第95話 わたくしの
翌日。わたしたちは朝から神殿のリナリア様の宿舎を訪れていた。セルウァの誰かと引継ぎなどがあってから護衛仕事が始まると思っていたのに三人とも姿が見えない。ショウを気遣いながらも清楚可憐な笑顔を綻ばせた姫君が、たったお一人でお待ちになっていた。今日は非番なのだそう。
幸いにもショウの体調は問題なさそうだった。カランサ様が当てた魔具は魔力を回復する「復調」なのだろう。二人で止めたのに【浄化】などを発動して確かめていた。夜はひとつのベッドで眠った。勿論、身を寄せ合って過ごしただけ。朝には元気になっていたから、本当に大丈夫なのだと思う。
リナリア様が「ショウ様は何のお茶を」と尋ねられたので「普段は甘苦茶を」と答えたところ「ご実家では?」と聞かれて困ってしまった。ふと言語対照を探ると、なんと緑茶が「緑針茶」として反応する。モモにも目顔で確認して、思い切って「緑針茶を好まれていました」と答えた。
「まあ、雅でございますね。口惜しきことに切らしておりますが…次回の連絡便で必ずや取り寄せましょう」
うん、言ってみるものね。これは期待していいのよね? 結局、甘苦茶を出していただけることになって、わたしとモモが用意した。「魔焜炉」の火口は、わたしたちの魔具と同じく五つだった。
席を囲んでからは、いつものように魔法と医学談義から始まった。リナリア様はどうぞお楽に、と仰って横座りをされたのでわたしたちも倣った。ショウは少し迷って胡坐を掻いたけれど姫君は特に反応されなかった。ひと区切りついたところで、リナリア様はわたしやモモと話をしたいと言い出された。
「わたくしのセルウァは三人ともかなりの年嵩でございましょう? 無論、師とも姉とも慕っておりますが。わたくしは社交の場は不得手でしたから、同年輩の姫方と会す機会に恵まれませんでしたの。リカさんやモモさんとは、是非ともお話をさせていただきたいと思っておりました。お願いできますでしょうか」
「は、はい」「お役に立てますかどうか」
「ご謙遜を。何気ない会話というものこそ、わたくしの憧れですから」
こ、これは転生して以来最大のピンチかも。この世界のことを何も知らないモモとわたしが、一体全体、何を話せば良いというのだろう。しかも、森人の伯爵令嬢の失礼にならないように……。
結局、魔物狩の話や、ヴェイザのお店の話などをするしかなかった。そのため、ほんのルーキーでしかない、わたしたちの話でも興味深そうに聞いていただけた。というか、光魔術士として解剖経験のある神官補様は、なかなか凄い質問を繰り出されたのだった。
なんと「登仙楼」の話も出た。わたしとモモのブラウスのデザインに興味を示され、どこで仕立てたのかという話になったのだ。そう言う姫君の私服も素敵だった。ボディスで引き絞った弾絹のドレスは白を基調として金と紫がアクセント。そして花の紋様が織り込まれた紗のケープを羽織られていた。
そしてケープ(羽織と反応する)を留めるのは、黄金色に輝く見事な細工のブローチ(留具ね)。蕾を象っていると思うけれど、よく見ると凹んでいて違和感がある。嫋やかな仕草で留具を触って、雅な笑顔でショウに微笑まれた。フリゾルさんにも同じ仕草をされたことがある。恐らくは……。
お昼は「山猫の注文亭」の仕出し。ディネンさんは人目を憚るように裏口から入ってきた。「魔法袋」から取り出したのは、赤酒で煮込んだシチューの大鍋と白い丸パンにチーズの塊。そして先日のショウの誕生日ランチの際にモモが教えたプリンだった。毎日、仕出しかな、と思ったけれど「神殿勤めでございますので普段は皆と同じものをいただいておりますが、本日は特別に」とのことだった。
「それではこの「ぷりん」はモモさんが…ショウ様が羨ましいです。わたくしのセルウァは三人とも頼りになりますが、少々、武辺に偏っておる者たちですから」
「い、いえ。リナリア様のお口に合いますかどうか。あ、作ったのは私ではありませんでした……」
モモも緊張気味だ。でもさすがはプロね。鬆も入っていない。ディネンさんたちに教えたのは、つい一昨日なのに。
「素晴らしいお味でございます。柔らかく滑らかな舌触りとこの、焦がした糖蜜の苦味が調和しておりますね。感動いたしました。ディネン殿、お作りになった方にもどうぞお伝えください」
「リナリア様にお気に召していただき、恐悦至極に存じます。モモ様には、他にも新しき甘物をご教授いただいております。ご興味がございましたら、是非、ご注文をご検討ください」
そうなのだ。プリンの他にも何か、とお願いされたので、簡単に説明できるものとして卵白のメレンゲを紹介し、実演してみせたのだ。言語対照では反応しなかったし、ディネンさんたちも知らなかった。少なくとも帝国には存在しないのだろう。ちなみに押し問答の末に、食事代が無料になった。
そしてディネンさんが去り、食後のお茶を、というところで事件が起きた。
「コルノもカランサも毎回、お好みも聞かずに甜果香茶をお出しするとか。茶葉は幾種類も揃えておりますのに」
上機嫌のリナリア様に対し、ショウはいつもの美しい笑顔で何気なく返した。
「特に苦手なものはございませんので、リナリア様に選んでいただければ」
その瞬間、姫君が固まってしまった。普通の会話だと思うのだけれど。
「……わたくしが。ショウ様に。お茶を。選ばれよ、と……」
わたしは思わずモモと顔を見合わせた。ショウも固まっている。三人の目顔が語っている。何かを踏んでしまったのだ。
「承知いたしました。暫しお待ちを。(わたくしが……わたくしの……)」
リナリア様が何やら呟きながら席を立たれた。わたしとモモはお手伝いします、と言いつつ少し遅れて立った。
(モモ。これって、まさか)(ま、まだ分からないよ)
リナリア様は暖炉端に立つと、複数のお茶の袋を並べた。ハーブティーはどれも薬効があるから、袋の口から覗いている茶葉を見ただけで、わたしにも種類が分かった。姫君はまず「絲木茶」 (シナノキらしい)に手を伸ばし掛けて、溜息とともに引っ込めた。次いで赤い実の「茨華実茶」 (ローズヒップ)を、頬を染めながら震える手で押しやってしまった。茨華は薔薇だ。地球では……。
更には薄青い「薫衣草茶」 (ラベンダー)に視線を向けたと思ったら耳先まで赤くなって諦め、結局「接骨木茶」 (エルダーフラワー)を選ばれた。わたしたちは手伝おうとしたのに何故か無下に断られてしまい、姫君が御手ずからお茶を入れられることになった。慣れた手付きだった。
「ショウ様。わたくしのお茶をお持ちいたしました。接骨木茶でございます。こ、これが……わたくしの……こ……」
リナリア様のご発言は口の中で消えてしまったけれど「心でございます」と続く筈だったことが分かってしまった。わたしとモモは心の中で溜息を吐き合う。
言語対照で探ると、花言葉が「花心」として反応する。そして恐らく、男性が女性に「自分のためにお茶を選んで欲しい」というのは「あなたの心を知りたい」というような意味なのだろう。ショウが縋るような目をわたしたちに向ける。リナリア様は、緊張の面持ちで長い黄金の睫毛を伏せてしまっている。
残念ながら言語対照は花言葉に相当するものが存在する、ということしか教えてくれない。そしてわたしの【薬術:第二段階】の知識にはこの世界の花言葉、「花心」なんて含まれていない。三人は目顔で頷き合った。どちらにせよ、受け入れないという選択肢は存在しないもの。ままよ……。
「つ、接骨木茶でございましたか。リ、リナリア様。謹んでいただきます……」
珍しくショウが緊張でどもりながらお椀を持ち上げて飲んだ。リナリア様はショウの反応を誤解して、一瞬、しまった、というような表情を覗かせた。恐らくだけれど接骨木の「花心」は無難なものなのだろう。絲木、茨華、薫衣草と違って。この世界の「花心」を知るには……やっぱりフリゾルさんよね。
初体験の接骨木茶は薄黄色のハーブティー。葡萄のような甘味と爽やかな後味が同居する上品な味わいだった。もう少ししたら蕾が開くし、これも自家用として採集してもいいな。【浄化】と【消砂】して乾燥させればいいしね。
その後はどこか硬くなった雑談を交わしつつ、医学の話などに戻りながら夕方になるのを待った。やがて白色に青模様が入った馬車が宿舎に横付けされ、三人の従者が揃って扉を開けた時には、正直、ほっとしてしまった。
「今日は緊張したよね」
「うん。申し訳なかったしね」
琥珀色に暮れなずむ町並みを抜けて宿に戻り、離れの扉を開けたところで漸く体の力が抜けた。そう、リナリア様はそれとなくショウの出身などを尋ねてこられたのに、逸らかすしかなかったのよね。告げるべき家名などないのだし、嘘を吐いている訳ではないのだけれど。
「その……接骨木茶、いただいてよかったのかな」
ショウが心配そうに呟く。わたしとモモは暖炉端でのリナリア様の行動を教えて、一応、安心させた。いえ、寧ろ不安が増した気もする。リナリア様のお心は今や明らかだもの。それでも、少なくとも伯爵家の許可なく進めるおつもりはないことが分かっただけでも、良かった。
四協帝国の地理情報は資料室の書物にも殆ど無い。恐らくアステリデ領に手紙が往復するだけでも月単位だと思う。領地貴族が約八百、官僚貴族が約六百家。更に帝室領と教会領は別にある。ショウは、江戸時代の大名数や徳川一門の所領割合などから、欧州全土くらいの領域では、と推測している。
リナリア様は、欠点が見当たらないどころか、完璧と言って良いお姫様だと思う。セルウァ三人の人柄だって申し分ない。それでも、有能な時空魔術士の扱いが、彼がどんな扱いを受けるのかが分からない限り、判断できない。最悪、ヴェイザを去ることも考えないといけないのかもね……。




