第98話 根菜の村
「ええ、華月の初め頃でしたか。それはもう大変に麗しい森人のお嬢様でしたので、よく覚えております。無論のこと皆さまにお会いした後では、その驚きも褪せてしまいますが。まさか普人や獣人で……あっ!」
メルタン郷士殿は、メウカ奥様とクンディ様の迫力ある笑顔と刺し貫くような眼光を受けて、弾かれたように背筋を伸ばして言い淀んだ後に続けた。
「ごほん。ご事情がお有りとかで、たったお独りでした。何でも探し人がおられると仰っていましたが。言うまでも無く森人の光魔術士さまはお雇いできませんので、お引止めしませんでしたが……」
わたしたちはネップ郷士ご夫妻とクンディ様と共にお屋敷の中庭で昼食をいただきながら、興味深い情報に接していた。わたしたちと同じ頃に現れたその森人は、やっぱり同級生の転生者よね?
幸いなことに、郷士屋敷の中庭での午餐は畏まったものではなかった。大きなテーブルに大皿で料理が運ばれ、メウカさんが取り分けてくれた。わたしとモモは手伝おうとしたのだけれど、クンディ様に強い視線で制されたので、ショウの両隣で座ったまま大人しくいただいてしまった。
お料理はと言えば、農村らしい実質的な食べ物だった。緑豆(豌豆ね)のスープ。茹で卵。時鶏の丸焼き。そのお腹にはネップ特産の黒人参、白人参、玉葱、そしてピリ辛の赤い蕪の微塵切りがギッシリ詰まっていた。赤蕪はモモに確認したところラディッシュらしい。そう言われればそんな味ね。
「申し訳ありません。やはり赤蕪は下賤な野菜でしたでしょうか?」
メウカさんが目敏く声を掛けてこられたので、良い刺激です、好きな味です、と答えて安心してもらった。どうやら赤蕪は家畜の飼料用のイメージがあるため、ヴェイザでも出なかったらしい。勿体ない。
最後はなんと山盛りの苺。「苺」は翻訳も同名で、栽培もされている。ショウペディアの意見は「赤い色と美味しい味を組み合わせた語源が同じなのだろう」だった。小さくて丸くて種の部分が飛び出ていた。かなり酸っぱくて種の食感も気になるけれど、爽やかな果汁が喉に嬉しい。
穏やかな春の陽射しが射し込むお庭で堪能したお食事は、本当に美味しかった。そして食後に甘苦茶をいただいているところで郷士殿が、わたしたちが転生した華月の初め頃にネップ郷に現れたという、森人女性の話題を出されたのだった。
「つい先日、わたしも初めて知ったのですよ。メルタンたら、そういうことは直ぐに知らせてくださらないと」
「義姉上、申し訳ありません。何かお分かりになりましたか?」
「ええ、彼の森人の光魔術士のお名前、カレン・コスメオ様でしたか。アステリデ家のホスタ様に確認したところ、実名ではないかも知れぬ、とのことでしたよ」
三人とも、文字通り固まってしまった。花蓮・楠銘に似ている!
「カレンは恐らくカレンデュラ。花心が良くないのでやや珍しい名前だそうですが、コスメオと併せると「飾られし悲哀」というような意味であろうか、とのことでした。恐らく、ご不幸な境遇を嘆かれた仮名である可能性が高いのでは、と……ショウ様? リカ様もモモ様も!」
わたしたちは顔色を変えて目顔を交わしていた。モモの名字の御酒花が獣人語で「倬き猫」と取られたのと同じく、偶然にも森人の言葉で意味が通じない訳では無かったらしいけれど、現れた時期も考えれば、間違いないだろう。
「クンディ様。その森人は、我らが……探していた女性かもしれません。メルタン殿、彼女がどちらへ向かわれたのか、ご存じないでしょうか?」
「はい、街道を南へ進んだフォルカラッドです。唄も吟じられるとのことでしたので、近頃、花粉が舞い降ります森人の唄手はカレン様ではないかと」
「リカ、モモ。いいかな? クンディ様。予定を早めまして明日にでもフォルカラッドへ発たせていただきたいのですが……クンディ様? ご迷惑でしょうか?」
クンディ様は何故か蒼白になっていた。(まさか、四人目の!)という呟きが聞こえたような気もするけれど、きっと空耳よね? やがて気を取り直されたクンディ様が何度も頷きながら答えられた。
「森人の女性ですか。これは寧ろ願っても……いえ、失礼しました。メルタン、明日は南にも街道馬車を仕立てられますか?」
「義姉上、申し訳ありません。明日ですと二輪馬車のみになりますが」
「では、わたしがグラフェル行きを遅らせましょう」
「いえ、クンディ様。フォルカラッドまでは確か、村を三つ経由する一泊行程でしたよね? 実は恥ずかしながら馬車は苦手なものでして。徒歩で出立させていただきたいのですが」
ショウがわたしとモモに確認しつつ答えた。野宿ではなく、二つ先の村で宿泊になるし大丈夫だろう。
「……それでは女性衛兵を二人、案内役としてお付けしましょう」
席を立ったメルタンさんたちは、クンディ様と密々と話し合い、メウカさんを屋敷内に走らせて確認をとってから答えた。却って申し訳ないけれど。クンディ様の表情を窺うと、断るのも失礼な感じだ。彼に頷き返す。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。せめて、日没まではネップ村にて我が光の技をお役立てください。クンディ様、これは受け入れていただきたい。無理はしないとお約束しますから」
ショウは止めようとしたクンディ様を制した。クンディ様は何やら忙しく頭を働かせていたみたいだけれど、結局、いつもの優しい笑顔で頷かれた。
郷士屋敷で光治療が行われた。村の人口は六百人程度とのことで、急な話だったし、怪我人が数人で病人(?)は怪我からの発熱者だけだった。彼は第四段階【回復】も使っていたけれど、魔力には余裕ありそう。それよりも皆さんに拝み倒されるように感謝されるのには困ってしまった。額を地面に擦り付けるのだもの……。
夜は三人で郷士屋敷の別棟の離れに宿泊。「旅の神官補」一行や帝国の公使などが泊まることもあるので、村宿以外に屋敷内に宿泊場所が用意されているらしい。そう言えば、と思って聞いたところ「平凡な美形」の森人、メディオ様はネップ村には泊らずに通過されただけ、とのことだった。
離れは「袋道亭」と同じく暖炉と応接間に寝室が二つ。主寝室にベッドを三つ、くっつけて置いてくれていた。実は大きな盥を買って「魔法袋」に入れてきたので、試しも兼ねて暖炉の脇で魔法袋から取り出し、モモが「水筒」魔具で魔力を追加しながら水を貯め、わたしが【加熱】して沸かした。盥は魔法袋に入るギリギリの直径1m弱だから手足を縮めて入る。それでも十分にお風呂を楽しめた。
残念ながらトイレは魔具便所では無い汲み取り式。ヴェイザは直轄領だから「浄化便所」が中級宿にも設置されていたけれど、森人地域以外では、帝室直轄領と神殿領、それに大貴族領内で普及の途上だとボンデ師から聞いている。農村では、肥料確保ために敢えて汲み取り式、という面もあるかもしれない。
わたしは第二段階魔具士だから、第四段階魔具である「浄化便所」は扱えない。ショウがいるから大丈夫とは言え、魔具トイレがあれば魔法袋で持ち歩くこともできる。形状を工夫して便器に組み込めば、文字通り携帯トイレになる。但し魔法袋に入れると再起動が必要。今後は活動範囲が広がる可能性と、彼の負担減になることも考えて、わたしも段階を上げていかないとね。
「ねえ。やっぱり、花蓮で間違いないよね?」
「うん。本当に偶々、カレンデュラ・コスメオという名前の森人の光魔術士という可能性は残っているけど」
「森人女性が独りで行動するのは珍しい、いや、寧ろ有り得ないと言ってもいいと思うから、恐らくはね」
わたしたちはお風呂上りに話し合っていた。そして三人とも、彼女に再会した後のことには敢えて触れなかった。勿論、助けを求められれば……そうでなくとも、あなたなら……彼女を見捨てることはない。
この日は刺激的なひと夜を過ごした。幸せだった。ショウは復活して以来、ますます……それに花蓮のこともあったから、互いの気持ちを確かめるかのように気分が高揚してしまったもの。明日からは月止薬の休薬期間だしね。効能は持続するけれど、あなたは気にするだろうから。多分お預けよね。
そして、わたしはショウの胸の中で微睡みながら楠銘花蓮を、特に修学旅行の最終日を思い返していた。学校生活での多少のトラブルなど、青春を彩るほんの些細な綾に過ぎなかったのに、それに気付くことさえ出来なかった。同じ日々が続くことに何の疑問も抱いていなかった。明日もまた晴れると無邪気に信じていた。
魔物と悪人の跋扈するこの残酷な世界と比べると、なんと平穏で安全な日々だったことだろう。ああ、まだ二月と経っていないのに。あの日々は永遠に去ってしまった。二度と手が届かない場所へ。別の惑星の、いえ、ひょっとすると別の宇宙かもしれない、この世界から遥か隔たる遠い時空の彼方に……。




