの子ではないのだった。
修学旅行の最終日、自由行動の日。この行事が終わると、いよいよ本格的に受験生となる。みんな、最後の青春を楽しもうとでも言うように、いつもより自由な雰囲気に溢れていた。その所為か、わたしたちも彼女に誘われて、少しだけ冒険することになってしまったのだった。
「二人とも、こんなに長くて綺麗な脚なのに勿体ない! もう少し見せた方がずっと素敵よ。ゴムベルトの予備を貸してあげるから。橘花くんだってきっと……」
寒いからと断ろうとしたけれど、一人では恥ずかしいとモモに拝み倒されて、二人でスカートを短くすることになってしまった。そんなことしなくても、とは今だから言えること。短くすればいいってものじゃないのよ、と言って花蓮が鏡を見ながら調整してくれて、膝上15cm程度に落ち着いた。
「ほら、二人とも、ファッション雑誌から飛び出てきたみたいよ!」
モモの制服姿が飛び切り可愛くなったのは勿論、わたしも我ながら可愛いと思ってしまった。尤も、わたしたちを褒めてくれた当の本人こそ、見事すぎる脚線美を晒したいつも通りのスカート丈。でも、悔しいけれど惚れ惚れするほど綺麗で、そして何より似合っていた。
わたしたちはクリスマスプレゼントなどで送り合ったアイテムを身に着けてホテルを出た。ショウのマフラーはモモが心を編んだ。四人のグローブは班分け後にお近づきの印に、と渡してくれた花蓮のお手製。そして花がテーマの七宝焼きのマフ留めはわたしの手作り。女性陣のマフラーはショウからで色違いのお揃いだ。
「ごめんなさい、お待たせして。橘花くん、今日もよろしくお願いね?」
「うっ。おはようございます」
「お、おはよう」「お、おはよう……」
ショウは天を仰いで軽く溜息を吐いたあと、目線を下に向けないようにしてくれる。すると視線が真面に絡み合ってしまい、却って気恥ずかしくなって、それ以上の言葉が続かなかった。
「ええと、では出発しましょうか」
「行きましょう。わたし、とても楽しみに……」
するといつもは一歩引いた姿勢を崩さない花蓮が、今日に限って彼の肘に触れんばかりに寄り添って歩き出した。相変わらず小さなお人形も一緒だ。出遅れてしまったモモとわたしは慌てて傍に駆け寄り、いつもより密着してしまった。とそこに、思わぬ闖入者が現れたのだった。
「そこの四人、感心しませんね。不純異性行為は禁止されていますよ!」
出た! 点取り眼鏡こと、兜鳥薊。一年のとき、わたしとモモは同じクラスだったけれど、苦手なのよね…成績はクラストップだったし顔も整っている。でも、何というか他の人の点数を知りたがるし、先生の評価を気にするし。まるで点数のために勉強しているみたいだった。
前期に図書委員で一緒になってしまったら、それはもうしつこくて。頼んでもいないのに勉強を教えるとか言い出すし。わたしとモモに品定めするような眼を向けてきて。ほんと、高二になって別のクラスになって良かった。
「まったく。完璧王子ならぬ、ハーレム王子じゃないですか!」
眼鏡のフレームをクイっと上げながら眉を顰める。ちょっと、その言い方はないでしょ、と思った瞬間、モモが珍しく大きな声を上げたのだった。
「ひどいっ! 橘花くんはそんな男性じゃありません! そ、そんなことは絶対に、おこらないの……うう……」
モモは泣き出してしまった。ショウは思わず彼女の肩に手を掛けそうになったものの、拳をギュッと握って思い留まった。あんな誹謗中傷の直後でさえなければ。わたしは涙ぐみながらモモの頭と肩を抱いた。
「な、泣いて許されると思ったら……」
動揺しつつも更に続けようとする点取り眼鏡を遮るように、ショウが前に出た。
「僕のことは兎も角、彼女たちを悪く言うのは、絶対に、許しません」
いつになく、ショウの声が低く、冷たかったのをよく覚えている。
「な、なにを! 三人も侍らせておいて」
「彼女たちは、僕の大切な友人です。そのような言い方は彼女たちに対する侮辱です。取り消してください」
「か、恰好を付けやがって! そんな丸出しの恥ずかしいスカートを履いているのが、何よりの証拠だ!」
堂々と視線を向けてくる。モモが赤くなって裾を引っ張る。余計なお世話だし、恥ずかしいことをしているのは、あなたでしょ。思い切って言い返そうとしたその瞬間、花蓮が前に出て美声を響き渡らせたのだ。
「あら、いつもわたしの脚を見てくるのは、どなただったかしら?」
「し、失礼な! み、見てなんか……橘花くんこそ、すぐ近くで見放題だろう!」
「あなたこそ失礼ね! 橘花くんはわたしの脚なんか全然、見てくれないのよ? 頼んでもいないのに何度も見てくる誰かさんと違ってね。今朝だけでも、少なくとも五回は見られたわよ?」
「な! 違う……ご、ご、誤解、れふ……」
点取り眼鏡が真っ赤になって絶句する。眼鏡の班の連れを見ると、明後日の方を向いていたり、肩を竦めたり、しっしっと追い払うような仕草をしている。この状況で眼鏡の肩を持つのは自殺行為よね。
「まあまあ、君たち、せっかくの修学旅行なんだから、穏やかに行こうよ!」
そこに現れる、高身長で真っ黒に日焼けしたイケメン、蕗菊陽くん。生徒会長だ。サッカー部エースで文武両道、間違いなく憧れている女の子は学年で一番多いだろう。穏やかな美少年である橘花くんとは違う世界の人間。
「不純異性行為かどうかは兎も角、スカートが短すぎるのは事実でしょう?」
蕗菊くんに影のように寄り添う、副会長の空樹怜さん。彼女は大人びた和風美人だ。いつも冷静な印象だから「氷姫」と陰で囁かれている。結界と言えば彼女こそ、蕗菊くんに他の子を近づけないように壁を築いていると思う。実際、二人は付き合っているという噂だしね。
「あら、空樹さんらしくないわね。わたしは、わたしの意志で、わたしが一番綺麗に見える恰好をしているだけよ。本物のフェミニズムの精神に基づいてね」
これは……花蓮が氷姫を論破するのかも?
「私たちは未成年です。それに、あなたがどんな理想を貫こうと、周りは善意で対処してくれる男の方ばかりではないでしょう。あなたの身を守るためにも、もう少し身だしなみを整えた方がいいのでは?」
「そうね。ご忠告ありがたくいただくわ。そういう男の方も実際いらっしゃることですしね。この辺りにもね?」
女性陣の視線が集中した点取り眼鏡の顔色が、青黒くなっている。
「わたしたち、未成年ですもの。不純異性行為の責任は取れないわよね。でも橘花くんたちは、指一本触れ合ってないのは間違いないのよ?…わたしは先程、肘が当たってしまったけど」
「…………」
「ま、まあまあ、もういいだろう? さあ、みんな、自由時間には限りがあるんだぞ。さっさと班行動に移ろう! 橘花くん、あとはお願いするよ?」
蕗菊くんが空樹さんに何やら囁きながら離れていく。最後は微妙な雰囲気になったけれど、わたしたちは固まっている点取り眼鏡を残して……同じ班の男の子たちが拝んで謝っている。君たちの所為じゃないからと軽く手を振り……そ、そんなに喜ばなくても……その場を後にした。
(いったんホテルに戻ってスカートを直しましょう。璃花も百桃も鏡をみた方がいいし。橘花くんに、いつもの可愛い笑顔を見せてあげないと)
花蓮が囁きかけてきたので、ショウに断ってロビーの洗面所に入った。わたしたちはスカートの丈を戻した。彼女もスカート丈を合わせてくれた。似合っていなかった。本当に彼女の短いスカートは、男の子の目を惹くためではなく、自分の美しさを引き出すためだったのかもしれない。
そして、モモがショックを受けてしまったのは、このあとだ。ショウの花蓮に対する態度が、明らかに「近付いた」から、ただのクラスメイトから、少なくとも友人として。ひょっとしたら、わたしたちに近いくらいに。彼の性格からしたら当然だろう。花蓮は彼女の人間性を、内面の価値を、確かに示したのだから。
控えめなモモが、なぜ転生時に【剣術】に特化した獣人を選んだのか。十分すぎるほど可愛いのに尚、【美形】をとったのか。【光魔術】をとるに違いないショウを守り、ショウに新しい人生の全てを捧げることにしたのか。この転生直前の出来事も大いに影響していたのだと、今ならよく分かる。




