地獄の門
伊佐美はスマホを揺らめく影に向けている。その輪郭がはっきりとしてくると、伊佐美は俺の後ろに隠れるようにして、撮影を続けている。
「今度は……。なんだ?」
揺らめく影から何かが出てきた。緑の体をした小人のような群れ。とんがった耳と鼻、既視感はないが俺はそれを知っている。ゲームに出てくるザコ敵のゴブリンだ。手にバットほどの棍棒を持ち、それを引きずりながら歩いてくる。
「ギギッ」
ゴブリンが笑った。大きく口を空けて笑うと何かが腐ったような口臭が漂ってくる。六匹の群れはその笑い声を合図に、居合わせたオタク戦士たち、通りかかった人たちに向けて襲いかかる。
『ヤバい!』
伊佐美のスマホからコメントが読み上げられ、危険を知らせてくる。それはもちろん一番近くにいる俺がよく知っている。阿鼻叫喚。言葉でしか知らないが、これがまさにそうだろう。散り散りになったゴブリンは手近な人たちを棍棒で襲っている。ゴブリンの叫び声と逃げ惑う人々の悲鳴。そして、激しい打撃音が混ざりあって地獄絵図だ。
一直線に俺を襲おうと走ってくるゴブリンは、奇声と共に棍棒を振りかざした。手の長さで勝る俺は、一歩前に出てゴブリンの顔に向けて自撮り棒を伸ばす。ゴブリンの喉元を自撮り棒で突く。が、ゴブリンは構わず棍棒を振り降ろし、俺の左肩を打ちつける。
「大丈夫?圭ちゃん!」
「大丈夫だ、痛いだけだ!」
痛いだけの俺と、痛くて呼吸が出来ないゴブリン。痛がっている暇も、躊躇している暇も俺にはない。ゴブリンがまともに構える前に、俺はゴブリンの頭を強かに自撮り棒で叩いた。頭蓋にぶつかり自撮り棒の先端は砕けた。
「ギィー!!」
痛みでゴブリンが叫んだ。勝てるかもしれない。アドレナリンが出て、俺の肩の痛みは和らいでいく。まだやれるのか自分自身を確かめるように自撮り棒をしっかり握り、また一撃。今度は棍棒も持つ手を狙い、先端のなくなった自撮り棒を振り下ろす。
「やっちゃえ!圭ちゃん!!」
『いいぞ!圭ちゃん!』
後ろで動画を撮りながら、伊佐美が叫ぶ。手首を撃たれたゴブリンは棍棒を落とした。俺の持つ自撮り棒は折れ曲がり、半分ほどの長さになっている。が、相手がステゴロなら、元のリーチで勝る俺の自撮り棒はまだ使える。
ゴブリンの腹に向けて自撮り棒で突くと、ゴブリンの血反吐と嘔吐物が俺の制服を汚す。吐き気がするほどの匂いと嫌悪感が襲ってくるが、今はそれどころではない。
ゴブリンの棍棒を俺は拾い上げて構える。自撮り棒よりはしっくりくる棍棒を構えると、ゴブリンが叫ぶ。
「ギァアーーーー」
ゴブリンは仲間を呼んだ。四方に散っていたゴブリンたちが、ジリジリと俺と伊佐美を取り囲む。何とか壁を背にして、俺は伊佐美をかばう。
「圭ちゃん!」
ヤバい。伊佐美を守りながら、六体相手は無理だ。俺はほぼ無呼吸で動いた反動からくる筋肉の震えか、絶望からか、棍棒を持つ手が震える。
周りの人たちはこれ幸いと逃げ出して、残っているのは頭から血を流して倒れている人や足をやられた怪我人たちだけだ。俺の背中にすがりつくように震える伊佐美を、あんな姿にするわけにはいかない。
「うあぁーーーー!!!」
俺が絶望を振り払うように叫ぶとゴブリンたちの動きが一瞬止まった。そして、覚悟を決めて一歩前に出て、さらなる絶望に俺も足がすくんだ。
『手だ。デケェ!』
チラリと伊佐美を見ると、恐怖で涙ぐみながらもスマホで記録を撮り続けていた。自動で読み上げられるコメントが、さらなる絶望と現実を突きつけてくる。渦の中からゴブリンよりも、大きな手が伸びてきたのだ。肘まで出てきた腕は、俺の身長を優に超えている。
その手は何かないか探すようにゆらゆら揺れている。そして先ほどまで俺と対峙していたゴブリンを探り当てるとむんずと掴んだ。捕まったゴブリンは抵抗虚しく、叫び声とともに渦の中に消えていった。
咀嚼するような音だけが響いている。すぐにまた手が伸びてきた。俺たちもゴブリンも動けない。さっきの一匹を捕まえた辺りに、ブンっと音を立てて振られ手はゴブリン四匹をまとめて掴み取り、渦の中に引きずり込んで咀嚼する。
残されたのは最後の一匹のゴブリン。そして、俺と伊佐美だけだ。




